【第70回】リーマンショック以降の日本を10大ニュースで振り返る

 こんにちは。就活と卒論の並行を強いられている平田将達です。いろいろと追われているというのに、今回は過去最長の記事を書いてしまいました。過去に私が書いた記事に共通する部分もあるのですが、納得いくまで突き詰めた結果、生まれた記事です。

 

 多くの日本人の間で共有されている感覚として、「戦後の焼け野原から立ち上がり、高度経済成長とバブル景気を経て、日本は頂点に達した。平成に入ってからというものは、堕落するいっぽうだ」というものがあります。バブル崩壊以降の歴史を「失われた30年」などと表現するのは、この考えに裏打ちされたものです。そして、少子高齢化で活力が失われたこともあり、もはや2度と好転はしないという諦観も込められています。

 そしてそれは、「過去」への賛美と「現在」「未来」への絶望を生みます。振り返ってみれば、我々の社会に暗い時代は多かったものですが、暗さの質が違います。若者が増えなければ、次世代の担い手がいなくなる。社会保障費も増大する。しかし、高齢化する「団塊の世代」以降を支えられるほど若者人口を増やすことは絶対に無理だ。それが明らかとなっているからこそ「どうしようもない」のであり、現実から目を背けようとする人が増えます。

 少子高齢化により、社会の形が大きく変わっていくことは、もはや避けようのないことです。その中で、我々は、破綻しないように社会を回し、しかも若者から高齢者までの誰もが健全に暮らせるようにしなければならないのです。増えすぎた高齢者が「邪魔者」として押し込められるようではいけません。若者が一方的に高齢者を「支える」のではなく、全世代で共生することが必要です。もちろん、在留外国人や障がいのある人、マイノリティも共存するべきパートナーです。

 

 では、この社会は、どのような道を辿ってきたのでしょうか。過去への賛美と現在・未来への絶望は、人々の目を曇らせます。平成以降の30年あまりの歴史は、ただ堕ちていくだけの局面にすぎなかったのでしょうか。人々が希望に胸を躍らせ、その希望が裏切られることを繰り返していくうちに、人々はだんだん落とされていったのでしょうか。

 私はそうは思っていません。我が国が永遠に成長を続けると錯覚していた時代こそ、人々の目が曇っていたのであり、バブル崩壊以後の社会を経るにつれて、しだいに深刻な現実が見えるようになっていったものと理解しています。

 今行うべきことを行わなければ、未来に影響を及ぼします。しかし、未来を楽観できないために、これまでの歩みが歪められ、ことさら軽視されるようになってしまっては、ますます隘路に迷い込むにちがいありません。希望の名のもとに、為政者の口車に乗せられるような状態が起きれば、現実が歪められていたとしても気付かないことでしょう。そうならないためにも、我々の社会が何を経験してきたかを、振り返っておく必要があると考えます。

 

 バブル崩壊後の1993年、38年間続いた「55年体制」に終止符が打たれ、多党連立政権によって、日本の政治には再スタートが切られましたが、長続きしませんでした。結局、自民党に政権が戻り、途中から公明党が加わります。一時は支持が取り付けられたものの、自民党政権が低迷していくのに反比例して、野党第1党として結党された民主党の支持が高まり、2009年に民主党政権が成立しました。しかし、これも民意を失い、3年で自民党復権し、多くの問題を抱えながら、安倍政権が長期政権として権力を振るってきました。彼の後を受けた菅義偉内閣は窮地に追い込まれ、対して多弱であった野党には連合が生まれ、政界は新たな局面を迎えています。自民党が政権を維持するのか、政権交代が起こるのか、この秋行われる解散総選挙で、国政のあり方が問われています。

 …と、平成以降の政治史をまとめれば、このようになります。「失われた30年」と言われるほど、無気力に陥りがちな時代ではありましたが、30年という期間は、何も起きなかったと見捨てて良いものではありません。やはり、何かが起こっていたはずなのです。

 特に、2008年のリーマンショックは、すでに苦しかった日本の経済を停滞させ、人々を憤らせた一大事でした。翌年の政権交代への影響はさまざまに評価できますが、その後の政治が「景気対策」に奔走していたことを踏まえると、1つの転換点ではあったと思うのです。その当時幼かった私は、国政の動向など知るはずはなかったものの、周りの大人たちが明らかに節制に向かっており、生活を切り詰めていたのを感じ取っていました。

 

 今回は、リーマンショックが起きた2008年以降の歴史に焦点を当て、当時何が起こっていたのかを各年の「10大ニュース」として振り返ってみたいと思います。10大ニュースという形式は、型にはめて行う以上、苦しくもあるのですが、決まった量で公平にスポットを当てることができるのが利点です。それぞれのニュースは、私が選んだもので、その年の世相を表すキーワードは、ある程度網羅できたと思います。

 

■2008年(平成20年)

