【第56回】読むと幸せになれます

こんにちは。最近自分の伸び代を発見しすぎているかわはらです。



さてみなさん。いま、幸せですか?

幸せになりたいですか?


うんうん、いま既に幸せかもしれないけど、もっと幸せになりたいですよね。




では、幸せって何でしょうか。



私にとっての幸せを共有させていただくと、幸せってほっこり×感謝だと思っています。


私が幸せだって感じるのは、ほっこり、心が温かくなる瞬間です。


心が温かくなる瞬間って、たいていそのときの状況や、その状況が生まれることに関わっているもの・人・環境に感謝できる瞬間だと思います。




例えば、目が見える人。目が見えるから、あなたの好きな人やもの、景色が見られますよね。

目が見えるということは、目が見えるように生んでくれた人がいて、目が悪くなっても大丈夫なようにメガネやコンタクトを作ってくれた人がいるってこと。その人たちのおかげもあって、目に見える世界を楽しめている。

幸せだなぁ。そう思いませんか?



あとは、おいしいものを食べられること。

今日の朝食べたパン。パンを作ってくれた人がいて、パンの原料を育ててくれた人がいて、パンをお店に運んでくれた人がいて、、、

日常のかけらを切り取ってみるだけでも、多くの人の力によって生きられていることを実感できます。

幸せだなぁ…



という具合に、今あるものに目を向けてみると意外と簡単に幸せな気持ちになれます。

ん? 目が見えるなんて、当たり前?? そうでしょうか。世の中には目が見えない人もたくさんいます。

安心して寝られるなんて、当たり前?? 寝床がない人や、命を狙われている人もいます。

当たり前ではないです。日本でも、ほんの80年前くらいまで安心して寝られる環境はなかったのではないかと思います。


今のままでも、充分幸せだと思える要素がたくさん見つかるはずです。


もちろん、嫌なこととか大変なことはたくさんありますよね。

でも、少しだけ! 今の自分に想いを馳せてみてください。

歩けること、目が見えること、生活できること、仲間がいること、、、

些細なことでも、その背景まで想像を膨らませると、自分も幸せだなって思えるのではないでしょうか?


ぜひ、毎日のちょっとした時間に、幸せを見つけてみてください!


これでもう、あなたは幸せになれます!


読んでくださった方が実践に移し、幸せを感じられることを祈っています。


読んでくださって、ありがとうございました!


【第55回】松江の冬を勝手にレビュー! 1989~2020

 10月以来の登場になります。平田将達です。

 今回の記事は、「ムダ知識」を追求した末に生まれたものです。純粋な興味が高じて調べてみたもので、これでも本人は満足しております。読み物のつもりで気楽にお読みください。

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 私が島根大学に入学し、松江の街に引っ越してきたのは、2018年4月のことでした。雪が少ない瀬戸内側から来たということもあり、松江の気候にはなかなか慣れずに、どんなものかと思っていたのですが、やはり気になるのは冬でした。

 周りの方々が、「松江の冬は厳しい」と言うのです。もちろん雪は積もるでしょうから、長靴や上着は準備していたのですが、あれから2度目の冬が過ぎても、雪に悩むことは全くと言っていいほどありませんでした。その一方で、古くから松江に住む人は、雪に気を付けろと何度も言い聞かせるのです。

 このギャップは何なのかと思って、気象庁のホームページで、過去の気象記録を調べてみました。その結果、「暖冬」と「厳冬」の違いに尽きるということがわかりました。私が2018年4月に住み始めてからというもの、2019年と2020年の冬は「暖冬」。それに対して、2018年は、明らかに「厳冬」というべきものです。私が引っ越してきた2018年4月という時期は、「厳冬」を超えた直後にあたる時期でしたので、2018年の厳冬を松江で越した人にとっては、雪のイメージが強く残っていたものと思われます。

 今年2021年は、ラニーニャ現象の発生もあってか、「厳冬」が予想されていました。予想通りの低温・積雪がやってきて、過去2年間とのギャップを見せつけられている最中です。この記事を書いている今(1/11 6:55)も、窓の外を見ると、しんしんと雪が降っているところです。

 

 ところで、これまでの松江の冬の寒さを、定量的な数値で表すことはできるものでしょうか。「寒さ」という主観に対応する尺度は存在しないので、私が勝手に決めた基準に沿って、平成元(1989)年~令和2(2020)年までの松江の冬を、なんとなく「レビュー」してみたいと思います。

 

 その前に、まず松江の冬のステータスを、他の都市と比べてみます。

 ここでは、特定の1年の冬を取り出しても仕方ないので、気象庁で公開されている「平年値」(1981年~2010年)のデータを借用します。本来なら、私が決めた基準を持ち出したいのですが、松江の分を調べるだけで、相当な手間でしたので…。

 

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 これを見ると、瀬戸内側や太平洋側の各都市より積雪が多いことは明らかです。その一方で、中国山地沿いや、北陸・北近畿沿岸の各都市と比べれば、少ないようです。また、同じ日本海沿岸の鳥取と比べても、降雪量が半分未満ということで、この部分からは、はっきりとした差を見出せそうです。

