【第99回】outputの重要性を考える
99回目となるrerayblog、担当は田村です。
【お知らせ】
2019年11月から始めたrerayblogですが、今回の第99回をもって終了とさせていただきます。
理由としては、
・運営の私の負担増加
・このまま続けていってもその先に何があるのかが見えない
・持続する仕組みが作れそうもなかった
・執筆メンバーの多くが22卒
・キリが良かった
ということが挙げられます。前3つは私の実力不足によるところが大きいです。
たくさんの方にご愛読いただきましたことをお礼申し上げます。
--------------------
今回はoutputの重要性を書こうと思う。
(なんともrerayblogの最終回にふさわしい題材を選んだなと自画自賛)
inputばかりして何かを”やっている気になっている”大学生は多いように思う。
(かく言う私もそうでした)
inputはoutputをしてこそ意味があるのであり、outputありきでないinputは意味がない。ひたすらにinputをしていたからといってoutputが起こるわけではない。大量にinputした情報は次から次へ入ってきた情報に押されて忘れていくだけだ。人間の記憶というのはもろいもので、簡単に忘れていく。
(本当かと思う人は「忘却曲線」というものを調べてみてください)
outputはどんなやり方でしても構わない。outputは表現だ。
その方法は多岐にわたる。人に話すでもいいし、文章を書いてもいいし、絵を描いてもいい。音楽を作るのもそうかもしれないし、体を動かすのがそうだという人もいるだろう。
私は文章を書いたり、人に話すことでoutputをしていることが多い。
outputすることの良さはいくつもあるが、私が実感しているところは、
・人がアイデアをくれる
・自分の思っていたことが言語化or視覚化され、整理できる
・視覚化されるので半永久的に残り続ける
・決意表明となり、ある種の強制力が働くのでだらけない
この辺りだろうか。
ここまでは私がinputとoutputを繰り返していく中で見えてきたことを書いた。
ここからは受け売りだが、人が言っていたことをいくつか紹介する。
キングコング西野さんが言っていたのだが、
毎日「配信する」(アウトプットする)ということが決まっていれば、「ネタ」を探して生きるようになるので、吸収率が上がる
これは私も実感するところだ。
noteをやっていたり、ブログをやっていたり、定期的にFacebookで長文を書いたり、日記をつけたり、outputの場は多く持っているので、そのネタとなりうるものに対して敏感になってくる。それによりinputの質もあがるのだ。
樺沢紫苑さんの『学びを結果に変えるアウトプット大全』には
インプット:アウトプット=3:7
と書いてあった。皆さんはinputの二倍以上outputしているだろうか?
正直私もできているか怪しい時期はあった(というかずっとそうだ)
最近はそもそもinputの時間が少なくなっているのでこれくらいの割合かもしれない。
人々がoutputの機会をあまり持てていないのではないかという課題感もあり、rerayblogを始めたのである。(詳しくはこちら)
----おまけ-----
そもそものinputやoutputとは何か?という定義をしていない。そのあたりはなんとなくのニュアンスで理解してほしいが、
inputに関して、"intake"という概念を紹介したい
このブログではinputとintakeを下記のように定義していた
- 他者が構成した知識や情報が既に用意され、それをそのまま受け取り、覚えることをインプット
- 課題解決の必要や興味などを起点に、自ら知識を取り込み、理解しようとすることをインテイク
私がこのブログ内で書いていたinputはどちらかというとintakeに近かったと思う。