①1月15日

環境保護団体「シーシェパード」の船舶が、日本の調査捕鯨船団「第二勇新丸」に衝突し、シーシェパード乗組員が第二勇新丸内に侵入

②1月

中国産冷凍餃子による食中毒事件。該当製品が回収される騒動に。

③6月1日

道路交通法改正。高速道路・自動車専用道の全席シートベルト着用義務に罰則導入。

④6月8日

東京・秋葉原で通り魔事件。7名が殺害される。

⑤6月14日

岩手・宮城内陸地震(M7.2/死者・行方不明者23人)

⑥7月11日

原油先物価格が1バレルあたり147.27ドルの過去最高値を記録。ガソリン高騰。

⑦9月24日

福田康夫内閣が総辞職。麻生太郎内閣が発足。

⑧10月

南部陽一郎益川敏英小林誠下村脩の4氏がノーベル賞を受賞

⑨10月28日

日経平均株価が7000円割れ(6994円90銭。バブル以降最安)

⑩この年

世界各国で同時多発的に株価が暴落(リーマンショック)

 

 リーマンショックは、2008年9月にアメリカのリーマンブラザーズ社が倒産したことによってもたらされた世界同時株安現象として、その名が残っています。しかし、それ以前からサブプライムローンの問題が世界を悩ませていたように、特定の1点から湧いて出た問題でなかったことは明らかです。日本では、9月12日に終値が12214円76銭であった日経平均株価が、わずか6週間後の10月28日の時間中に6994円90銭まで暴落しました。東証一部がいかに悲惨であったか、この数字から伝わってきます。この年の年末、仕事を失った派遣労働者が「年越し派遣村」に集まる様子が報道されましたが、特に低所得層にしわ寄せがいったことは、まぎれもない事実です。

 この時代は、多くの人々にとって悪夢であったに違いありません。リーマンショックによって人生を狂わされた人も多く存在します。ここで何か感じるところのあった人たちが、その後どのように振舞ったか、という点を念頭に置く必要があるでしょう。

 

■2009年(平成21年)

①3月14日

海上警備のため、東アフリカのソマリア沖に向けて海上自衛隊護衛艦が出港する

②4月5日

北朝鮮弾道ミサイルを発射し、日本上空を通過

③5月21日

裁判員制度が始まる

④7月22日

日本国内において46年ぶりに皆既日食が発生。悪天候により、トカラ列島では好条件で観測できず。

⑤8月30日

衆議院総選挙で民主党が大勝し、政権交代が確定。

⑥9月16日

民主党社民党国民新党の連立により鳩山由紀夫内閣が発足。

28日--下野した自民党で総裁選が行われ、谷垣禎一に決定。

⑦9月19日-23日

祝日改編と曜日の並びにより、初めて「シルバーウィーク」(5連休)が出現

⑧10月-

鳩山内閣により「事業仕分け」が行われる

⑨11月1日

太陽光発電において、1kWhあたり48円の買い取り制度が導入される。

⑩この年

新型インフルエンザ(H1N1型)が世界的大流行(パンデミック)。タミフル耐性ウイルスも確認される。

 

 この年、ついに政権交代が起きました。最後に解散総選挙が行われたのが2005年であったため、4年を経て行われたのです。解散を行う側は、解散を先延ばしにして自らの手で国政を良くしなければならないと考えていますし、解散を求める側は、自らが政治を行うことによって国を良くできるから、一刻も早く解散が行われなければならないと考えています。このようなせめぎ合いが起きるのは当然のことで、これを書いている2021年にも通ずるところがあります。我々は、政権交代を起こすのと起こさないのと、どちらがこの国を良くできるかという視点で、政治に協力しなければなりません。

 さて、下野した自民党は、ここで新たなスタートを切ることになりました。この時の自民党総裁には、谷垣禎一河野太郎西村康稔の3氏が立候補しました。結局、若手2人を押し切って、谷垣氏が総裁になったのですが、その後自民党はどのように変わったでしょうか?3人とも、その後は要職を経験しており、河野と西村の両氏は今の菅内閣でも活躍しています。何を良くして、何を良くできなかったのかという視点で斬る必要がありそうです。

 

■2010年(平成22年)

①1月19日

日本航空会社更生法適用を申請。事実上の経営破綻で、従業員解雇に至る。

②3月-8月

宮崎県を中心に口蹄疫が流行。畜産業界に打撃。

③4月27日

改正刑事訴訟法が成立・施行。殺人罪などの時効が撤廃される。

④5月23日

鳩山首相、米軍普天間基地の県外移設断念を表明。社民党が連立を解消する原因に。

⑤6月8日

鳩山由紀夫内閣が総辞職。菅直人内閣が発足。

⑥6月13日

小惑星探査機「はやぶさ」が役目を終え、地球に帰還

⑦7月11日

参議院選挙において、民主党国民新党が惨敗。自民党の勝利により「ねじれ国会」状態に。

⑧9月7日

尖閣諸島魚釣島近海において、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する。中国との外交問題に。

⑨11月15日

大相撲11月場所2日目において、横綱白鵬稀勢の里に敗れ、連勝記録が63で途切れる。

⑩12月4日

東北新幹線(八戸~新青森)が開業。全線開業となる。

 