 この点をご理解いただいた上で、1989年から2020年までの松江の冬の寒さを、次の6つの尺度によって、レビューしてみたいと思います。

 

①総降雪量(cm)

 雪が多ければ、厳冬というべきでしょう。こまめに積み上げた積雪なのか、1度にドカッと降った雪なのかは問いません。とにかく、量が多ければ、高く評価します。

②連続積雪日数(日)

 降るだけでは不十分です。1cm以上の積雪が続いた連続日数を、日数単位で評価します。積雪が0cmになった時点で、記録は途切れるものとします。

 観測は、1989年3月31日までは、その日最も深かった時の積雪、1989年4月1日から1999年12月16日までは、9時・15時・21時の1日3回、1999年12月17日からは、毎時0分の1日24回の観測ですので、厳密には均質な比較ではないのですが、データの制約上、そのまま扱います。

③最深積雪(cm)

 言うまでもなく、その冬で最も深かった積雪の比較です。

④最低気温記録(℃)

 その冬で、最も寒かった日の最低気温です。晴れの日に観測することが多いと思われます。

⑤最寒月平均気温(℃)

 最も寒かった月の平均気温です。1月に観測する月と、2月に観測する月があり、実は12月に観測した年があります。

冬日日数(日)

 冬日(最低気温が0℃未満の日)の日数を数えます。

※1年の始まりと終わりは、「寒候年(前の年の8月1日から、その年の7月31日まで)」を採用します。つまり、1989寒候年とは、1988年8月1日から、1989年7月31日のことです。以下、1989寒候年のことを、ここでは「1989年」と呼びます。

 

 以上の6項目のそれぞれについて、32年分を調べました。その中から、3位~1位とワーストの年を、「部門賞」として発表します。また、6項目を総合して、「総合賞」の5位~1位とワーストを、私の独断で発表します。それでは、参りましょう。

 

[① 総降雪量部門]

3位 2006年 127cm

2位 2000年 134cm

1位 2011年 166cm

 

 いずれも、ものすごく大雪の年です。「ドカ雪」有利の項目ですが、いずれも1度のドカ雪でランクインできるほど、甘くはありません。まとまった積雪を何度も重ねることによって、高い順位になるようです。

 続いて、ワーストを見ていきましょう。

 

ワースト3位 2020年 20cm

ワースト2位 1998年 19cm

ワースト1位 2019年  6cm

 

 ………。年間で20cm程度なら、まだ降ったような気にもなるのでしょうが、2019年の「6cm」とは…。やはり、私が松江に来てからの2年間が、どちらもランクインしています。積もったことを記憶してはいます。

 

[② 連続積雪日数部門]

「11日」の年が3年ありました。より詳細に、時間単位で検討すると、

4位 1995年 11日(240~245時間)

3位 2018年 11日(245時間)

2位 2000年 11日(250時間)

1位 2011年 37日(869時間)

 

 …2011年の「37日」が、あまりにも飛びぬけすぎています。2010年12月31日から、2011年2月5日まで、積雪状態が続いていたのでした。いわゆる「根雪」(連続積雪30日以上)なのですが、松江で観測した例はほとんどなく、いかにこの年が寒かったかを物語ります。

 

続いてワーストなのですが、こちらは「3日」の年が、8年あります。

1989年 3日(時間単位の検証不能)

2002年 3日(39時間)

1998年 3日(42~47時間)

2007年   3日(47時間)

2016年   3日(47時間)

2010年 3日(48時間)

1997年 3日(54~65時間)

2019年 3日(56時間)

 

 1999寒候年以前で時間単位の比較ができないのが残念ですが、1989年でないとしたら、2002年を、一応のワーストとみなしたいと思います。2日以内に全て溶けてしまった年はないことがわかりました。

 

[③ 最深積雪部門]

3位 2017年 39cm

2位 2018年 49cm

1位 2011年 56cm

 

 1989年以降の記録を集計したのですが、なぜかトップ3が2010年代で埋め尽くされてしまいました。

 雪国では当たり前のことですが、松江では、40cm~50cmといった積雪はめったにないということです。これが鳥取ならば、頻度がそれなりに上がるのですが、それでも頻繁なことではありません。

 

ワースト3位 2013年  8cm

ワースト2位 2002年  7cm

ワースト1位 2019年  4cm

 

 こちらも、2000年代以降のみがランクインしています。この程度の積雪なら、運動靴でも歩けそうです。

 

[④ 最低気温記録部門]

3位 2004年 -5.4℃

2位 2003年 -5.8℃

1位 2018年 -7.0℃

 

 松江の街は、瀬戸内側と比べると、底冷えは激しくありません。冬の日照時間が短く、晴れることが少ないので、放射冷却による寒さはひどくないのです。よって、-5℃を下回ることは少ないようです。その中で、2018年の-7.0℃が際立ちます。出雲では、さらに低い-8.4℃を観測しました。

 

ワースト3位 2008年 -2.2℃

ワースト2位 1993年 -1.8℃

ワースト1位 2007年 -1.5℃

 

