【第34回】2021東京五輪中止論者へのせめてもの抵抗

 こんにちは。島根大学の平田将達です。

 COV-19コロナウイルスの流行が、全く収まりませんね。何を書こうか迷ってみたものの、この状況では、たいていの記事は、COV-19関連のものになってしまいます。あえてそれを無視したところで、それで良いものかと、悩みました。とりあえず、COV-19と切り離そうと思っても切り離せない、東京五輪について書いてみることにしました。

 本来なら今頃行われているはずの東京五輪も、1年延期が発表され、それでも実施できるかわからないという、絶望的な状況に追い込まれています。本来なら最大の関心事になるはずのオリンピックも、すっかり関心が薄れてしまいました。しかし、元から関心が薄かったような気もします。

 とにかく、オリンピックという巨大なイベントが中止されようとする中、その価値について、考え直してみたいと思います。

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オリンピックの 顔と顔

ソレトトント トトント 顔と顔

宮田隆(作詞)・古賀政男(作曲)・三波春夫(歌)「東京五輪音頭」、1963年より

 

「オリンピック、1年延期になったよ」

 1年前の日本国民なら、こう聞いたところで、まず信じないでしょう。

「2019年の年末あたりから、COV-19という新型コロナウイルスが流行り始めて、2020年の上半期のうちに、全世界に流行ったんだ」

「そのせいで、夏でもマスクをつけなきゃいけないし、検温や消毒液もいる。人ごみの中には入っちゃいけない。満足に買い物にも行けないんだよ。…全く守らない人もいるけどね」

「とりま1年延期したけど、それでも本当に開催できるかは、まだわからないんだ」

 ここまで聞かされて、その事実を知ったとしても、納得はできないでしょう。東京で開催されることが決まって以来、我が国は、2020年に向けて動いてきたわけですから。

 しかし、現状を踏まえれば、「2020年夏に予定通り開催しろ」などとのたまう人は、良識のある人であれば、世界中に1人もいないと考えて良いでしょう。我々は、ここまでの大激変を、わずか半年ほどの間に経験してきたのです。

 

 1年延期が決まったのは、3月のことでした。延期を聞いて、国民や、大会関係者、そして選手が残念がる姿は、衝撃的なこととして報道されました。

 「チャンスだと思って、あと1年頑張ります」そんな選手がいる一方で、「あと1年と言われても…」と複雑な心境を語る選手も。反応は様々でしたが、多くの選手は、受け入れがたいながらも延期を受け入れ、練習を再開しているようにも思えました。

 しかし、そのように捉えない国民が多かったのも、事実です。「1年延期してもダメだろ」「どうせなら中止にすればよかったのに」というように、オリンピックというイベントに対しての関心が、あまりにも低すぎるように思われます。このような状況にあっては、それも仕方のないことですが…。

 

 そもそも、2020年のオリンピックの開催地が東京に決まったのは、2013年のことでした。その時点から関心は低く、まるで迷惑なお祭りのように思う人がいたのは事実です。日本は、繰り返し夏季オリンピックを招致しようとしてきましたが、その時点でも、オリンピックに関心がもたれていたようには思えませんでしたし、実際に決定するまでは、そのことさえ知らなかった国民が多いと思われます。

 よく知られているように、今から56年前の1964年にも、東京でオリンピックが開催されています。その時の関心も、極めて低いものでした。それもそのはず、その時点の日本では、上下水道や電話といったインフラはまだ普及しきっておらず、テレビも限られた世帯にしかありませんでした。その割に、公害問題は顕在化し始め、交通渋滞は激しく、地方は過疎にあえいでいたのです。このような状況では、オリンピックなどというよくわからない遠い世界の話に関心は持たれず、そもそも情報が十分に入らなかったことでしょう。

 当時の日本社会をもう少し見てみると、高度経済成長の世の中であり、大局的に見れば、明らかに上り調子の世の中でした。ほぼ20年前の1945年頃をどん底とし、国全体がそこからはい上がって、生活がだんだん豊かになっていくという、そのステップの延長線上にあったといえそうです。国の予算というものは、国民の暮らしが良くなるために使うものであり、オリンピックなどというお祭りに使うべきではないという考えは、理にかなっているといえそうです。しかし、開催が近づくと、その見方は変わりました。

 敗戦直後、日本という国の国際的な評価は低いものでした。東亜の貧国の地位に落ち、立場上でも「枢軸国」としての目で見られるようになっていました。何より、国のいたるところが焼け野原であり、国民は極度の飢えに苦しんでいたはずでした。そしてそのことを、国民自身がよく知っていたのです。

 そのような国が、過去を振り切り、(さまざまな国の援助を受けつつも)短期間で立ち直り、焼け野原にビルを建て、オリンピックを開けるほど豊かな国に成りあがるという、この上もなさそうな美談へと、昇華できる余地を見出しました。当時は、努力すれば報われる、豊かになれると広く考えられた時代でした。