 鳩山内閣は、早くも課題に直面していました。ありとあらゆる点に批判が向けられます。手放しで賛美できるものではなく、どのように批判に対処するかが肝要でした。よく鳩山首相の人格に非難が寄せられますが、それよりは、革新政党としての立ち振る舞いに問題があったように思えます。最大の課題は、与党議員があまりにも多様すぎたために、まとめることができなくなったことであったと言われます。多数政党が政権を担う以上、与党議員が多様になるのは当然のことで、自民党政権とて一枚岩ではありません。しかし、政権が求心力を失ったのは痛手でした。社民党には連立を解消され、国民新党参院選議席を全て失います。

 これは、立憲民主党が圧倒的勢力を誇り、野党共闘が提唱される現在の状況とは、全く異なります。この当時、民主党政権から遠ざかりつつあった政治家が、実は今立憲民主党に在籍しているという例は少なからずあり、立憲民主党の求心力の強さがうかがわれます。この時代から今までの間に、どうしてこうも状況が変わったのかについては、考えておく必要があるでしょう。

 

■2011年(平成23年)

①1月31日

陸山会事件関与の疑惑により、民主党小沢一郎が強制起訴される。(後に無罪が確定)

②2月6日

大相撲八百長問題により、春場所の開催中止を決定。

③3月11日

東北地方太平洋地震(M9.0/死者・行方不明22303人2021/3/1総務省)。

翌日発生の長野県北部の地震など、各地で地震活動が活発化。原発事故や計画停電など、未曽有の被害に。「東日本大震災」と命名され、「震災」と通称される。

④3月12日

九州新幹線(博多-新八代)が開業。鹿児島ルートの全線開業となる。

⑤4月1日

新学習指導要領の全面実施により、「ゆとり教育」から「ゆとり教育」への転換が行われる

⑥7月17日

FIFA女子ワールドカップドイツ大会において、「なでしこジャパン」が初優勝

⑦7月24日

岩手・宮城・福島を除き、テレビ放送が地上デジタル放送に移行

⑧9月1日-3日

台風12号により、紀伊半島を中心に甚大な被害が出る。死者・行方不明者98人。

⑨9月2日

菅直人内閣が総辞職。野田佳彦内閣が発足。

⑩10月14日

オリンパス社の粉飾決算が発覚し、社長が解任。オリンパスの株価が暴落する。

 

 この年の世相を語るならば、「3.11」の存在は絶対に欠かすことができません。未曽有の揺れと大津波は、この世のものとは思えないもので、その後の原発事故や電力問題、復興について、深い影を落としました。経済への影響もすさまじく、数十万人もの人々が、長期間の避難を強いられました。

 我々は、大災害の前にはあまりにも無力であることを学びました。しかし、一時期の「自粛ムード」は消え、被災地の惨状はしだいに忘れられていきました。今、ハード面での復興はかなり進みましたが、被災者のことを忘れたまま時が経っていくばかりです。これは、東京一極集中を語るにせよ、原発問題を語るにせよ、向き合わなければならない問題で、この社会において十分行われていると判断することはできません。

 地球温暖化が進む中、エネルギー政策としては、「再生可能エネルギー」の促進が、何よりも求められます。しかし、それも漠然とした方向性で行われており、「再エネは良いものだ」という程度の意識で、何でもかんでも置き換えようとしているのではないかと思えます。「原発安全神話」が「再エネ万能神話」に置き換わっただけでは、何にもなりません。10年経った今、振り返るとすれば、資源の大切さと啓蒙の大切さを考えるきっかけであってほしいと思います。

 

■2012年(平成24年)

①4月12日

京都市で、てんかんの持病を持つ男性の運転する車が暴走。男性と歩行者7人が死亡。

②5月5日

国内で稼働中であった原発が全て停止する。(-2013年)

③5月22日

自立式電波塔として世界最高(634m)の東京スカイツリーが開業

④8月10日

消費税増税法案(8%→10%)が可決。民主党では、小沢派の一部議員が造反して反対。

⑤9月11日

尖閣諸島が国有化される。この年、日中の国民が上陸を強行する。

⑥10月8日

iPS細胞の研究により、山中伸弥がノーベル医学・生理学賞を受賞

⑦10月31日

石原慎太郎都知事衆議院議員総選挙出馬のため知事を辞職(4期13年)。後任は猪瀬直樹

⑧12月2日

中央自動車道の笹子トンネルで、天井板落下事故が発生する。死者9人。

⑨12月16日

衆議院総選挙により、民主党国民新党が惨敗。自民党公明党による政権交代が確定。

⑩12月26日

自民党安倍晋三が首相に就任し、第2次安倍内閣が発足

 