 底冷えが激しくないとはいっても、強めの寒気が入ってくるならば、-2℃くらいは観測されそうなものです。そうならないような、暖冬の年にこそ、-1℃台が最低気温記録になるのでしょう。

 

[⑤ 最寒月平均気温部門]

3位 2008年 3.2℃

2位 2012年 3.1℃

1位 2011年 2.0℃

 

 2011年の2.0℃(1月)が飛びぬけています。2月は5.3℃と、むしろ平年を上回っているので、1月だけが極端に寒かったということです。④で見た通り、2008年は、1年で最も寒かった日の最低気温がワースト3位なのですが、平均気温は3位の低さです。

 なお、「最寒月」は、1月の年と2月の年があるのですが、2006年のみ12月(2005年12月)の観測です。1月が4.1℃、2月が4.7℃でしたが、12月が4.0℃と、12月としては断トツで低い気温でした。12月があまりに寒かったため、12月の記録を超えられなかったのです。

 

ワースト3位タイ 1989年 5.6℃

ワースト3位タイ 2007年 5.6℃

ワースト2位   2019年 5.8℃

ワースト1位   2020年 6.4℃

 

 またしても、2019年と2020年がランクインです。2020年は、1月の平均が7.0℃、2月が6.4℃でした。3月の平年が7.6℃ですので、1月が3月の気候に迫っていたことになります。

 また、昭和から平成に改元した1989年もかなりの暖冬で、1月の平均気温は、88年12月と同じ6.3℃です。平成改元(1月8日)の瞬間には、雪ではなく雨が降っていて、気温は11.2℃と、冬とは思えない気温です。

 

[⑥ 冬日日数部門]

3位タイ 2011年 35日

3位タイ 2018年 35日

1位タイ 1996年 38日

1位タイ 2006年 38日

 

 上位にランクインした年の最低気温を眺めていると、どの時期に冬日が多いかは、年によって性格が異なります。2011年と2018年は、12月の時点で冬日は2~3回しかなかったのに対し、1996年と2006年は、それぞれ6回と8回観測しています1996年は、2月だけで16回、2018年は17回、2011年は1月に15回、3月に10回と、恐ろしい冬日のラッシュが見えてきます。また、1996年は4月4日に冬日、1997年は(96年)12月1日に冬日と、かなり早い・遅い段階での冬日も見当たりました。いつ寒さがやってくるかは、その時次第ということです。

 

ワースト3位 2007年 13日

ワースト2位 2019年  9日

ワースト1位 2020年  5日

 

 またしてもこのメンツです。年内に冬日を観測しない年は、近年増えつつありますが、2020年の場合、12月はおろか1月でさえ、1度も氷点下になりませんでした。記録の「5日」は、全て2月に観測したものです。極端な暖冬であるといえます。

 

 なお、冬日のうち、真冬日(最高気温が0℃未満)を観測したのは、以下の通りです。

1991年2月23日 -1.3℃

2016年1月24日 -0.4℃

2018年2月6日  -0.3℃

2018年2月7日  -0.1℃

 さらに、集計の範囲外ですが、2021年1月8日も真冬日(最高-0.6℃)でした。暖冬のはずの2016年にも観測されているあたり、いつ観測されるかは予測できません。2018年は、2日連続で真冬日となったということで、松江としては想像を絶する寒さです。

 

 …以上で、各部門のトップ3とワースト3を発表し終えました。それぞれ年の記録は、次の通りです。(赤字:トップ 橙字:トップ2,3 水色字:ワースト2,3 青字:ワースト)

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 続いて、グラフで表示します。棒グラフは上にあるほど寒く、折れ線は下にあるほど寒いことを表します。

※連続積雪日数は、2011年の「37日」があまりに飛びぬけすぎているので、2位の「11日」を100%で表示しています。2011年は「336%」となります。

 

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 では、このデータをもとにして、総合順位を、5位から発表します。

 

[5位 1996年]

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[4位 2006年]

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[3位 2000年]

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[2位 2018年]

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[1位 2011年]

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 ここまで、名だたる冬の数々を紹介しました。これらは、みな住む人を苦しめる類のもので、交通への影響も少なからず出たことでしょう。

 逆に、ワーストを選ぶとしたら、この年です。

 

[ワースト 2019年]

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 正直、2020年とどちらを選ぶか悩みました。気温は2020年のほうが高かったのですが、ひと冬のうちに全くといっていいほど雪が降らなかったという点で、2019年が上回っていると判断しました。どちらも規格外の冬です。地球温暖化が進めば、このような年は増えるのでしょうか。

 

 1989年から2020年までの中では、2011年があまりにも強く、無双状態になってしまったのですが、ならば「昭和」の時代に目を向けると、どのような比較になるでしょうか?19世紀以降の200年間あまりには、全体として「地球温暖化」の傾向が見出せるので、さかのぼれば、平成以降では考えられないような寒い年の記録が見つかるはずです。

 …ということで、観測史上最強クラスの厳冬である、次の4度の冬を「召喚」して、今回のトップ3、ワースト2と比較してみます。

 

