【第42回】江戸時代の知られざるヒーロー

 こんにちは、平田将達です。今回の記事は、以前のものとは趣向を変えて書きたかったのですが、COV-19の影響により、十分な調査ができなかったので、不完全燃焼な記事になってしまいました。どうかご容赦ください。

----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 …なにやら大げさなタイトルをつけてしまいましたが、今回は、江戸時代の山陰を救った、「井戸平左衛門いどへいざえもん」という、あまり知られていないであろう人物について、明らかにしていきたいと思います。

 なお、今回このテーマに注目したのは、私の出身地である岡山県(浅口市生まれ、倉敷市育ち)と、現在住んでいる島根県(松江市在住)の共通点を探した、独断と偏見による結果です。

 

 突然ですが、「島根県大田市」と「岡山県笠岡市」の共通点はなんでしょう?

 …それは、名前を間違われやすいことですね(笑)

 大田市は、このような字である以上、読みが「おおだ」か「おおた」か、字が「大田」か「太田」かで間違えられます。

 東京都区部に「大田区おおたく」、群馬県に「太田市おおたし」があるせいで紛らわしいのですが、島根県にあるのは「大田市おおだし 」です。「大田市温泉津町太田おおだしゆのつちょうおおた」という、きわめて間違われやすい(と思われる)住所まであります。どうか間違えないでください。

 そして、笠岡市かさおかしは、なぜか「笹岡ささおか」と間違われることがあります。音が「か」と「さ」の違いですし、「笠」の字と「笹」の字は「⺮たけかんむり」が共通していることから、視覚的にも紛らわしいです。

 試しに「笹岡市」と検索すると、何やらヒットしてしまいました。

 

f:id:rerayblog:20200921144507p:plain



 …。

 

f:id:rerayblog:20200921135122p:plain

 ………。ハッ、私が生まれた「浅口市あさくちし 」すら間違われているだと…??

 

 さて、前座はこのくらいにしておいて、ここに紹介した2つの市は、互いに「姉妹都市」の関係にあります。その根拠は、両市にゆかりのある「井戸平左衛門」という人物にちなんだことです。何となくですが、街並みも似ているような気がします。

 井戸平左衛門(本名:正明、正朋とも)は、江戸時代中期の幕臣です。寛文かんぶん12(1672)年、武蔵国(現:東京・埼玉)生まれで、60歳のとき石見大森いわみおおもり代官に、61歳のときに備中笠岡びっちゅうかさおか代官に任ぜられ、両者を兼務しました。大森というのは、世界遺産にも認定されている石見大森銀山を含む一帯を治める役職で、現在の大田市に相当します。

 彼が大森代官に着任した享保きょうほう16(1731)年は、西日本一帯が大飢饉(享保の大飢饉)に襲われた年で、長雨・冷夏とそれによる虫害により、米を始めとする作物が、甚大な被害を受けていました。

 この時、平左衛門は何をしたのかというと、生活難に苦しむ領民の年貢を減らし、食べるための米を援助し、私財まで投じたということです。

 それだけではありません。彼が大田市大森の栄泉寺を訪れた際、たまたま諸国修行の途中だったという薩摩国の僧・泰永に出会い、薩摩には「サツマイモ」なる中国由来の作物があることを聞きつけます。(当時は「サツマイモ」とは呼ばれていなかったでしょうが)

 サツマイモは、痩せた土地でもよく育ち、育てる手間が少なく、その割に収穫できる量が多いことから、飢饉に強い作物であることが知られています。鹿児島県には火山が多く、土壌が灰を含んでいて、普通の作物は育ちにくい土地ですが、サツマイモが現在よく栽培されていることからもわかることです。

 井戸平左衛門は、大森の民を救うために(この時点では、まだ笠岡代官には任ぜられていなかったようです)、サツマイモを取り寄せ、大森の住民はかろうじて植えることができました。これにより、多くの人命が救われたとのことです。(ここまでの記述は、『島根県誌』と後出の境港市ホームページの記述によっています)

 

 特にこの活躍により、井戸平左衛門は、「芋代官殿」などと呼ばれるようになったようです。大森の住民に慕われている証拠です。

 ただ大森の住民が救われただけではありません。井戸平左衛門が輸入したサツマイモは、その後しばらくの年月を経て、出雲いずも島根半島(島根県東部)・伯耆ほうき弓ヶ浜ゆみがはま半島(鳥取県西部)にももたらされたようです。

 鳥取県境港さかいみなと市のホームページには、「芋代官碑」についての記述がありました。

http://www.sakaiminato.net/c817/roadmap/bunkazai/imo/ 

 