 この年、3年間続いた民主党政権には終止符が打たれ、1度首相を経験していた安倍晋三内閣の成立によって、自民党が政権与党に復帰しました。公明党との連立も行われます。

 人々は、民主党政権には絶望しており、ほとんどの国民が支持を手放しました。しかし、自民党政権に陰りが見えている今、国民の支持は、民主党の後を受けた立憲民主党に傾きつつあります。当時、なぜ支持を手放し、今なぜ再び支持するに至ったのかは、各人の責任において考えなければならないことです。「あの時はダメだったが今は良くなったんだ」と無条件に受け入れて良いものではありません。

 自民党政権も、この時期に時の要請を受けて支持されるのは当然のことで、その手が離れてから研鑽を積むことによって真価が問われることになりました。公平に自民党政権時代を評価したいのであれば、それはイデオロギーを理解することなしに行えるものではありません。振り返ってみれば、その点が疎かになっていたのではないかと思います。「憎き民主党政権を打破した」ことを功績として誇るならば、ほとんど無条件で支持が得られるわけですから。

 

■2013年(平成25年)

①4月1日

厚生年金の受給年齢を65歳とする段階的引き上げが開始される

②4月4日

消費者物価上昇率2%を実現するため、日銀が「異次元の金融緩和」を決定する。(「アベノミクス」の象徴)

③4月19日

公職選挙法の改正案が成立。インターネットにおける選挙運動が解禁される

④6月22日

富士山が世界文化遺産に登録される

⑤7月21日

参議院選挙で自公が大勝し、「ねじれ国会」状態が解消される

⑥8月30日

気象庁、特別警報の運用を開始

⑦9月7日

IOC総会において、2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決定

⑧10月16日

台風26号により、伊豆諸島と東北・関東で甚大な被害が出る。死者・行方不明者43人。

⑨12月6日

特定秘密保護法が成立

⑩12月24日

医療法人徳洲会グループからの不正献金疑惑で、猪瀬直樹都知事が辞任。後任は舛添要一

 

 この年、「アベノミクス」が始動し、消費税増税が決定され、東京五輪の実施が決まります。2012年の年末に始動した安倍内閣が、腰を据えて政策を打ち出した結果です。これらは、安倍内閣の「功罪」として当時から語られましたが、時期が下るにつれて、その評価は揺らぎました。

 内外の力を結集して軌道に乗ったかと思われたアベノミクスは、最終的には「失敗」の烙印を押されることになりました。可処分所得が減少したことなどをもって、有識者から強く非難されることになったのです。ここまでも見てきたように、民主党政権時代においても、景気回復は課題でした。リーマンショック東日本大震災のような時期に景気が回復するはずはなく、それが実現できる時期に首相の座にあった人物が批判されるのは、確かにもっともなことであるように思われます。うまく行くように感じさせつつも、いつの間にか失敗と評価されるように評価が動きましたが、その転換として、どこかに線引きができるようには思われません。アベノミクスについて、もっと学んでみたいと思います。

 消費増税については、野田内閣時代に決定されていました。民主党から引き継いだわけですが、造反議員も現れたように、民主党が一丸となっていたわけではありません。結局、安倍内閣の元で、実施が決定されたのでした。オリンピックの東京招致は、石原都知事以降の歴代都知事によって行われ、決定後も小池都知事にまで引き継がれます。2016年招致も目指しており、その時は鳩山首相も携わったのですが、4年遅れて安倍内閣の時に実現しました。

 

■2014年(平成25年)

①1月29日

小保方春子らが「STAP細胞」生成についての論文を発表するも、不正疑惑により7月2日に撤回

②2月5日

作曲家の佐村河内守の作品が、新垣隆による代作であったことが明かされる

③3月7日

日本最高の超高層ビルあべのハルカス」(300m/大阪市)が開業

④4月1日

消費税が5%から8%に増税

⑤7月1日

政府、解釈改憲により集団的自衛権の行使容認閣議決定

⑥7月1日

兵庫県議会議員の野々村竜太郎が、政務活動費の不正使用疑惑についての記者会見で号泣する

⑦8月20日

8月豪雨により、広島市で大規模な土砂災害。死者77人。

⑧9月27日

長野・岐阜県境の御嶽山が噴火。死者・行方不明者63人。

⑨11月18日

15年10月実施予定の消費税10%増税を1年半先送りすることを発表(最終的に19年10月実施)

⑩12月14日

衆議院解散総選挙。自公が勝利し、24日に第3次安倍内閣が発足

 