 1963年…「三八さんぱち豪雪」。異常寒波が日本を襲った年。総合力では観測史上最強。

 1971年…冗談では済まされないレベルのドカ雪に悩まされた年。

 1977年…ひと冬を通じて何度も大雪に見舞われる。2月には異常低温。

 1984年…冬のほとんどの期間に積雪があった。2011年を全体的に強化したイメージ。

 

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 平成以降に限れば、特筆すべき厳冬であった2011年も、これらの冬と比べれば、まだマシに思えてしまいます。松江に長年住んでいる人にとっては、特に1963年(三八豪雪)の記憶が色濃いようで、昔話として体験談を教えてくださいます。

 今後、「異常気象」として、平成や令和の常識では考えられないような冬がやって来ることを考えた場合、これらの事例と比較する必要が出てきそうです。地球温暖化が進んで、夏が暑くなっているぶん、ここまで厳しい冬に襲われることは考えにくいのですが、「ドカ雪」が生じる可能性は、心の片隅に留めておきます。

 

 最後に、ラニーニャ現象によって、寒くなるとされた今年2021年の寒さを、この尺度に当てはめてみます。1月11日時点での暫定記録を、この尺度に当てはめてみようと思います。

 

総降雪量    63cm

連続積雪日数  7日(12/30~1/5)

最深積雪    26cm(12/31)

最低気温記録  -3.9℃(1/7)

最寒月平均気温  6.7℃(12月)

冬日日数    6日

 

 まず、総降雪量ですが、年末と年始の大雪により、稼いできた感があります。1989~2020年平均の61.5cm、中央値の55.5cmを、すでに超えています。どこまで伸びるかは、現時点ではわかりません。

 続いて、連続積雪日数。1月12日現在で積雪状態にあり、7日から続いているので、13日まで雪が残れば年末年始の記録に並び、14日まで残れば更新となります。14日まで残る可能性は低く、また今後8日以上連続で積雪するほどの大雪が来るとは限りません。

 最深積雪の26cmは、ドカ雪のなせる業でした。年始には気温が上がり、追加で雪が降ることはなかったので、長続きはしていません。

 最低気温記録の-3.9℃は、注目に値するものです。数字自体はそこまで珍しくありませんが、実は1月7日の日中に観測しているのです。

 最寒月平均気温は、現時点では12月のデータしかないので、12月の6.7℃を載せるしかありません(12月としては平年並み)。1月1日~11日の平均気温は1.9℃と、かなり低い状態でした。これから上がることでしょうが、どうなるでしょうか。

 冬日日数は5日で、12月31日まで観測がありませんでした。立ち上がりが遅かったぶん、日数は少なめです。

 季節予報を見てみると、これからの気温は、平年並みか高めで推移する予報になっています。これでは、寒気は流れ込みにくいことでしょうが、まったく冷えないとは言い切れません。まだわからない部分が多いので、これからの気象情報を注視しましょう。

 

 32年分の記録に照らせば、これからの寒さがどの程度に位置付けられるべきものなのか、ある程度わかるようになります。それが、この記事を書いたことによる「収穫」です。

【第54回】プリキュアと表現と多様性と

どうも。くぼはるです。

新年明けましておめでとうございます〜!このブログ新年一発目は僕が担当です。2020年はウイルスだなんだかんだとしていたら、時間はあっという間に過ぎ去り、2021年が始まりました。昨年はコロナウイルスを言い訳に何もしなかった一年間で非常にもったいなかったなと感じています。皆様はどんな一年を過ごされたでしょうか?

ちなみに今年の目標はバジルを育ててジェノバペーストを作り、家で自家製ジェノベーゼパスタを食べる事をつい先日掲げました。美味いよね、ジェノベーゼ

 


こっから本題。

 


皆さん。プリキュア観てますか?僕は観てないです。今回は2019年から2020年にかけて放映されたスター☆トゥインクルプリキュアから、プリキュアと多様性、そしてアニメの表現について考えていく。

 


それではご一緒に、

 

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「宇宙に描こう!ワタシだけのイマジネーション!」

 

 

1.近年のプリキュアと多様性への意識

『スター☆トゥインクルプリキュア』(以下スタプリ)はプリキュアシリーズ第16作品目にあたり、宇宙をテーマに物語は進んでゆく。スタプリでは、プリキュアシリーズで数少ない褐色肌のプリキュア「キュアソレイユ」を登場させ、ネットで若干話題にもなった。(単話出演の褐色プリキュアは存在するが、レギュラー出演の褐色プリキュアはキュアソレイユが初)この作品では「多様性」に対する強い意識が感じ取れ、キュアソレイユ以外にも、宇宙人プリキュア「キュアミルキー」も登場させている。こう見ていくと「プリキュアと多様性」はスタプリだけの特徴のように聞こえるが、スタプリプロデューサーの柳川はインタビューで「『スタプリ』に限らず、個性や多様性は毎年の「プリキュア」でずっとテーマになっています。」と語っている。確かに、2016年『魔法つかいプリキュア!』では人間界と魔法界、ふたつの世界での相互理解が描かれ、2018年『HUGっと!プリキュア』ではシリーズ初の男の子プリキュアが登場した。

