【第63回】「にほんごであそぼ」と「オトッペ」の魅力

 こんにちは。就活と卒論に追われている平田将達です。まあ、何かに追われ続けているのは、今に始まったことではありませんが…。

私がこんな記事を書くとは、意外に思われるかもしれませんが、感じた所を述べさせていただきます。前置きが長すぎることについてはご容赦ください。

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 NHKの受信料に異を唱える人が現れるのは、今に始まったことではありません。しかし、年々その論調が過激になってきていると感じます。元NHK職員の立花孝志氏により、「NHKから国民を守る党(現:NHK受信料を支払わない方法を教える党)」が結党され、ネットを中心に「NHKをぶっ壊す!」のスローガンが広まり、受信料への不満が高まっているほか、民放化やスクランブル放送化(契約者のみ視聴できるようにする)の議論を呼び、内閣側の人間から「Eテレ売却論」が提示されるなど、さまざまな人の思惑が渦巻いています。

 実は、「N国党」の目的は「NHK解体」ではないのですが(スクランブル化が目的)、「NHKをぶっ壊す!」のメッセージを「NHK解体」と受け取る人が一定数存在することにより、仮にスクランブル化が実現したとしても、怒りの矛先は収まらないことでしょう。

 私も、NHKのあり方については悩まされる部分はあるのですが、明確な主張をすることはできません。…というのも、数々の論説を目にして感じるのは、圧倒的なNHKへの無関心、リスペクトの欠如であり、自らNHKを視聴して、その価値を認める人の物言いではないということです。少なからず存在する視聴者の側からの意見を欠いて、視聴してもいない人ばかりが勝手な論を口にしているのが現状ではないでしょうか。議論すると言いながら、NHKなど無くて良いと考える人の論ばかりが世の中を席巻し、世論をその方向に傾けているものと、私は見なします。

 さらに、我々若年層にとっては、そもそもテレビ自体が必要とされないようです。(このような論は、たいていネットニュースや週刊誌といった媒体違いの場で展開されます)

 どのような結末を迎えるにせよ、最も重視されるべきは、放送の「質」ではないでしょうか。組織を適正化するにあたって、今の「質」を維持できないという結論になるならまだしも、NHKの持つ文化的・社会的意義に目を向ける者がなく、受信料の負担ばかりを理由として縮小ばかりが論じられる今の風潮については、少なくとも納得がいきません。

 能楽を嗜む立場から言うと、「古典芸能への招待」「FM能楽堂」のような番組は、何としても維持しなければならないと思っています。それらの視聴が少なく、また能楽に触れる人が減っているからといって、廃止してよいものではないはずです。これを許せば、潰したい分野の番組を視聴させないように国民同士で仕向け合うことによって、番組打ち切りに至らしめる余地が生まれます。そして、この論理が成り立つ土壌は、今のところNHKにしかありません。好き勝手なコンテンツを勝手に受け取ることができ、かつ需要の少ないコンテンツを人気コンテンツと抱き合わせて存続させる制度がいまだ整わない点で、インターネットは伝統芸能を支えられる段階にはないのです。また、スポンサーを有する民放においては、全くといっていいほど根付かないようです。

 

 …と、NHKの必要性を訴えてきましたが、実際にはどのような番組が放送されているのでしょうか。今やNHK廃止派の偏った論しか目にしなくなってきたので、私が気に入っている番組(能楽の良さは通じないでしょうから能楽以外で)について書いてみたいと思います。

 私は、Eテレの番組をよく見ます。恥ずかしながら、今もそれらを「卒業」することができません。2021年改編前現在、朝夕に放送されている主な番組を、放送開始が古い順に並べてみると、

 

・「おかあさんといっしょ」(1959年)

・「みんなのうた」(1961年)

・「えいごであそぼ」(1990年。2017年から「えいごであそぼ with Orton」に改題)

・「てれび絵本」(1990年)

・「ニャンちゅう」シリーズ (1992年。2018年からは「ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!」)

