【第49回】銀のエンゼルが出た

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お久しぶりです!まえだです!

もう1年が過ぎ去ろうとしてますねー

2020になったころは、

こんな1年になるなんて想像してなかったのに

人生というものは不思議ですねぇ〜



今回は!!ドドンッ

銀のエンゼルが出ましたーーーー!!!!


銀のエンゼルと聞いて

「おお!!」となる人、

「あれ、なんだっけ、?」となる人、

「なにそれ?」となる人いると思います


これは、森永製菓の商品、チョコボールの企画である

キョロちゃんボックスを手に入れるためのいわばチケットなるものです!


金のエンゼル、銀のエンゼルがあり、

①金のエンゼルなら1枚で交換

銀のエンゼルなら5枚で交換

という仕組みになっています!

森永製菓も商売上手ですよねえ


因みに金のエンゼルが出る確率は0.06%

そして銀のエンゼルが出る確率は0.36%

(サイトによって異なりますっ)


ところで、チョコボールは期間限定のフレーバーが多いことを知っているでしょうか?

年間約30種類もの限定味が出ているそうなんです!

私が最近食べたのはホットケーキ味でしたね🥞

そしてどれも美味しい!

気になった方はぜひ試してみてくださいね!

#まえだのおやつ語り

是非とも続けていきたい^ ^

【第48回】なんでも、捉え方と伝え方によるのでは??

こんばんは。どうも、お菓子を大量に食べた罪悪感でいっぱいのかわはらです。笑

 

この前の担当分から2ヶ月…成長した実感はあるのに語彙力がなくてバカっぽさを前面に出してしまう現象、そろそろ卒業したいです。笑

 

さて、最近私はなぜか忙しくしています。できる! と思うことをどんどん詰め込んでいるからでしょう。

 

でも、そんな私もかつては予定を入れすぎるとパンクして萎んでしまうタイプでした。

萎み方が大抵良くなくて、本当に自分が嫌だったのですが

 

あることに気づいてから、ひどい萎み方をしないようになりました。

 

それこそが題名の「捉え方と伝え方」についてです。

 

 

 

 

まず、「捉え方」について。

 

私の中では2パターンあります。

①言葉の使い方 ②物事の見方 といったところです。

言語化が難しくて伝わるか不安ですが

 

詳しくみていきましょう!

 

 

①私はかつて1ヶ月に100冊の本を読みました。

我ながらすごいですよね、見栄えがよい笑

 

 

でも、よく考えてください。読むってどういうことでしょうか?

 

1冊の1文字を「読む」

本屋で、数ページだけ「読む」

1冊の隅から隅まで「読む」

速読を使って「読む」

児童書を「読む」

1000ページくらいの本1冊を「読む」

 

すべて「読む」に入りますよね!

 

このように、普段共通認識だと思って使う言葉でも、いろんな捉え方があることがわかります。

同じ言葉でも、お互い思っていることは違うかもしれません。

(例えば、「ヤバイ」なんてヤバイですよね笑 「すごい」「嬉しい」「びっくり」などなどいろんな言葉になりうるので、相手にどう捉えられるかわかりませんよ〜)

 

ということで、私は1ヶ月で100冊の本を「読み」ました、という文について解説します。

 

実際に私は1ヶ月で100冊の本を読みました。でも隅から隅まで読んだという本は30冊くらい、20冊は絵本、10冊は児童書、40冊は流し読み又は一部だけ読んだ、という状態でした。

でもこれは騙しでもなんでもなく、堂々と言えることです。私は1ヶ月で100冊の本を「読み」ました! (しつこい笑)

 

またある人は本を99%途中で読むのをやめるそうです。しかも、立ち読みして買わない本も、「読んで」いたとしてカウントしているのです。その方の年間読書量は何百というレベル。

 

でも、そのような読み方なら、自分でもできるかも! と思えてきませんか?