この記事の本筋とは外れる考察だが、10歳以下の女児をメインターゲットに据えたプリキュアというコンテンツが多様性を表現する事は意義深いと感じる。幼少期からたくさんの価値観、たくさんの個を知ること、それに触れる事、その機会を提供するプリキュアが担っている役割は大きいのは違いないだろう。

 

2.アニメにおいての肌の色

先程出てきたスタプリのキュアソレイユは褐色肌であるが、40年前には褐色肌のキャラクターの登場、特に黒人に分類されるキャラクターの登場には配慮がされていたようなのである。

1980年に放映された『機動戦士ガンダム』には黒人のキャラが登場しない。(ちなみに「ララァ・スン」はインド系)しかしどうやら登場予定があったようなのだ。機動戦士ガンダムの基礎設定資料集では地球連邦軍に属し、主人公のアムロと共に旅をする「リュウ・ホセイ」は黒人として描かれている。

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これに関して監督の富野由悠季ジブリ監督高畑勲との対談で、強制なのか自主的なのかの明言はないもののTVコード的な規制が存在したと語っている。

10年後の1990年に放映されたふしぎの海のナディアで採用された主人公の「ナディア」でさえ、やや意欲的な取り組みとして見てとられたことからも黒人キャラの取り扱いには神経質であった歴史が感じられる。

 このようにアニメという切り口からも昨今取り沙汰され話題に上がる「多様性」や「肌の色について」考察を進めることができるのは非常に面白いと感じるのだ。

 

このような例があればぜひぜひ教えてほしい。アニメ鑑賞は趣味の一環でしかないが、このような考察は楽しくて仕方がない。

 

 

 

 

と、言うわけで今回はここでおしまい。次は何書こうかなと思っていたら、スラムダンクの映画化の話題が飛び込んできたので、過去の人気タイトル掘り起しムーブメントから考えるオタクの高齢化とか、エヴァンゲリオンについても書きたいななんて。

それでは。

【第53回】東京一極集中が日本を救うを読んで

こんにちは、ぐっさんこと山口友之介です。

 

与太話は最近ないので本題に入ろうと思う。

いや本題の前に関連している記事。

 

先日日経電子版にこのような記事を見かけた。

www.nikkei.com

日本の少子化が予想を超える早さで進んでいて、公的推測よりも10年以上前倒しになるだろうという記事だ。今回の新型コロナウイルスの影響で特に感染者が多い地域で減少が目立っているらしい。人口減少で様々な問題に抱えている上にこの始末とは今後どうなっていくか…

 

この記事に関連して、僕は「東京一極集中が日本を救う」という本を読んだ。

東京一極集中が日本を救う (ディスカヴァー携書) | 市川 宏雄 |本 | 通販 | Amazon

この本は市川宏雄という都市政策専門家の方が書いている。

市川さんは初めから一極集中の論を持っていたわけではない。本にも書いてあるが、「全国総合開発計画」が1962年にありその中の「地域間の均衡ある発展」に共感していたという。

 

僕はこの本を読む前までは一極集中を肯定している論はあまり理解できずにいたが、この本を読んで東京一極集中に対する否定的な考え方がかなり変わった。現在着任していないが、大正大学の小峰隆夫教授もこの論に肯定的である。小峰教授は仰っていた。「この話は地方自治体の前では話しづらいし、このような考え方もあるよというだけで、その考えを私が持っているとは言えない。」

このこと自体を記録に残している僕には罪はないですすみません小峰さん

 

本題というかこの本のキーポイント、著者が言いたいことを書いていこう。まずメリットから。

1、都市の総合力は世界第4位。                        

考え方が、地方VS都市ではなく、都市VS都市(世界中の)でこの論は構成されている。そのため、地方がどうこうというよりも東京が発展することで地方は成り立っている、と論者は話す。東京が持っている「都市の総合力」GPCIは世界で4位であり、調査が始まって以来2008年から4位までの顔ぶれは変わっていない。僕が調べたところ2020年はロンドン、ニューヨークについで3位となっている。日本の前にいたパリは4位となった。産官が未着しているこの都市は効率が良く、交通インフラの利便性が高いこと、が挙げられている。もし、GPCIの順位が下がれば東京の魅力が下がり、日本の国力の低下につながる。

2、集積のメリット 

規模の経済により製品は大量に作られ利益も大きい。(大量消費時代であれば)

また、都市部への一極集中は経済合理性に基づいていた必然的な帰結であり、3600万人の都市圏人口を誇る東京は、第三次産業の拠点として世界的に有利な都市だということ。

3、国家運営の変化

今まで、地方は東京に人材としての若者が流入第三次産業を中心としたビジネスにより利益をあげ、その分の税金(所得税法人税、消費税)を中央政府に収めていた。そこから中央政府は地方に補助金交付金)を分配した。そこから小泉政権三位一体改革では地方が衰退するとのことで2008年に地方法人特別税が科される。主に東京で納められた法人税を地方に分配するといった機能だ。これにより多くの分配が可能となった。