・「プチプチ・アニメ」(1994年)

・「忍たま乱太郎」(1994年)

・「いないいないばあっ!」(1996年)

・「ざわざわ森のがんこちゃん」(1996年)

・「おじゃる丸」(1998年)

・「ピタゴラスイッチ」(2002年)

・「にほんごであそぼ」(2003年)

・「シャキーン!」(2008年)

・「みいつけた!」(2009年)

・「はなかっぱ」(2010年)

・「ワンワンわんだーらんど」(2010年)

・「デザインあ」(2011年)

・「パッコロリン」(2011年)

・「おとうさんといっしょ」(2013年)

・「キッチン戦隊クックルン」シリーズ (2013年。2015年から「ゴー!ゴー!キッチン戦隊クックルン」に改題)

・「ムジカ・ピッコリーノ」(2013年)

・「わしも」(2015年)

・「ミミクリーズ」(2015年)

・「コレナンデ商会」(2016年)

・「オトッペ」(2017年)

・「かいじゅうステップ ワンダバダ」(2018年)

・「あそビーバー」(2019年)

・「もっと!まじめにふまじめ かいけつゾロリ」(2020年)

・「ざわざわえんのがんぺーちゃん」(2021年。「ざわざわ森のがんこちゃん」のスピンオフ)

 

 …というものが挙げられます。古いものほど、なじみのある作品が多いのではないでしょうか?かくいう私も、全て知っているわけではないのですが…。

 この中で、私は、特に「にほんごであそぼ」と「オトッペ」の2本を好んでいます。そして、知育番組としてもふさわしいと考えています。NHKの必要性を訴えるべく、この2本の魅力を紹介してみたいと思います。(ここまで前置き。まさかの2000文字オーバー)

 

にほんごであそぼ

https://www.nhk.jp/p/nihongo/ts/K8MXJPY2MM/ (NHK公式ホームページ)

 「日本語」に親しむことを目的とした番組で、「えいごであそぼ」よりも遅れて放送が始まりました。2003年放送開始ということで、我々世代にとっては、まさにどストライクと言っても過言ではないのではないのでしょうか。放送開始からはや18年。子役は3代目から5代目までが混在しており、長寿番組としての地位を確立しています。

 歌や映像を交えながら日本語に触れることができるのが魅力で、まだ言葉を覚えない小さな子どもが口ずさむ程度のやり方でも、十分目的は果たされているものと思います。もともと「幼児向け番組」に位置付けられていましたが、いつからか正式に「全年齢」向けの番組となりました。(ゆえに、「大きなおともだち」も少なからず観ている)親子のように、世代を超えて観るのに、最もふさわしい番組であると考えます。

 1週(5回)ごとにテーマが決められており、そのテーマに即した内容が展開されます。最近放送されたものですと、「擬音語・擬態語」「鼻濁音」古典落語の「転失起てんしき」、夏目漱石の作品(『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『草枕』)を題材としたものがあります。みなすべて、幼児でも親しめるように工夫されて制作されたものです。これらを大人になってから摂取することはなかなか難しいものですが、物心つく前から親しんでいたとしたら、大きな財産になりうるでしょう。

 また、それぞれのコーナーが、視覚や聴覚を最大限動員して、視聴者を画面に見入らせるような構成になっています。例えば、オープニングは、「にほんごであそぼ」を「でにあほそんぼご」のように並び替えて、子役に1音ずつ発音させるのがお約束ですが、これはひらがながもつ1字1音の分解性を視覚と聴覚で表現したものです。発音することによって、「あほ」「そん」のような語の存在を見出すことができそうですが、そこまで気付かずとも、この声が聞こえてくるだけで、幼児なら面白がって見入ってしまうはずです。

 歌や踊りが取り入れられているのも良い試みで、文学作品や民謡がそのまま歌詞になっているものが多くあります。…ということは、これを覚えれば、知らず知らずのうちに、それらの一部を暗唱することになります。謡曲の一節を暗唱することがどれだけ難しいかを考えると、全国の子どもたちが何気なく文学作品を覚えてしまうのは、とんでもないことのように思われます。