 この年に行われた集団的自衛権の行使は、大きな波紋を呼びました。以降も、安保法制、TPP、共謀罪と、物議を醸すような決定が続きます。その中でも、集団的自衛権は、長年にわたって議論されてきた問題です。日本国が世界の秩序維持のためにどのような役割を果たすべきかについては、国内のあらゆる層を悩ませてきました。

 日本と同じく、世界情勢も常に変化しています。冷戦が終結して間もなくの頃、世界は平和になると信じられていたので、各国は平和追及の意味を問い直されることになりました。それからすぐに湾岸戦争が起き、当時の自民党政権は傷つきます。自国民を危険にさらすことなど、本来あってはならないことですが、日本ほどの大国が、世界秩序の維持に何の役割も果たさなくて良いのかというジレンマがありました。その中で、政府は、このような決定をしたのです。

 もちろん、非難をもって受け入れられたのですが、年末の総選挙では自公の勝利となり、安倍内閣は続くこととなります。

 

■2015年(平成27年)

①1月-2月

イスラム過激派組織「ISIL」が、日本人ジャーナリスト湯川遥菜・後藤健二の両氏を殺害

②3月14日

北陸新幹線(長野~金沢)が開業

③5月17日

大阪都構想否決。橋下大阪市長が任期末での引退を表明。

④5月29日

火山噴火により、口永良部島の全島民が避難を余儀なくされる

⑤6月17日

改正公職選挙法が成立し、選挙権年齢が満18歳に

⑥7月17日

東京五輪に向けて建設中の新国立競技場、計画白紙撤回

⑦9月9日-11日

関東・東北豪雨。死者20人。

⑧9月19日

安全保障関連法が成立

⑨10月5日

TPP(環太平洋パートナーシップ)が、各国の協議により大筋で合意する

⑩12月28日

日韓慰安婦問題において、最終的かつ不可逆的な合意が成立

 

 この年の最大の山場は、安保関連法の成立です。国会は紛糾し、議事堂の周りをデモ隊が取り囲んだことから、60年安保以来の大騒動となりました。日本共産党社民党などが「戦争法案」と呼称したことに対して、自民党側は反発しています。そもそもその段階で、認識を大きく異にしていることを忘れてはなりません。自らの正しさを主張するために、ここまで大きな運動が展開されるのは異例のことで、見ていて気分の良いものではないことを付け加えておきます。

 この際、民主党と維新の党(今の維新の会の前身)が共闘関係にあったことから、両党が合流して翌年に民進党が結党され、さらに野党共闘が形成されるための地盤になったとの指摘があります。激烈に反対運動を展開したことから、距離が縮まったのです。

 年末には、日韓慰安婦問題において、「最終的かつ不可逆的な合意」が成立しました。しかし、これが「最終的かつ不可逆的」でないことは、今では自明となっています。この問題に特効薬は存在しません。

 

■2016年(平成28年)

①1月1日

マイナンバー」が運用開始

②3月26日

北海道新幹線(新青森-新函館北斗)開業

③4月14日-

熊本地震。本震は16日未明(M7.3)。死者50人(+関連死223人)

④5月27日

バラク・オバマ大統領が、広島の原爆被爆地を訪問

⑤7月26日

相模原市知的障害者福祉施設津久井やまゆり園」に男が乱入。19名を殺害。

⑥8月2日

舛添要一に代わり、小池百合子東京都知事に就任

⑦8月8日

天皇明仁がビデオメッセージにて生前退位の意向を表明(平成の終わりへ)

⑧10月1日

藤井聡太が史上最速の14歳2か月で四段に昇段し、将棋のプロ入りを果たす

⑨11月30日

日本人グループによって生成された113番元素の名称が「ニホニウム」に決定

⑩12月31日

アイドルグループ「SMAP」が解散

 

 この年、平成という時代に終わりが見え始めました。明仁天皇陛下生前退位の意向を表明したためです。平成年間の歩みについて振り返る機運も芽生え始めました。

 アメリカでは、バラク・オバマ大統領が任期満了となることに伴って、大統領選挙が行われましたが、ヒラリー・クリントン候補を破って、ドナルド・トランプ候補が当選したのは、世界中に衝撃を与えました。イギリスでは、保守党のキャメロン政権の国民投票で「EU離脱」が決定されたように、国内よりは海外のニュースが世間を騒がせていたように記憶しています。

 「これから世界はどうなるのか」という点においては、凶悪犯罪の続発も懸念されました。前年の末に、ISILによってパリ同時多発テロが起こされ、日本では障害者福祉施設で無差別殺人が起きました。未来への展望が暗いまま、1つの時代が終わりに差し掛かっていることを見せられると、そこはかとなく不安になったことを記憶しています。

 

■2017年(平成29年)