4、中央新幹線リニアモーターカー)による大東京圏の形成

2027年には東京〜名古屋間が完成予定、37年には大阪間が完成予定となっている中央新幹線が完成することで東京の都市ではなく他の地域とつながることでより経済圏が増すということだ。現代は「ヒト、モノ、カネ」をいかに集積できるかが世界の大都市で競い合っている。日本地図を書き換えるほどの力を中央新幹線が持っている。67分で大阪まで行けるとなればビジネスにおいては多いに働くと思う。

 

以上の4つが一極集中のメリットと著者の言いたいことだと思う。

まだ載せていないところが多いのでもっと知りたいという方は読んでみてください。

 

デメリット

1、外部不経済

都市にヒト、特に工場が集まれば起こることだ。

 

2、集中による弊害

都市では交通渋滞、遠距離通勤(今回のテレワークで拍車がかかればいいけどあんま期待できない)、地価高騰、それによるコミュニティー崩壊(これは地域実習Ⅱで多いに学んだ)、居住空間の劣化、それとここには書いていないが、自殺や殺人の影響もあるっていうのを社会学でやった気がする。地方では、人材不足と高齢化、地方経済の風化、中央依存体質の固定化。日本全体では、技術・情報の偏在化、東京補完機能の低下、中央集権制度の普遍化があげられる。

 

3、交通インフラの崩壊

東京オリンピック前に建てた道路、橋、トンネルなどの寿命が一気に老朽化へと進んでいく。これへの対処はどうするのか

 

4、新たなウイルスとの戦い

これももちろんこの本には書いていない。実際影響は受けている。あまり影響の受けていない(人口の比較的少ない地域)は東京よりも普段通りまではいかないが、動きが早い。

 

 

 

 

まだ書こうと思っていたんだけど、ここで終わりにしようと思う。最後に市川さんは「世界のグローバル化のなかでこの東京を手放すわけにはいかない〜、この本により東京一極集中をもう一度考えてもらえればと思う」とある。私は考えさせられたこの本に有り難く思う。

 

2020年のブログは僕で最後になります!!なんかまとまりないけど、毎回これやってて思うのは文章をまとめるってすげー疲れるってこと。でも半強制的なところもあってやれてるのもある。来年もいいことだらけのことは望んでないから、ありのままの自分であってほしい。いきなり誰目線

 

てことで、2020年rerayブログありがとう!来年もよろしく!!

早めの良いお年を!!

 

 

 

【第52回】皆さんはこの健康食品を知っていますか?

どうも、古賀です。

 

このrerayblogも1周年を迎えたそうでめでたいですね~👏

それに関して書かれた第51回(なんて区切りが悪い)の後のrerayblog2年目の最初の担当が自分というのがなんとも不安な気がしますが、その記念すべき第52回はとってもためになる情報を皆さんにお伝えできればと思います。

 

①この食べ物を知っていますか?

早速なのですが皆さんに問題です。この食べ物は何でしょう?

・おいしい

・栄養豊富

・寒さ対策に抜群

・安い

・カロリー0

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ分かるかな~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は次だよ~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は「ラーメン」でした!!わかった人はすごい!!!

 

②この食品をお勧めする理由

簡単すぎましたかね?常識でしょ~という方もいらっしゃったかもしれませんが、実は知らなかったという方もいるかもしれませんので一応念のため解説しようと思います。

 

・おいしい

これは言わずもがなです。

少しこってりしたものが好きな人はとんこつ、あっさりしたものが好きな人は塩・醤油、濃厚な味わいが好きな方にはバター、などその人の好みによっても様々な味を楽しめるのがとても良い点ですね

 

・栄養豊富

ラーメンに入っている食材は麺(炭水化物)、もやしやネギなどの野菜(ビタミン)、チャーシュー(タンパク質)、脂(脂質)と五大栄養素のうちの4要素が入っています(ちなみにかつおだしのラーメンとかホウレンソウやや昆布などの野菜を入れるとミネラルも入れることができます)

つまり、ラーメンを食べるだけでほとんどの栄養を摂取することができるのです!

 

・寒さ対策

ラーメンってとにかく温かい食べ物じゃないですか、特に寒さが増してくるこの時期に食べるラーメンは格別ですよ~

またラーメンによってはニンニクやトウガラシなどの代謝を上げる食材が含まれていることも多いので、さらに効率よく体を温めることができます。

 

・安い

ラーメンはいっぱい500~1000弱くらいで食べれるのでコスパが抜群です。

 

・カロリー0

実際にこれに関しては計算していこうと思います。

野菜とメンマ→カロリー0

麺→細いので実質カロリー0

脂→燃えるのでカロリー0

チャーシュー→薄いのでカロリー0

スープ→ほとんどが水分なのでカロリー0

ラーメンを食べに行くまでの移動手段→基本歩きなのでカロリーマイナス

つまり、ラーメンを食べると痩せます。

 

③まとめ

いかがだったでしょうか?もともと知っていた方も今日初めて知ったという方もラーメンは健康食品であるとわかったかと思います。

これからさらに寒くなり家にこもりがちになるかもしれませんが、ぜひ重い腰を上げてラーメンを食べに行ってみてはいかがでしょうか?