 歌自体の完成度も高く、初期には「でんでらりゅうば」(長崎県の民謡)が人気となり、2015年には、「恋そめし」(百人一首や各地の方言を交えたオリジナル曲)が一躍ブームとなりました。特に「恋そめし」を歌った「ちーむ・をとめ座」(森穂乃佳・奥森皐月・中山凜香・田辺まり)は、CDデビューを果たしたほどです。

https://www.sukusuku.com/contents/17230 (NHKエデュケーショナル ホームページ)

 

 百人一首のコーナーも素敵です。これは、詠みあげる声に従って、子役の1人と勝負する形式になっているのですが、私の真剣さが足りないためか、なかなか覚えられません。先日のあもんくんとの回では、惨敗してしまいました…。(あもんくんは3文字目あたりで札を取りました。暗記済みでしょうか?)

 初期の「にほんごであそぼ」を覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが、その頃とは内容がやや変わっています。それは、

・コニちゃん(KONISHIKI)がメインを退き、みわサン(美輪明宏)に交代。

狂言のコーナーには、野村萬斎氏に加え、ご子息の野村裕基氏も出演するようになった。

うなりやベベン(国本武春)氏が逝去されたため、新規の出演はなくなったが、再放送映像によって名義上は今も出演し続けている。

 

といった違いです。初期の4:3映像もいまだに再放送されることがあり、特に懐かしく思います。2020年からは、あいだのじいさん(声:中尾隆聖)も出演するようになったので、「アンパンマン」のばいきんまん、「ドラゴンボールZ」のフリーザ様並みのネームバリューになることを期待したいと思います。

 この番組がいつまで続くかはわかりませんが、日本人の教養の土台を支える番組として、長く愛されることを望みます。

 

オトッペ

https://www.nhk.jp/p/ts/6X8L7Z8VK8/ (NHK公式ホームページ)

https://www.youtube.com/c/オトッペ町役場公式チャンネル/featured (YouTubeチャンネル)

https://twitter.com/otoppetown (公式Twitter)

 身の周りの「音」をテーマとしたアニメ作品です。放送開始が2017年ですので、我々世代にはなじみがないかもしれません。

物語は、世界一のDJを目指す少女のシナスタジア(通称:シーナ)がオトッペタウンにやって来るところから始まります。そこは、音から生まれたという「オトッペ」たちが暮らす世界で、シーナは部屋を見つけて、オトッペたちと一緒に暮らし始めます。

 毎回、何らかの「音」をテーマとしたエピソードが繰り広げられるのですが、全体としてナンセンスギャグの作風が強く、子ども向けとしての性格が強い作品です(…が、なぜか「大きなおともだち」が少なからず観ている)。とにかく、設定がいちいちナンセンスで、全ての登場人物が、何かしらぶっ飛んだ発想を持っています。

 主人公のシーナの場合、世界一のDJになるという夢を持っているためか、音に対しての興味が人一倍強く、珍しい音を耳にすると、いてもたってもいられなくなるようです。新キャラのイシマルに対しては、DJプレイの素材(音)を提供させるために、ストーキング行為を繰り返しています。そのおかしさは、幼児の目にも十分滑稽に映ることでしょうが、とにかく音を全力で集めようとする姿勢が、子どもに向けてもわかりやすく提示されています。

 対して、風のオトッペであるウインディは、その愛らしい見た目に反して、畜生のごとき発言を繰り返します。お腹が減ったときには「ねえシーナ、女の子は常にチョコを隠し持ってるんでしょ?出してよ」と口走り、ウッドウッド(町長)が落語を披露する際には、ウッドウッドがひとりごとを言ってついにおかしくなったと本気で心配するなど、ひねった発言が目立ちます。