①1月25日

稀勢の里が日本出身力士として19年ぶりに横綱に昇進

②2月-

森友学園加計学園問題が疑惑として審議されるようになる

③3月-

北朝鮮弾道ミサイルを相次いで発射。日本上空を通過・経済水域内に落下するものも。

④5月19日

テロ等準備罪」(いわゆる共謀罪)法案が成立

⑤7月5日-6日

九州北部豪雨により、福岡県と大分県を中心に甚大な被害。死者・行方不明者42人。

⑥9月9日

桐生祥秀が、陸上男子100m走で日本人初の9秒台となる9秒98を記録

⑦9月27日

小池百合子都知事保守系新党の「希望の党」を結党

⑧10月2日

民進党枝野幸男がリベラル新党の「立憲民主党」を結党

⑨10月22日

衆議院解散総選挙。自公が勝利し、11月1日に第4次安倍内閣が発足。

⑩10月31日

神奈川県座間市のアパートで自殺願望を持つ9人を殺害した犯人を逮捕

 

 この年は、政界が大きく動きました。多大な非難を集めつつ、テロ等準備罪(共謀罪)法案が成立しましたが、おおむねこのあたりから、政権批判の材料が、法整備のあり方に加え、政権に関しての疑惑にシフトし始めます。直接人格を攻撃した方が手っ取り早いとでも判断されたのか、安倍内閣には数多くの疑惑が投げつけられ、退陣を求める声が極めて高まりました。北朝鮮からミサイルが相次いで発射されたのが、この時点での最大の懸念事項でした。

 前年に就任した小池都知事が、国政の場で「希望の党」を結成しましたが、これが政界を大きく揺るがしました。ただし、希望の党自体は短命に終わっています。希望の党においては、左派は「排除」されたことから、「排除」された議員は、立憲民主党に移ることになります。

 希望の党立憲民主党、そして従来の民進党などが乱立するなど、野党は多弱の様相を呈していました。その中、衆議院では、「抜き打ち解散」が行われました。この時も、自民党は勝利しています。この先、安倍内閣へのフラストレーションは、どんどんと高まっていくことになります。

 

■2018年(平成30年)

①3月11日

森友学園問題の追及を受け、佐川宣寿国税庁長官が辞任

②5月7日

希望の党が分党し、大半が民進党に合流して玉木雄一郎を代表とする「国民民主党」が結党。

③6月9日

走行中の東海道新幹線車内で無差別殺傷事件が発生。1人が殺害される。

④6月28日-7月8日

平成30年7月豪雨により、西日本を中心に甚大な被害。死者・行方不明者271人。

⑤6月29日

働き方改革関連法案が可決・成立

⑥7月6日・26日

松本智津夫オウム真理教の幹部13名に対して死刑が執行

⑦8月12日

大阪府警富田林署から受刑者1名が逃走し、自転車で長距離を移動。9月29日に山口県で逮捕。

⑧9月4日

台風21号により、近畿・四国を中心に甚大な被害が出る。死者14人。関西空港が浸水。

⑨9月6日

北海道胆振地方東部地震(M6.7/死者・行方不明者43人)

⑩12月1日

BS・CSで4K・8K画質の本放送が開始

 

 国政の動向も気になりますが、平成最後のこの年は、災害の多さが非常に目立ちました。大雨・台風・地震・火山など、あらゆる種類の災害が頻発した年で、今年の漢字は「災」に決定しています。7月豪雨では、面積の3割近くが浸水したという、岡山県倉敷市真備町の被害が際立ちましたが、そこには「人災」との指摘も寄せられています。後悔しないためには、あらかじめ適切に動いておくことが必須ですが、身の回りのどこにリスクが潜んでいるかはわかりません。何十年も前からの行政課題にまで目を向けることは、容易ではありませんが、それでも検討しないわけにはいきません。未来を良くするためのきっかけとして、これらの災害を位置付けるしかないでしょう。

 政界では、与野党の対立が一層鮮明になりました。審議拒否も行われるようになるなど、一丸となって国政を担うような態度は、今なお欠落したままの状態です。個人的には、これだけ政党が多くあるというのに、与野党の対立という形に図式化されてしまうのは、腑に落ちないように感じていました。

 

■2019年(平成31年→令和元年)

①4月19日

東京豊島区の路上で乗用車が暴走し、2人が死亡。「上級国民」の語が流行する。

②4月30日

天皇明仁が退位し、翌5月1日に徳仁天皇に即位。元号が「令和」に改まる。

③5月-

首相主催の恒例行事「桜を見る会」での不適切支出が問題になる。以後、会は開催されず。

④5月28日

川崎市で通り魔。小学生ら20人が切られ、うち親子2人が死亡。直後に犯人も自殺。

⑤7月18日

京都府宇治市の「京都アニメーション」で放火殺人事件。36人が殺害される。

⑥9月20日-11月2日

ラグビーワールドカップ2019が日本で開催

⑦10月1日

消費税が8%から10%に増税。同時に軽減税率(8%据え置き)も適用される。

⑧10月12日

台風19号(東日本台風)により、東北から中部地方まで甚大な被害。死者・行方不明者108人。

⑨12月4日

中東アフガニスタンにおいて、車で移動中の中村哲医師らが武装勢力によって殺害される

⑩12月31日

特別背任の罪で起訴され、保釈中の日産カルロス・ゴーン元社長がレバノンに逃亡

 