 

次回はもう一回たむな気がしますがどなたが書くのでしょうか?次回もお楽しみに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ちなみにこのブログは半分以上が古賀の勝手な主観で書いています。

【第51回】rerayblog一周年でした!

こんばんは~、急遽出番が回ってきました、田村です。

ずっとタスクに忙殺されておりましたが、昨日、今やっている団体でイベントをやりまして、それが一段落着いたので、少しだけ平穏が戻ってきた今日この頃。
(そのイベントの報告レポートを作成予定なので完成したらFacebookで報告しますね)

 

 

実はこのrerayblog一周年を迎えました!!!
やったー!おめでとう👏👏👏
最初に投稿したのは2019/11/23のこと⇓

【第0回】リレーブログ始めました! - rerayブログ

 

「リレーブログやってる団体あるけどあれいいなー、楽しそうだなー」という興味関心と、
「noteやブログ書いてみたいけどハードル高いって人は多いのではないか」という社会的ニーズがマッチした(と私は分析しているのだが)

結果、このような企画が生まれ、1年も続いてきた。

投稿された記事は50本、携わってくれたメンバーは12人(現在書いているのは9人)となった。

 

私が急にFacebookで意味わからない投稿(笑)をして、集まってくれた皆さま、関わってくださった皆様、ありがとうございました!

 

現在書いてくれているメンバーの皆様、一周年おめでとうございます!
これからもよろしくお願いいたします!


※ちなみに書きたい方はまだまだ募集しております。単発でも長期的でも構いませんので興味ありましたらご連絡ください

 

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手前味噌ですが、かなり面白い仕組みをつくったのではないかなと思っております。

前述したとおり、noteやブログといったアウトプットの機会は欲しいけど始めるのはハードル高いという人や、文章力を磨きたい人(なお私は添削などはできないが)、一回だけ書いてみたいという人などなど、想定されるターゲット層はいくつもある。

そういった人に、ある意味強制力を持って、定期的に文章を書く機会を提供するのがrerayblogという仕組みだ。

メンバーは一週間に一回記事を書くので、メンバーが10人いれば10週(つまり2カ月半)に一回自分の番が回ってくることになる。それくらいしか書かないのであれば書きやすいかもしれない。また、順番を決めているし、他のメンバーのことが次に書くので、ある程度強制力が働く。

 

この仕組みを今後どうしていくかは考えていない。今はサークルのようなものなので、どうなっていくのかもわからない。

私の力及ぶ範囲で運営しているが、今後の動向、募集中です(笑)

 

 

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とまあ、なにはともあれ、一周年ということで、読んでいただいている皆様、書いていただいている皆様、改めまして、いつもありがとうございます!
今後ともよろしくお願いします!!

という、報告でした!

【第50回】港で夕陽に照らされる大型客船を眺めながら…

第50回目を担当するのはどうもぐっさんです。

 

暑すぎたり寒くなったり体調管理が難しい天気が続いていますね。この前の実習中も実は体調を崩して二日ほど寝込んでいました。この時期になるとアレルギーと風邪に同時にかかるというダブルパンチで倒されます。笑

 

さてさて、今回の僕のテーマは

 

いざ 伊豆大島

 

です。

11月17〜18日に行ってきました本当は3泊4日の予定だった

中部地域は意外と自転車では行かないところなのでワクワクドキドキでした(1年次にくぼはると海鮮丼食べに熱海行った以来かな)

 

というのも第3クオーター終わって1週間休みがあるとのことだったのでそれは直前に知ったどこか行こうかなと親父と話していたところ

「あったかいし大島はどうか」

と言われ一個の候補としてあがった。他には、群馬、栃木、長野(どこも寒い)があったが、島は時間がないといけないから行けるときに行こうということになり準備が始まった。

↓今回の装備

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いつものランドナー ではなく輪行するので重量の軽いもう一つの自転車を選択した(この選択が最悪の事態を生む…

始発の電車で行田から熱海まで3時間。もちろん各駅だよ

 

熱海駅につき、フェリーまでの時間を見ると意外とリミットがやばいことに気づく。

急いで慣れた手つきで組み立てていく。慣れた手つきとは言いつつもそれほど輪行はしたことないが。

フェリー乗り場に到着し、搭乗の手続きを行う。学割で20%引きだったので割と安くすんだ。

出航まで待っていると自分と同じような装備をしたおっちゃんが話しかけてきて、どこいくのとか、自転車関係の話で盛り上がった。割と人見知りはないのでこういう旅先でいろんな人と話せるのは楽しい。

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これが今回乗ったじぇっと船なるもの。海上を時速80キロで走るらしい。揺れは少なく、かなりよかった。席は狭いのが難点だったけどね、

 

熱海から大島までの海域は大型海洋生物が多く生息しているらしく、

 

船内アナウンス「現在走行しているこの海域は大型海洋生物が多く、速度を落としての走行となります。急旋回、急停止の可能性もありますのでご了承ください」

 

ディズニーシーのレイジングスピリッツと同じこと言ってるやん!!!