 そもそも、キャラクターの行動心理をいくら図式化したところで、子どもに伝えるのは難しいことなのですが、キャラクターの数々が愛らしい見た目をしていて、笑わせるような発言を繰り返すことによって、自然と作品世界に引き込まれていくのです。

 エンディングテーマは半年ごとに交代しますが、その全てに振り付けをともなうダンスが付いていて、音に題材を取った歌詞と凝った曲調であることから、身体を使って音を感じることができます。さらに、番組公式アプリの「オトッペずかん」は、身近な音を録音することによって、我々の身の回りにある音に気付くきっかけを与えており、その一部が番組の中で紹介されるのも良い仕掛けです。(ただし子どもはスマホを持っていない)

 このアニメには再放送が多く、同じエピソードを何度も目にすることになるのですが、それでも飽きることなく楽しませて頂いております。振り返ってみると、初期のシーナはセリフがとても多かったことに気付きます。(今は少し減りましたが、その分言動が常識外れになりました)最近、初期の名作エピソードである「ウインディの春いちばん」が再放送されて、懐かしく感じました。

 「ドップラー効果」など、音に関する豆知識に題材を取ったエピソードもありますが、それよりは身近な音について気付きを与える趣旨のものが良いと思っています。いずれにせよ、理論の説明は簡単に済まされていて、ギャグテイストの物語の中に説明が加えられているので、楽しみつつも学びになるという構成には矛盾しないと思います。

 花火のオトッペ・ハナビートや、お菓子のオトッペ・パティシーモフなど、面白いキャラクターが多数登場しますが、私がもっと活躍を見たいのが、ガラスのオトッペ、グラストンです。丸いフォルム、オネエ口調など、いかにもボケキャラを思わせる派手な見た目ですが、意外と受けに回ることが多く、シーナとハナビートが一日町長になった回では、2人が承認した条例により、彼の屋敷がロケットに改造され、屋敷ごと宇宙に飛ばされてしまいました。

 きわめてナンセンスな作品ですが、根強く愛されているようで、今年の秋には「映画化」されることが決まりました。(これは全く予想外でした…。できれば観に行きたいと思います)

 

 ここまで、「にほんごであそぼ」と「オトッペ」の魅力について説明してきました。これらの魅力をいくら説明したところで、大人になってしまった私たちには伝わらないかもしれません。しかし、有益な番組もあるということと、その良さについては、どうか知っていただきたいと思います。

 NHKの改造を訴える人は、NHKは民放と変わらず、さらにネットで補えると考えることでしょうが、それらとはなお一線を画していると私は考えます。この論争がどのような決着を見るかはわかりませんが、番組の良さやNHKという場の土壌を十分見極めることのないまま、「改革」が先行されることには懸念を覚えます。いずれにせよ、番組の質を落とさないことを念頭において頂きたいと思います。

【第62回】隠れる貧困学生

(この記事は作成者の主観が含まれます。一般的な事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。)


 3月23日もそろそろ終わりを迎えようとしています。rerayblogの更新を忘れていたまえだです(^^;

 大学受験の荒波をくぐり抜け、春からは大学生となります!たくさんのことを学びたいと思います!

 春は進学、就職、転勤などなど新たな出合いが多いシーズンですよね!そこで重要なのがお金との付き合い方ではないでしょうか?
 今回私がお話しするのは『見えない貧困』についてです。


 私は春から上京して大学生活を送るのですが、なんせお金がない!!そこで奨学金を申し込み、学生寮を申し込み…カツカツの予算設定で準備を進めてきました。しかし、両方とも採用ならず( ;∀;)

 ここで私がお伝えしたいのは、共働き家庭の貧困格差についてです。

 私の家は両親が共働きですが、母親の体調が芳しくなく、収入のおおよそは父親が取り持っています。条件はほぼ父子家庭と同じです。

 ですが国からの奨学金は利子アリで少額しか借りられず…学生寮も借りられず…
 逆に周りの母子家庭・父子家庭の方が潤っていると言う現状もあります(一概にとは言いませんが)

 なにも、母子家庭・父子家庭が多く支援を受けていると言いたいわけではありません。これは受けて当然の権利です。

 私は、共働き家庭にも支援を広げるべきだと考えました。よく日本は教育にお金を掛けるべきだ、と言う記事をみます。日本はOECD諸国のなかで、予算に占める教育の割合が最低基準です。
 
 少子高齢化が進む一因に、子供を育てるための教育費が高額であるという事実があります。日本の明日を担う子供たちを育てるためには、教育にもっと投資するべきではないでしょうか?
 