 

以上、まとめると、その言葉は本当に相手と同じ意味で使っているのかな? 言葉の使い方は人それぞれ、言葉の捉え方も人それぞれだよね

ってことです。

 

だから、伝えるのは難しいんでしょうね。(まさに今難しさを実感しました笑)

 

②今日終えなければいけない仕事があるとします。

これまでの私は「嫌だな、やりたくないな」でした。当然今日中に仕事は終わりません。

 

ですが最近は「きっとこんな仕事簡単でしょ! とりあえずやろう!」です。(やや盛っていますよ〜)

 

 

こんなかんじで、出来るだけ嫌な仕事を軽いものと捉えると、本当にできることが増えます。

しかし軽く捉えた方がよかったのはあくまで私の場合で、軽い仕事だとと思うと辛い人もいるはずです。

 

ぜひみなさんのベストな捉え方を見つけてみてください!

 

 

 

(ちなみに話は逸れますが、怒られたことなどは深刻に受け止めたほうがいいかもしれませんが、「怒られた=自分はダメな人間だ」ではなく、怒られたことについて、自分の人格と行動とを分けて考えると良さそうですよね。)

 

 

 

では、「伝え方」の話。

みなさんが考える、怒られて不快になるときとならないときの違いって何ですか?

 

私は伝え方だと思うんです。

 

私は、

「怒られる」

=自分の足りていない部分について、自分を大事に思ってくださる人が助言してくれている

だと思っています。

 

そのありがたい「怒られる」場面で、不快になるのは、私の場合、

・助言が的を射ていて、悔しい

・言い方が高圧的で人格を否定されているようだ

という理由です。

 

前者については自己責任ですので、感情のコントロールを頑張ろう、ですね。

後者については、まず誰かを怒らせるような行動をとった自分に責任があります。ですが敢えて欲を言わせてもらうと、怒る側の人にもできることがあるはずだと思うのです。

 

高圧的な態度で怒るって、お互いいいことないじゃないですか。もったいないエネルギー…

よし!怒ろうとしている方、まずは穏やかにいきましょう!

 

まとめると、お互い気持ちよく、怒り怒られるようにするには、伝え方が大事だよねってことです。

 

具体的には、まずスタンスを見直します。相手が大事だから、こんなことを言うんだよ、と言う気持ちを持つ

また、対立した意見でも、そうなんだ、と一度受け止めるつもりで。

 

このスタンスがあれば、よほどのストレス状態でない限り怒る側は高圧的になりにくいし、怒られた側も受け入れてくれるかも。

 

また、怒ろうとしている側は、もしかすると過度なストレスの発散方法として怒ろうとしていることに気づくかもしれません。

そんな場合はまず自分と向き合って、ゆっくり休んでください。

 

 

ぜひ、ここまで考えた私の仮説を試してみていただきたいです!

そして、本当にこれで私は生きやすくなったので、どなたかの力になれることを祈ります。

 

読んでいただきありがとうございました!

【第47回】「大人」に近づいていることを自覚した瞬間

どうも。くぼはるです。

最近やっと学校に登校することができて、学友に会えたのですが髪型を普段と変えていったら気が付いてもらえませんでした。マスクして髪型変えるとどうやら認識するのに時間がかかるようです。この情報が何に役立つか知りませんがご活用ください。

 

それでは本題。

 

「ポケットにファンタジーという曲をご存じだろうか?

ポケットモンスター三代目エンディング曲であり、約20年前の曲だ。僕は小さい頃、この曲がとても苦手だった。ポップスしか知らない頃の「僕」にとっては受け入れがたい語り口調の楽曲進行と、そして何より歌詞が意味不明だったのだ。以下に歌詞を載せるができるならyoutubeか何かで調べて聞く事をお勧めする。

~前略~ 

早く 大人に なりたいんだ
え?どうして?
早く 大人に なりたいの
子供って 楽しいじゃない
でもね なんだか なってみたい
じゃあ今度は わたしのユメ 言うわね
もういちど 子供に 戻ってみたい
え~?なんで~?
もういちど 子供に 戻ってみたいの
大人でいいのに
一日だけでも なれないかな?
なれっこないよ
うんもう いじわるゥ
昔 わたしが まだ子供だったころ
ポケットに 入れてた たくさんの宝物
いまでも ときどき 顔をのぞかせるのよ
それって もしかして ピカチュウ
さあ なんでしょうね?
昔の子供 今の子供
ポケットの中身は いつだって
男の子でも 女の子でも
ポケットの中身は だれだって ファンタジー
ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラ ラン.....
もしも おとなに なったなら
なにしてみたい?
子供と 遊んで あげるんだ
やっぱり 遊びたいんだ
でもね 仕事も ちょっとするよ
あのね わたしが もしもね・・・・
もういちど 子供に 戻れたなら
なにしたいの?
会ってみたい 人が いるの
え~?だれなの~?
一日だけでも 会えないかな
あ!初恋の人だ!
あったり~
昔 わたしが いつか手渡そうと
ポケットに 入れてた 手作りのプレゼント
いつでも どきどき 顔が赤くなるのよ
プレゼント 渡せなかったの?
さあ どうだったかしら?
昔の子供 今の子供
ポケットの中身は いつだって
男の子でも 女の子でも
ポケットの中身は だれだって ファンタジー
ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラン ラ ラン......