 それによれば、米子よなご ・境港の両市には、井戸平左衛門をたたえる石碑が、複数立っているとのことです。

 

https://www.sankei.com/premium/news/200817/prm2008170005-n1.html (産経新聞)

 

 さらに、こちらのネット記事によると、井戸平左衛門をたたえる石碑は、島根・鳥取・広島・岡山の4県に500基以上を数え、うち大田市内だけでも100基以上もあるそうです。井戸公のサツマイモが、いかに広範囲の住民を救ったかが読み取れます。

 

 私も、そのうちのいくつかを目にしたことがあります。以下にいくつか画像を貼りますが、全てCOV-19が流行する前に撮影したものです。碑があるという場所をもっと訪ねられればよかったのですが…。

 

f:id:rerayblog:20200921135217j:plain

(撮影地:松江市美保関町宇部みほのせきちょうしもうべお )

 「𣳾雲院殿」とは、井戸平左衛門の法名(亡くなった際に付けられる名)の「法名の「泰雲院義岳良忠居士」から取ったものでしょう。この碑には、「享保十八年 丒 五月廿八日」の銘がありますが、享保18(1733)年の5月26日に平左衛門は没しています。日付は2日ほどずれたのかもしれません。

 私が井戸平左衛門に興味を持ったのは、歩いていてこの碑を見つけたのがきっかけでした。

 

f:id:rerayblog:20200921135239j:plain

(撮影地:松江市美保関町美保関)

 島根半島の最東端・美保関灯台に向かう途中の道の脇にも碑があります。草によって下の部分が隠れていますが、この碑があるのは歩道のない道路脇で、つるをどけてまで撮影する余裕はありませんでした。

 

f:id:rerayblog:20200921135253j:plain

(撮影地:浜田市黒川町はまだしくろかわちょう)

 JR浜田駅から南に進んだ道路脇に、この碑がありました。浜田市にも、この碑は多いようです。

 

f:id:rerayblog:20200921135320j:plain

(撮影地:大田市温泉津町湯里ゆのつちょうゆさと、画像右)

 以下の3枚は、温泉津を訪れた時に見かけたものです。この道路は交通量が少なく、ひっそりとしています。

 

f:id:rerayblog:20200921135326j:plain

(撮影地:大田市温泉津町上村かみむら )

 平左衛門の命日が刻まれています。この近くには神社や仏閣があり、建立にはどちらかが関係しているのかもしれません。

 

f:id:rerayblog:20200921135333j:plain

(撮影地:大田市温泉津町福光ふくみつ)

 上記の画像の地点から福光川沿いを下り、温泉津小学校・中学校を過ぎて、福光海岸の近くにある碑です。文言は「井戸公頌徳碑しょうとくひ 」となっています。

 

 全部で500以上あるということで、いかに遠くまで彼の名前が知られていたかがわかります。現在では、井戸公の事蹟を知る人は少ないでしょうが、碑文を目にすることで、少なくとも私のような人間は食いつきます。

 

 もう一つ、井戸公の事蹟を伝えるのは、石碑だけではありません。島根県には、井戸公が僧・泰永に出会ったという 栄泉寺えいせんじと、井戸公を祀る井戸神社があります。どちらも、大森銀山の近くにあるため、銀山観光とセットで行けば良いと思います。

https://yaokami.jp/1325748/ (八百万の神、栄泉寺)

https://idojinjya.org/ (井戸神社 ホームページ)

 

 岡山県には、井戸平左衛門の墓がある威徳寺いとくじと、彼を顕彰する井戸公園があります。私の地元に比較的近いですが、その存在すら知りませんでした。

https://www.kasaoka-kankou.jp/spot/599 (笠岡市観光連盟、威徳寺)

https://www.kasaoka-kankou.jp/spot/164 (笠岡市観光連盟、井戸公園)

 

 このように、井戸平左衛門という代官のことを後世に伝える媒体はあるものの、我々はなかなか意識しません。たとえ石碑があったとしても、気付かずに通り過ぎてしまうことが多いでしょう。

 しかし、ほんの少し意識を向け、手がかりを発見することによって、井戸平左衛門のことを知ることができ、姉妹都市笠岡市大田市の関係性にも気づくことができるのです。身近だからといっても、身の回りの全てを知り尽くすことはできないでしょうが、今まで知らなかったことを知り、歴史や文化を感じることができるという点で、今回は良い体験ができたと思います。

 これから、「𣳾雲院殿」や「井戸公顕彰碑」などと書いてある碑を見つけたら、記録して覚えておきたいと思います。