 元号が令和に変わったのは、野党にとっては不愉快なことでした。平成のうちに、自民党政権を壊滅に追い込みたかったのです。

 森友・加計の問題に加えて、桜を見る会の一件も加わり、「上級国民」を打倒すべき対象に位置付けているように、安倍内閣退陣を求める層の結束は、極めて一貫したものになりました。消費税増税10%への増税に対しては、極めて強固な反対運動が展開されます。更に、この年の参院選では、結党されたばかりの「れいわ新選組」や「NHKから国民を守る党」まで台頭するなど、要求が一層大味なものになりました。

 この年は、極めて凶悪な犯罪が相次いだことも特筆されます。失われた命は、いずれも尊いものであることが強調されました。安倍内閣を糾弾する報道と横並びであり、両者を対比する狙いがあったのかもしれません。その中、「ポスト安倍」が誰になるのかという憶測も広がりました。安倍首相自身は、東京五輪に首相として参加することに意欲を示しており、自民党首脳部からは、「安倍4選」には目立った反発は見られませんでした。これが、翌年のコロナ禍によって壊滅に追い込まれます。

 

■2020年(令和2年)

①この年以降

前年、中国で確認された「新型コロナウイルス感染症(COV-19)」が世界的に流行。

緊急事態宣言や経済対策(Go Toキャンペーン、全国民一律給付金)など、日本社会も激変する。

②1月31日

法解釈の変更による、黒川弘務東京高等検察庁検事長の定年延長が問題となる

③6月15日

イージス・アショアを秋田県山口県へ配備する計画を白紙撤回

④7月3日-7月31日

令和2年7月豪雨により、全国各地で甚大な被害。死者・行方不明者86人。

⑤7月頃

ALS(難病)に苦しむ患者の依頼によって安楽死が行われていた件が、嘱託殺人事件として問題となる

⑥7月25日

商船三井の運行による貨物船「わかしお」が、モーリシャス沖で座礁して石油流出を起こす

⑦8月28日

持病悪化を理由に、安倍晋三首相が辞意を表明。9月16日、菅義偉内閣が発足。

⑧9月15日

国民民主党から大多数の議員を引き抜き、立憲民主党が改めて結党。衆議院議員100人を超える野党に。

⑨9月28日

日本学術会議について、推薦された候補を政府が承認しなかった件が問題となる

⑩10月26日

菅義偉首相が、所信表明演説において「2050年までの温室効果ガス排出量実質ゼロ」を明言

 

 新型コロナウイルスCOV-19の流行は、日本にとって対岸の火事にすぎないものとして認識されていました。もちろん、政府として対応は行われていたものの、国民感情は高まらなかったのです。

 それが、中国やイタリア、アメリカといった国々が医療崩壊に追い詰められてから、危機感は一挙に頂点に達しました。感染を防ぐため、今や必需品となっているマスクが流通していないという事情もあって、国民は外出を防ぐことに協力しました。その結果、感染を抑制することには成功しましたが、経済は極めて大きなダメージを被り、以後の対応を消極的なものにさせました。

 5ヶ月近くの連続勤務に耐えきれず、安倍内閣はついに崩壊しました。安倍内閣を引き付く目的で、菅義偉官房長官が首相に選ばれましたが、その権威はすぐに失墜します。菅内閣の元にも、多くの疑惑と疑念が生じ、求心が非常に困難になりつつあります。

 その裏で、野党議員が立憲民主党に結集され、日本共産党野党共闘を呼び掛けるなど、政権交代への機運は高まり続けています。あとは燃料の投下を続けるのみという段階に達しています。国民の関心は、自民党を与党の座から陥落せしめることと、国民全員への一律の給付金を再度引き出すことに絞られているようにも見えます。この状況が、今年秋の総選挙まで続くでしょう。

 

 …さて、ここまで13年分の10大ニュースを並べてきましたが、2021年の分も、1月から4月末までに限って、4つほど並べてみたいと思います。

 

■2021年(令和3年)4月まで

①1月16日-17日

大学入試センター試験」に代わり、初の「大学入学共通テスト」が行われる

②2月3日

COV-19対策のため、新型インフルエンザ等特措法が改正される。「まん延防止等重点措置」が導入されるも、刑事罰導入は断念。

③2月11日

不適切発言を行った森喜朗東京五輪組織委員会会長を辞任。後任は橋本聖子五輪相。

④2月24日

東北新社の役員によって総務省幹部が接待されていた件が問題となる

 