と初めて搭乗した僕にとってはかなり怖かった。まあレーダーで感知できるにせよ絶対事故らないとは限らない。そんなに危ないのなら全部大型船でええやんとも思ってしまった。

 

無事大島に着岸。

予定していた港ではなくもう一つの港についてしまった。気候と海と状況で変わるらしい。その時点で少し自分の中での何か歯車がうまく噛み合わなくなってくるのを感じた

 

天気は暑く、日差しも凄かった。冬支度をした僕は汗がヤバかった

 

さっき話していたおっちゃんと「じゃあまた」とそれぞれの行先に向かった

大島のツーリングまっぷ

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着いたらやることとして、まず三原山に登ることだった。標高700ちょいしかないこの山だが離島の山というのは壁のような道が多くとても登る気がうせる。

 

御神火スカイラインを登り始めると工事中、通行止めとの看板を発見する。

僕:(これはいつもの田舎あるあるで、結局行けるパターンのやつでしょ)

 

と経験則が変にはたらく。しばらく登っていると工事中のおっちゃんに

 

おっちゃん:「にいちゃん、この先通行止めだよいけないからね」

 

と。

 

どぉぉしてだよぉぉぉぉぉぉ!!!!!!

 

 

普通に考えてどうしても何もいけないことには変わりないので仕方なく断念し下山。

それに加え自転車のギアが山登りに適していないためなかなかキツかった。

 

この時点で僕の旅を楽しむゲージがガクンと下がる

他のルートは存在するが、どうもいく気にならず港に戻り釣りしているおっちゃんを見ながら僕は読書をする。時刻は14時ごろで日の入りまで全然時間がある。

 

どこか移動しようと思い、初めの港方面に向かった。

 

すると後方下部から

 

「ビリッ ビリッ」

と聞き覚えのある音が聞こえ、それとともに自転車のスピードが落ちていく。

 

この時点で察したが、後方のバックをキャリアに止めるマジックテープがタイヤのスポークに干渉していたのだ。実は熱海駅からフェリー乗り場まで移動している時も同様のことがあり嫌な予感はしていた。

直せばいいじゃないか、と思うだろうがバックの横の部分を支える棒が一本しかなく支えられていない側が邪魔していたのだった。

 

これじゃあ移動できないじゃないか、となってしまいひとまず荷物を観光協会に置いて移動することになった。

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移動できる範囲で海辺を走ってきた。これは大島含む各諸島で有名なマリンスポーツでのバディを想う鐘らしい。この手の鐘はよく見かける。

 

少し堪能していい時間になってきたので銭湯に入り、隣の公園でお決まりのテント泊。

公園でテント泊するのはなかなかグレーゾーンではあるが、許してください。

 

夜になって地元の高校生がママチャリで僕のテントの周りを走り始めたりと面白いことがあった。

 

それはさておき、朝を迎え今日のタスクはバスで三原山に登ること。そして郷土料理?のべっこう寿司を食べることだった。

 

8時半のバスに間に合い、展望台から歩き始めた。

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そこは日本ではないような景色が待っていた。風が強いせいか低木が多く、砂漠も存在する。日本で一番大きい砂漠はここだそうだ。

 

昭和61 1986年に噴火し、現在は危険度レベル1の活火山となっている。多分

 

火口は一周2.5キロほどあり風が強く吹き飛ばされそうになった。

 

思ったよりも早く回ってしまい次のバスまで3時間も余ってしまった。甘酒をのみ椅子で寝ていると時間がきた。

 

下山した時の時刻は14時を回っており、次は波浮地域にいく予定だった。

 

しかし自分の自転車の状態を思い出すと同時に、初日に話していたおっちゃんに再開した。

 

一瞬、帰ろうかなと思いがよぎった。

 

自転車トラブル。もう帰るおっちゃん。かなり気持ちが落ち込んでいる自分。

 

この要素が三位一体となり、もう帰るという気持ちがまさってしまったのだ。

 

もし帰るとすると1時間後の熱海行きフェリーがラストとなる。

 

そして今日やるタスクが残されている。そう、べっこう寿司だ。

食べなければと体が動き、Googleマップで寿司屋を探すも、こんな真昼間からやっているところなんてない。

 

あ`あ`もうだめだと諦めかけた時、スーパーで売っているのではと推測し駆け足で探しに行った。

店中グルグル回っていると…

 

あった。しかも結構高い。ていうか寿司ですらない。

 

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港で夕陽に照らされる大型客船を眺めながら悲観的な思いとともにこのべっこう漬けを口に運んだ。

 

うん、ピリ辛の醤油に漬けてある刺身だな。それ以上でも以下でもない。

 

寿司屋で食べればうまいだろう。雰囲気もあるだろうね。

 

またおっちゃんと話ながら熱海に戻った。なぜか旅先で行きの便であった人と帰りまた会うことがよくある。運命の巡り合わせかな。笑

 

 

ここらで終わりです。

ここまで見てくださりありがとうございました!!

次回もお楽しみに。