 子供がお金の心配をせず、学びたいことを学べる。自分のやりたいことを実現できる社会を切望すると共に、私は親への感謝を忘れず大学4年間を全うしようと胸に誓うのでした___。

 今回は真面目に書いてみました(^^) こういった現状があることが多くの方に伝わってほしいです。

【第61回】旅に出たい

どうも、お久しぶりです。ぐっさんこと山口友之介です。

 

旅に出たい!!

 

突然僕の心の中に現れてきました。長期休みは必ずどこかに行っていた僕が今年は何故出掛けないのかと自分に驚いているようです。

今まで多くの地域を走ってきましたが、あの光景やご当地グルメ、そこにしかない雰囲気など忘れらません。

何も不便のない生活に少し飽きてしまいかけた時にこういった想いが出てきるのかもと思っています。

 

就活そしてコロナ禍でなかなか長期の旅には出ていませんが、この前近くの嵐山地域で日帰りキャンプしてきました!

キャンプの時は時間のかからないパスタなど中心で作っていたのでこれほど真剣に作った料理は初めて。笑

時間をかけて料理をするのはいいもので、結構ハマった。キャンプ料理だから塩加減とかあまり気にしないで作れるものばかりで大雑把な僕でも気軽にできた。

缶詰の鯖の味噌煮にピザとかに載せるチーズをのっけてプチトマト添えれば完成。

ものの5、6分あれば美味しく出来上がる。

 

今度は冷凍餃子買ってきてホットサンドメーカでパリパリに焼いてみたいなー!笑

飯のクオリティーあげれば、もっとキャンプが楽しめるんじゃないかなって思いました!めんどくさがり屋の僕でも簡単に作れるものもっと探さないとー

 

今回はこれで終わりです!最後まで見ていただきありがとうございました!

次回の前田さんに乞うご期待!!

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川とランドナー

【第60回】自分を受け入れること

こんばんは!

花粉症に苦しむKがお送りします。


ブログって難しいですよね…何書こうかな。

最近、毎日をエンジョイしてる実感があります。でもそういうのを言葉にして公の場に出すって意外と頭を使うものですね笑


私自身の最近の大きな変化を2つシェアします。

もうね、誰に読んで欲しいとか考えられなくて、、、ごめんなさい!

文章を書く習慣、つけたい…




①承認欲求と戦っていこう!


アドラー心理学の本を読みました。

自分と今に集中することが大事だよねーっていうのが印象に残ります。そのほかにもいろんな要素はあるのですが、1番グサッとくるのは承認欲求についてでした。

承認欲求に従って、他人に期待された通りに行動するのって自分がしたくてした行動ではないし、アドラー心理学としては承認欲求は否定するよ、というような話。

自分が他者にとって有益であると実感することで幸福を得られるけど、承認欲求が出発点だとちょっと違うよねー、とのこと。


伝わるかな…笑 


たしかに、自分を受け入れて好きになって他人に振り回されすぎないことは大事ですよね。

でも人間である以上誰かしらと関わりがあり、相手に認められたいと思うのはよくあること。

特に今の私のように、環境の変化や孤独感が待っているに違いない中で、自分だけで自分を認めてあげられる気がしない…


弱音を吐くようですが、そんなときこそ一歩引いて「そういう自分がいるなー」と思うことにします。


承認欲求のことは長期的な課題としておいておき、自分による承認だけで自分を幸せにできるような土台をまず作っていくぞー!!!