 そのような自負もさることながら、たった20年前、装備の差を理由として勝てなかった大国や、勝てると思われながらも負けてしまった小国を、「銃弾」ではなく「スポーツ」という「平和的な」手段で「打ち負かせる」。ひいては、「日本のような小国でも、大国の身体の大きな相手に勝てる」…といった姿が、国民をひきつけたのではないでしょうか。

 

https://www.nhk.or.jp/bunken-blog/500/283224.html 

 

 こちらの記事を読むと、そんな気がします。1964年に調査が行われた時点で、国民の関心は高まっていたようです。(その前の関心は低かったはずですが、いいデータが見つかりませんでした…)

 このデータからは、「日本」という国の力を、世界に見せつけるため、東京五輪に高い関心がもたれていたように思えます。そして、その満足度は高いものでした。その意味では、1964年の東京五輪は、疑いもなく大成功だったことになります…。

 それに対して、2020年の東京五輪はどうでしょうか?上記のリンクのデータを見る限り、COV-19以前であれば、それなりに関心は高かったようです。しかし、五輪中止論者は、それなりにいました。

「1964年五輪のときのように、それまで関心がなかった人も、直前になれば関心は高まるんだ!」という意見はもっともですが、もはやCOV-19のせいで、それはありえなくなりました。1964年と2020年の、それぞれ数年前を比べれば、あまりにも状況が違うとはいえないでしょうか。

 

 まず、すでに1964年東京五輪を経験したという実績があることが挙げられます。1964年には、この国の多くの部分が、確かに熱狂したはずです。56年の時を経てはいますが、感動は、それだけで消えるものではないはずです。すでに1度熱狂しておきながら、2度目をつかみに行かないのは、なぜでしょうか。

 もしオリンピックが感動を呼ぶものだとすれば、全力で取りに行ってしかるべきです。冬季五輪を含めれば、1972年の札幌、1998年の長野と、それなりの感覚で五輪は開催され続けており、魅力的であり続けるはずです。

 しかし、そうはなりません。「日本の力を世界に見せつける」という構図の限界もあるでしょうが、かつて熱狂した五輪に、もはや以前ほどの魅力が感じられなくなっているような気がします。

 

https://survey.gov-online.go.jp/h27/h27-tokyo/2-1.html 

 

 2020年東京五輪についての世論調査です。(2)東京オリンピックの関心度という部分に注目すると、

 

年齢別に見ると,「関心がある」とする者の割合は40歳代で,「関心がない」とする者の割合は70歳以上で,それぞれ高くなっている。

 

 という記述があります。56年前、1964年の東京五輪をはっきりと知っているはずの70代以上が、最も関心をもっていないようです。これを見る限りでは、56年前は関心を持っていたものの、それを失ってしまったことが推測されます。

 データ元が変わってしまって正確さに欠けますが、1年延期が決まった後の調査を見てみましょう。

 

https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20200721-OYT1T50224/ 

 

年代別では、肯定的な回答が18、19歳で4割前後、20歳代では3割前後だったのに対し、60歳以上では2割ほどと、年齢が上がるにつれて下がる傾向があった。

 

 とあり、やはり1964年五輪を知る世代の関心が低いことがわかります。

 

 この間、日本や世界には、さまざまな出来事がありました。私は、世代的にその大部分を知りませんが、可能な限り今の60代以上の目線を想像して、この間の歴史を補ってみたいと思います。

 1973年の石油危機により、日本の高度経済成長は終わりを迎えました。1980年代後半から1990年過ぎにかけ、バブル経済によって、一時期持ち直したものの、「失われた30年」という言葉があるように、その後は顕著な好景気もなく、まさに「だんだん悪くなっていった」のです。2000年過ぎからの好景気も、2008年のリーマンショックによってかき消され、2013年からのアベノミクスは、失敗と評価されます。

 元号も変わっています。1926年に始まった昭和は、1989年、昭和天皇崩御によって、長い長い歴史に終わりを告げました。さらに2019年には令和に改元されましたが、60代以上にとっては、昭和の人間として生きた期間はあまりに長すぎました。2020年時点でも、62歳以上なら人生の過半が昭和です。

 平成へ元号が変わって、元号以外にもさまざまな部分が変化しました。1991年頃、バブルが崩壊し、1993年頃から就職氷河期、1995年に阪神淡路大震災というように、悪いことが続いています。1993年には55年体制が崩壊し、自民党が初めて下野し、世の中が変わるかと思ったら、うまくいかず、結局自民党がすぐに復権するなど、誰もが時代の変化を意識したはずです。

 そのような激変を経ても、現代を全肯定するほどの結果が得られなかったことから、この世代にとって、「昭和」は思い出の時代、「平成」は苦難の時代のように思われるでしょう。(「令和」は、いきなりCOV-19に汚されていて、ますます昭和ジャイアニズムが加速することでしょう)

