【第31回】大学生って…

大学4年、かわはらです。最近は暇なようでやるべきことばかり溜まっています。ところが追い詰められると変な欲が出てしまって、断捨離を始めました。笑 (やるべきことも頑張ります!)

 

本を整理していて、いろんな本を読んでいます。これが楽しくて! 目もパソコンを使うより疲れません。途中で昼寝するのが好きです。

あとは、好きなジャンルから読み始めると、苦手なジャンルも抵抗なく読めることがわかりました!  ちなみに今1番好きなのは、伊坂幸太郎さんです(*^_^*)

 

さて、リレーブログも30回越え、、、ということで、そろそろ気合いを入れます。苦手なジャンルの本を読んで(!)考えたことです。

 

 

私は大学生になって、学生という身分の有難さを思い知った。

 

高校生の頃なんて、学割がきいていても気にしなかった。でも人生の夏休み、大人と子どもの間で揺れる大学生は、学割がきいても、高校生のときよりもすこーし高値で。そういう些細なところから、学生がいかに優遇されるのか思い知るようになった。

 

 

 

 

学生…特に私たち大学生って、どう見えているんだろう?

 

そんな疑問が浮かんだとき、おもしろい本に出会った。

『現代大学生論 ユニバーシティ・ブルーの風に揺れる』溝上慎一

 

注意点として、これは2004年に書かれたものである。しかし著者の考えは2020年に読んだ私にも、かなり刺さるものだった。

結論を言うだけなら簡単なのだが、せっかくなのでこの本を元にして、まず大学生の見られ方の歴史を紹介したい。

 

 

 

戦前の大学生はエリート扱いされ、華々しいものだった。それだけ大学進学率が低かったということ。今では考えられない…

 

しかし戦後、エリートのイメージは消えていく。

 

ここからは大まかに3つの時代について説明しようと思う。

 

 

❶1960年代

大学の大衆化が進む。これは、エリートのイメージがなくなるのもうなずけるだろう。

さて、大学の大衆化が進んだ理由は一言で言ってしまうと経済成長によるもの。所得水準が上がって進学欲が高まった。

 

何より、経済の論理が初めて教育に持ち込まれた。産業社会からのニーズも大きく関係する。多様であった高等教育機関を二年制、四年制大学に統合する、科学技術教育に力を入れるなど大規模な教育政策が行なわれた。女学生も増えた。

 

 

私は、教育システムが変わるのは難しいと思っていたのだが、上の命令1つでこんなにいろんなことができてしまうことに驚きと恐怖と希望を覚えた。当時の現場の声がわからない限り何も言えないが。

 

 

この頃にはもう、よい就職のためによい学歴を、レールに乗れば安定だ、というような考え方があったという。

 

 

 

1960年代の大学生を含む若者の文化は、いまでは考えられないほど社会にインパクトを与えた。

消費文化の中心を行き、若者独自の世界を作ろうとしたり、学生運動やヒッピー文化を通して既成の社会体制への異議申し立てをしたり。

 

日本ではデモ等の運動で他国のように声をあげることは少ない印象が、私のなかでは強かった。

でもほんの数十年前には、声を上げてムーブメントを起こす若者がいたのだと思うと感動する。たとえそれが、若者の一部でありあくまで少数派であったとしても、そんなパワーを放った当時の若者(今の75~90歳くらいの方々だろうか)を心から尊敬する。

 

 

 

 

❷1980年代

石油危機を乗り越え、社会の関心は生産から消費へ、供給から需要へ変化した。

 

大学生はといえば、かつての社会への反発心はなくなり、一時期は「シラケ」世代とも言われた。

しかし彼らは消費者として充実した生活を送っていた。内向的な分、消費を通しての自己表現と他者理解に勤しんだ。

それまでの若者は旧世代に対して自己表現していたが、1980年代の若者は同世代に対してコミュニケーションのために自己表現していた。ある分野を深く追求するオタクたちは、この頃生まれたそうだ。

 

 

モノを介した自己表現が必要な若者、特に大学生は消費文化に適応するためにアルバイトをする人が増えた。

消費者として大きな役割を担う若者。彼らの視点は社会でも重宝されたそうだ。

仕事ではまじめに社会での役割を引き受けるが、自己犠牲的はならない。そのぶん消費を通しての自己表現に期待するという傾向の若者が多いということだった。

 