 各年10件を13年分で、合計130件(+4件)のニュースを並べて立ててみました。並べてみて感じるのは、これらの出来事は、おそらくすべてが有機的につながっているように感じられることです。それもそのはず、日本という1つの国家の範囲内で、あらゆる政策を決められており、政権を奪取したならば、別の政党が政策を引き継ぐことになるためです。いくら政権交代を行い、人事を刷新したといっても、必ず連続性は生じるのです。

 例えば、消費税増税は、民主党の野田内閣時代に、1度合意を得ていました。その後、自民党に政権が移り、安倍内閣のもとで増税が断行されましたが、これは民主党時代の政策を引き継いだものと見るべきです。(ただし、小沢派を中心に、民主党内には増税反対の議員がおり、造反してでも反対の意を示したため、民主党の総意ではなかったということです)

 集団的自衛権の行使や、テロ等準備罪(共謀罪)法案は、長年にわたって検討が続けられてきたものです。共謀罪法案は、自民党小泉内閣以降検討されてきましたが、同意を得られず、国会解散とともに審議未了のまま廃案に追い込まれたものです。それでも、野心が消えることはなく、安倍内閣時代に法制化されました。

 「廃案になれば終わりではないか」と思いの方もいらっしゃることかもしれませんが、誰かの胸の内に野心が宿っている場合、何度でも復活されうるのが政治です。政権交代内閣総辞職によって、それまでの悪評が消えるかといえば、そういうわけでもなく、過去の重荷は全て背負ったまま次の世代に進むというふうに考えるべきです。少なくとも、積み重ねた歴史を無視することは、冒涜以外の何物でもありません。

 2009年に政権を失った自民党は、3年後に与党に復権したものの、官邸主導型政治の弊害により、再び窮地に立たされています。この秋の総選挙により、政権交代が起こるかどうかは現時点ではわかりませんが、起こるにせよ起こらないにせよ、今の社会から地続きで、その後の日本社会が展開されることになります。過去の延長線上に現在と未来があるのですから、過去を賛美するばかりで、まともな見識が付くとは思えません。

 政権交代を起こした方がこの国のためになるというのであれば、その方向で国を動かしていくために思索しなければなりません。政権交代ありきで、無条件に国が良くなると思い込むのは、本当に情けないことです。それでも、人々は妄信しています。都合の良い情報だけをまとって暮らせるだけの環境が、この社会には整っており、それを自らの都合のためにいくら歪めたとしても、大して支障がないのです。そのような現状を、私は恨んでいます。

 今、何かのために闘争している人たちが、これらの事実をどのように受け取っているでしょうか?いくら現体制を打倒したとて、この社会に潜む問題が解決されるわけではありません。問題は、自らの手で解決するしかないのです。それだけの気概を持ったうえで、我々は日々暮らしていると評価できるでしょうか?

 私は、そうは思いません。野党時代、あれだけ息巻いていた民主党が、いざ政権を奪取するや、急速に支持を失ったのはなぜか?その時、下野していた自民党に、捲土重来の趣は見えませんでした。そして、民主党政権が崩壊し、民主党自身も窮地に立たされるほどの経験をしたにも関わらず、下野した後は多弱に堕し、自民党には安定したことによる驕りの気が見られ、政権の座が揺らぐ状態になれば、両者は日々いがみ合いを続けている…。これが現状です。現状に絶望するのは、それなりに健全であるように見えますが、その先で彼らが求めるのは、現体制の破壊に過ぎず、本当に重荷を負う覚悟を持っているようには、到底見えません。自民党政権を崩せば、万事良くなると思い込んでいる。

 自民党政権に陰りが指せば、その政敵であった民主党を継ぐ者、またはその他の政党の株が上がります。「福島第一原発の事故は悲惨な事故だったが、この時自民党政権なら、もっとひどいことになっていた」「COV-19は人災だ。立憲民主党に政権があれば、もっと良く対応できた」ということを、根拠もなく信じ、手段と結果に多くの非難を集めた「事業仕分け」が、今度は批判もなしに賛美されるのです。もはやそう思わずにはいられないのでしょう。いったい、どこに重荷を負う覚悟があるのか?

 

 現実は、辛く厳しいものです。我々は、その現実をより良くしようと奮闘しなければなりません。歴史とは、その奮闘の跡ですが、それをことさらに軽視して良いものか。

 「失われた30年」の只中にも、多くの人が考え、立ち上がり、この国を良くしようとしてきたのです。この30年間は、たしかに黄金期ではありませんが、私はこの時代に生まれて良かったと思っています。そして、未来を良い方向に導きたいと思っています。

 歴史を歪曲するのではなく、虚心坦懐に目を向けることによって、見え方は変わってくるでしょう。目を向けることが辛くなるような現実にも、何とか目を向けることによって、多くの人が目を覚ますことに期待しています。