 1964年頃の日本といえば、まさに懐古の対象であり、「あの頃は良かったが、今はダメだ」と思い続けた結果、熱意がだんだんと失われていったのではないでしょうか。

 何も、当時を知っている必要はなく、1960~70年代を頂点として、歴史が脚色されているために、当時を知らない我々の世代であっても、「だんだん悪くなる」理論は受け継がれていて、変わったものへの関心ということが、乏しくなってしまったように感じられます。「流行りもの」は常に生まれるにも関わらず、です。

 これを踏まえれば、「スポーツ中継は観るが、オリンピックには興味がない」というように、手軽なものなら関心を持てるが、オリンピックには関心がないというのも、うなずけます。

 しかし、少なくともCOV-19が流行る以前の日本は、1964年と比べても、決して貧しくありません。景気が上り調子でなければ、オリンピックができないということもありません。日本にとっても、世界はずっと身近なものになっています。国内の行き来も盛んです。そうにも関わらず、なぜ「オリンピックを中止せよ」などと、簡単に言えるのでしょうか。

 

 COV-19が流行ってから、世界は不自由になりました。特に制裁が科されていない国同士であっても、感染者が多ければ、行き来ができません。感染によって、命までもが脅かされるという状況にあっては、国全体、世界全体がオリンピックに向かう力もありません。

 多くの国が、すでに1度はピークを過ぎていて、国をまたぐ移動を大幅に緩和したわけでもないのに、感染の波は2度3度と押し寄せています。これでは、世界的に感染が終息して、オリンピックを開けるメドが立ちません。2021年に開催を延期したとはいえ、たった1年で終息するとは到底思えません。ワクチンが世界中に行きわたるまでには、かなりの時間が掛かるでしょう。

 そんな中、我々は、COV-19が流行ってきたからといって、直ちに東京五輪を諦めるしかなかったのでしょうか?

 「最初から東京でオリンピックなんてするべきじゃあなかったんだ。私は、最初からオリンピックには反対だったよ」という声が聞こえてきます。おそらく、時間が経つごとに、この声は強くなるでしょう。しかし、反対だと「最初に」思った時点で、COV-19の流行は全く想定されていなかったではないですか。

 突然やってきた「天災」に対して、それを額面通りに受け入れ、何もなさないというのは、私には受け入れがたいことです。むしろ、オリンピックが嫌で、COV-19の流行を口実として、開催から逃げているようにさえ思えます。そうでなかったとしても、そう簡単に逃げてしまって良いのでしょうか。

 もし、全世界の人々が、オリンピックに高い関心を示していて、意地でもオリンピックを観たいのであれば、2020年は無理だとしても、2021年までになんとしてもCOV-19を終息させようとするでしょう。全世界は無理でも、日本国民に高い関心があるなら、直ちに感染者はいなくなるはずです。

 オリンピックが十分に魅力的なゴールで、そこにウイルスという脅威が立ちはだかるなら、その脅威を打ち破るため、最善を尽くすはずでしょう。もちろん、感染を封じ込めることが現実的には無理だったとしても、せめて感染封じ込めに向かうだけの気概というのは、本当に2021年に開催したいなら、今頃とっくに見せていなければならないはずです。

 しかし、現状はどうでしょうか。「マスクをつければ人ごみに入っても良い」という謎の解釈が生まれ、さらにはマスクさえつけずに密集する人がいます。アメリカでは、「コロナパーティー」なる愚行により、死者が出ています。(元来、石けんを食べる「タイドポッドチャレンジ」が流行り、自宅の生活風景を赤の他人に公開する「リアルライフカム」が流行るような「わけのわからない国」ではありますが)

 この現状を鑑みるに、「感染収束の大義にオリンピックを利用する」という、少し前から私が考えていたことは、全くの絵空事であるように思われます。もう、2021年の東京五輪開催は、諦めてしまったのでしょうか。

 思えば、1964年の東京五輪の前も、インフラや会場の整備などに関して、非常に大きな問題が明らかになっていました。その困難と、今回のウイルス封じ込めのどちらが困難か、比較することに何の意味もありませんが、少なくとも、今回の場合、目の前の難題に対して、ベストを尽くしたとは、お世辞にもいえないでしょう。

 東京五輪は開催されるのか。もはや、全ては実行委員会や政府などに、丸投げされているように思えます。そして、いかなる結末に転んだとしても、誰かが悲しむことになります。現実的なところでは、

 

①本命:開催中止

②対抗:2022年に再延期(今のところ、「再延期はない」ことになっています)

③穴:2021年夏に強行

④大穴:2024年パリ五輪が東京五輪に繰り下げ

 

といったふうでしょう。②~④はおまけのようなもので、禁じ手である「再延期」を想定しないなら、もはや中止以外はありえないように思われます。もし強行したとしても、感染を恐れて盛況は見込めないはずです。それをわかったうえで、この記事を書きました。

 果たして、どのような決定がなされるのか、世界中の人々は、再びオリンピックを楽しめるのか…。考えただけで、気が重くなります。