 

コロナ渦で就職難を肌で感じている身としては、時代を引っ張る若者が期待され、消費という自己表現がときには仕事でも生きるなんていいな、と思った。しかし消費におぼれる若者など、ここでは描かれていない裏話や苦労話もあるに違いない。

若者について一般化した文章を前にこんなことを言うのも(書くのも)おかしいが、一般化って恐ろしいなと私は思ってしまう。

 

一方で18歳人口減少や第二次ベビーブーム世代の大学進学に伴い、1970年から1980年代にかけて、大学進学率は横ばいになる。

これは何を意味するか。受験競争の激化である。

よい就職のためによい学歴を、レールに乗れば安定だ、という色は一層濃くなった。

 

 

 

 

❸1990年~「現代」

バブル崩壊により社会が不安定に。それまでの社会構造が大きく変わるきっかけになった。

実力主義に加え、社会の高度化、複雑化、国際化、情報化、多様化、、、、、。

そんな社会に対応できる新たな分野の人材が必要とされた。

大学院に重点化したり、カリキュラムの自由度が高まったり、ここでも大きな大学改革の流れが起き、大学の質が上がったとされる。

大学生は以前のようには遊んでいられず、勉学第一という空気に。意欲ある学生に、質の高い教育機会が提供できるようになる。

 

 

ピンチはチャンスと言うけれど、まさにそうだと思わされる。特に必要とされるものがわかると、対策をしやすいのかもしれない、と私は思った。

 

 

大学生は、年功序列の波に乗ってきてリストラされる大人、大手企業の倒産などを目にして、自分のことについて考えるようになった。

結果として、それまでの、よい就職のためのよい学歴を、の考えは残ったものの、やりたいことや将来の目標を出発点として人生を考える若者が増えた。

 

それまでのレールに乗れば安定、というのはアウトサイド・イン

やりたいことや将来の目標を出発点とするのはインサイド・アウト

と言う。

 

 

 

現代の若者はもちろんどちらのタイプも存在している。

最後に筆者は、大事なこととして以下のことを言っていた。

・自分の考えを持つこと。 主体的になること。

・自分探しを言い訳にしないこと。

・いろいろな決定をする自分自身の見える世界には限界があるので、できるだけ幅広く勉強すること。(役に立たなそうだと言って勉強を放棄しないこと)

・大学という環境や学習したことをうまく使うこと。

・とにかく行動に移すこと。

 

・成功者の言葉はあくまでエッセンス。語られない苦労、裏話があることや、自分とは違う人間であることを心にとめておくこと。

 ・時代は変わっているので、自分の経験だけを参考にしないこと。

 

 

以上。

 

 

 

最後の筆者の考えがとても刺さった。私は大学生になって、完全にインサイド・アウトになったことを自覚したし、このタイプの問題点について述べられた部分ではぎくりとさせられることが多かった。

 

 

でも一番驚いたのは、これが書かれたのが2004年だったということ。2020年の私にこんなに刺さるとは思わなかった。それに、大学生の歴史を学ぶことで、さまざまな昔の大学生像に刺激を受けることができた。

 

 

 

 

私はこの本を1年以上前に購入しており、正直読み切る自信はなかった。30分間だけさらっと見て終わりにしようと思っていたのに。この本との出会いは、必然だったのかもしれない。

 

 

この本を読むなかで、古いと感じたのは女性の扱いと通信・インターネット関連の情報だけだった。(私の読みが甘い可能性が高い。)今、2020年の大学生はどう見られているかなんて全然わからない。

 

 

こんなに簡単にわかりやすく一般化されてたまるか、と言う気持ちも少しある。筆者が2010年代後半~2020年の大学生について同じように分析した文章を読んだら、その気持ちは高まるに違いない。一般は個別の集合のなかの、恐らく多数派か影響力のある人たちの共通点に目を向けてできたもので、必ずしも全てに当てはまることではないことを実感するだろう。一般化された文章の裏に、未知なる個人が存在することを思うと、少しワクワクする。

 

 

でも、まさに時代の過渡期にいる私たち大学生の今後が楽しみだと我ながら思う。

 

 

 

 

筆者のアドバイスも参考にしながら、主体的に自分の人生を作っていきたい。

そして、レポートのように長くて面白みのない文章を、ここまで読んでくれた人に心から感謝する。