②自分と向き合うって大事


小学校〜高校生時代、自分自身を判断する材料は成績や順位などの客観的で相対的な数字と、人からの態度だけでした。

私より成績が悪い弟が親によく褒められて、構ってもらってて、意味がわからない。正直消えたくなることが何度もありました。

常に自分の嫌なところしか見えなかったです。


でも大学に入って学校外の人との関わりが増えるにつれて、自分の良いところを見つけられるようになりました。

特に学校外の人と関わる際には、自分が何者であるかを示す必要があるからです。

目立ちたい、覚えてもらいたいとの思いから、まずは周りと比べる中で自分のアピールポイントを見つけていきます。

アピールポイントといえば何か優れたところを言うべきなのだと思いますが、周りと比べて1番になれるものって、多分ほとんどの人はないのでは…?

すると自然と、「1番でなくてもいいから、自分の良いと思うところ」を探すようになります。


その練り直しの中で、自分を知り、自信をつけていく。これが私にとってとても大事な意味を持つ経験になったと思います。

自分に正直に、理想像に向かおうとするきっかけになったからです。


理想を捉え、そこに向かって挑戦できるようになると、人生はグッと輝くと思っています。

挑戦しようとする自分を信じられるようになってほしい。そのためにまず自分と向き合って、ありのままの自分を受け入れて欲しい。


私はそういう機会を作りたいです。



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発展途上の文章ですが、読んでくださってありがとうございました!


おしまい




【第59回】キャッチボールから始める学問

どうも。くぼはるです。

 

今回は遊びに関してのお話。最近小学生の頃のクラスメイトとキャッチボールをする時間が出来た。ひょんなところからインスタグラムで会話が盛り上がり、久々にキャッチボールをすることとなったのだが、これがまた面白く、奥深い。100km投げることが出来たらかっこいいね何てことを話しながらあっという間に時間が過ぎ、気がつけば4時間もグローブと一つのボールで遊び続けていた。この感覚は懐かしく新鮮で、まだまだ自分は捨てたもんじゃないなと感じることが出来たのだが、、、、

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【疑問】「遊び」って何だ?気になり始めてしまった。

 

遊ぼうと言われて、皆さんはいったい何をするのだろう。

 

成人してからの僕は大抵の場合、遊ぶ=お酒と解釈していた節がある。歌いながら、食べながら、語りながら、何かの行為のそばにいつもお酒が絡んでる。もちろんお酒は大人の特権だし、おいしく飲めればお酒は楽しくおいしいものだ。しかし、しっかりと「遊ぶ」という体験から遠ざかっている人が多いのではないだろうかと。そう感じた。

「遊び」とは一体何なのか。

小学生の頃に遊ぼうと言われたら何をしていたかを思い返してみる。もっぱら外遊びが主で、サッカー的な何かや野球的な何か、その他ルールに縛られないボール遊び、ボールが一つあれば僕たちは何時間だって遊ぶことが出来た。

中学生の頃はどうだろう。実は中学生の頃の記憶がおぼつかないので何をしていたか定かでないのだが、この頃から外を走り回るような遊びは減った気がする。しかし、なかったわけではない。たぶん。

高校生にもなると、遊ぶ過程でそこそこの出費が伴うようになる。会話が遊びに含まれ、友人や恋人と食事をすることが手軽な遊びのひとつになる。他にはボウリングやカラオケといった遊戯施設の利用も増えていく。

(ここまであえて触れなかったが、どの年代にもゲームという要素がさらに加わる。)

 

【考察】こう振り返ると思考の発達に伴って、コミュニケーションが一種の娯楽、遊びとして確立していくのがわかる。そうした反面、思考を軸にしないような遊びをする時間は失われていくようだ。

 

調べてみると「遊び」に関しては長い事研究がされているようで、歴史研究者のホイジンガは人をホモ・ルーデンス(遊ぶ人)と説いたそう。「遊び」こそが人間の本質なのだと。また、ホイジンガは著書の中で、「遊びは遊び以外の何者かのために行われる」と述べている。

友人とのキャッチボールも、運動不足解消という理由を孕んでいなくはない。しかし私たちが何も考えずに遊んでいたはずの幼少期の「遊び」も、無意識ながら理由が存在するのだろうか、非常に興味深いと感じた次第。

 

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こうやって身近な疑問から深めていけるのが学問じゃないんだろうか。何かに触れた時に感じる、なんで?どうして?を図鑑で調べられる純粋さを持っていられる時代は過ぎたのかもしれない。でも、その頃にはなかった、もっと深く学べる思考が私達にはある。軽く調べるだけでも、疑問・考察・仮説がどんどん生まれてくる。その答えを見つける過程は楽しいに違いない。

 

今回は遊びに関しての疑問やそれを調べる動機を綴った。これからしっかりと文献を読んで自分なりの考察がまとめられたらと思うけど、卒論は別の事を書きます。

 

最後に

早くコロナ収束しないかな!

 

それでは。

【第58回】休むって大事だと思うんですよ

rerayblogの順番が回ってまいりました。今週は私、たむらの番です。

 

暖かくなってきたと思ったら今日は少し肌寒くて、私が今いる島根では週末にかけて雪が降るなんて言われていたりもします。

 

しかも私は昨日から花粉症の症状が出始めて(だいたい毎年バレンタインくらいから花粉が飛ぶと言われていますね)、特に今日はひどかったんですけど、花がずっとズルズル、くしゃみも止まらない、そんな一日でした。

 

喘息持ちは腹筋が割れる(咳のし過ぎで)なんて言われますが、私は花粉症も同じではないかと思っております。
くしゃみって意外と全身運動で、しかも最低でも3回、多い時は5回や6回も連続してくしゃみが出ます。しかも一セットを一日に何回も。疲れるんですよ。

このご時世なので、人込みでくしゃみしただけで睨まれることもあるでしょう。花粉症の人が生きにくいかもしれません。

 

そして花粉症の時期になると鼻が詰まって声が曇るんですよ。しかもカラオケに(あ、1人で行きました)行ったのでさらに声が枯れて、今日はガラガラです。皆さんに聞かせられないのが残念(笑)

 

-------------------なお、ここまで余談---------------------


最近「今何してるの?」と聞かれることが多い
(最近に限らずよく聞かれますが(笑))

今日も聞かれたのだが、「休んでいる」と答えた

 

私は大学生なもので、2月から春休みに入ったわけだが、
1月までの後期はかなり忙しく動いていて、

・フル単の授業
・企業で長期インターン
・教育NPOで長期インターン
+これまでも行っていた活動を継続

をすべて同時進行で行っていた。
オンラインで家に引きこもっているからこそなせる業だ。
実際授業はほとんどオンデマンド形式で、週に1時間だけ対面の授業があり、その時だけ大学に通っていた。

なので結構疲れていてですね、趣味の本も読めてないし、ただ目の前のタスクをこなしていただけだったように思える。

 

なので春休みは「休もう」と思っていた。

 

実際今は結構休めている、けど、なぜかそれなりに忙しい(笑)

集中講義があるのと、学部柄実習があるのと、あとはプライベートでオンラインの予定など。
まあ、暇なのもつまらないとコロナ初期で悟ったので、ありがたいことに充実した日々を送っている。
プライベートでオンラインの予定も、これまで培ってきた人との”ご縁”で頂いたものばかりだからだ。

 

繫忙期に比べれば今はそれなりに時間もあり、いい塩梅に生活している。
なんだか「生きている」感覚がちゃんとあるというか、マインドフルというか、
表現が難しい。。。

 

 

休まずに無理やり進もうとして痛い目を見た過去があり、思い切って休むことを決意したことがある。
その判断はのちに正しかったと私は感じていて、そこから休むことの大切さを感じている。
私の価値観のうちの大きな1つだ。