小学生の頃の僕はポケモン主題歌DVDが大好きで、それはそれは何度も何度も繰り返し観ていた。その中でこの曲は唯一飛ばしていたのを覚えている。

最近になって久々にこの曲を聞いた。

 

泣いた。

 

小学校を卒業してから約10年経った。無論今だって若造だ。ただこの曲を聴いて、懐かしむべき「昔」がはっきりと知覚できるくらいには歳を重ねたと感じた。大人になる事がいったい何なのか今でもさっぱりわからないが、この曲を久しぶりに聞いたその瞬間、自分が「大人」に近づいている事を理解した。

時が経てば様々なことが変わる。いつまでも息子として甘えて生きていくわけにはいかない事、他にも、死とか未来とか、頭ではわかっているし当たり前に迫ってくる現実達。それらがはっきりと輪郭を持った「自分事」にこの曲が、そうしてくれた。

 

たかが、ポケモンのエンディングで大げさだと自分でもそう思う。ただ僕はこの曲で現実が怖くなって涙が止まらなくなった。皆さんはこの曲を聴いて何を思うだろうか。よかったら教えてくれると嬉しい。

【第46回】昭和をたずねて令和を生きる

 こんにちは、平田将達です。

…第42回で書いたばかりじゃないかと突っ込まれそうですが、先週で5周目が終わり、この6周目から、投稿する順番が少し入れ替わった関係で、私がトップバッターを務めさせていただくことになりました。念願の新メンバーも加入したそうで、このブログに彩りが加わることを期待しております。

 ところで、このブログが開設されたのは、2019年11月23日のことです。

【第0回】リレーブログ始めました!

https://rerayblog.hatenablog.jp/entry/2019/11/23/153224 

 少し気が早いですが、もうすぐ1周年になるのです!(私が始めて投稿したのは、第8回・2020年1月20日)

 今回の記事では、rerayブログの1周年を勝手にお祝いする意図も込めています。長くなってしまいましたが、よろしければご覧ください。

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 「新しい元号は、令和であります」

(2019年4月1日、菅官房長官記者会見)

 令和が始まった年の後半に、この「rerayブログ」は始まりました。あれからもうすぐ1年(この記事の投稿が思ったより早くなったので、まだ1年経っていませんが)。

 この1年は、新型コロナウイルスCOV-19の感染拡大に振り回された感があり、過去を振り返ることは行われてきませんでした。唯一行われたとすれば、それはコロナのなかった時代への、「懐古」でしょう。

 我々がこの世の中を語るにあたって、政治にせよ、社会にせよ、小説やマンガ・アニメにせよ、「昔は良かった」という懐古主義による考えと、それに反発する「いや、そんなことない。今のほうがいいよ」という考えが存在し、我々は、そのはざまを生きているといえそうな気がします。

 「昔は良かった」というワードを検索しても、あまりそれらしい記事やコメントは見当たりません。むしろ、「昔は良かったというが、今のほうがいいよ!」という主義に基づいたコメントの「踏み台」として、よく見るような気がします。

 では、この社会には、「昔は良かった」主義は存在しないのでしょうか。一見、そう見えなくもないのですが、要は「昔は良かった」というワードが文面に現れていないだけで、懐古主義に浸りたい人は、知ってか知らずか、昔から親しんだものに趣向が偏っているはずです。

 その証拠をあげることは難しいですが、「演歌」や「時代劇」のような古くからの文化ばかりに染まっている人が多いことは、否定しようのない事実です。

 これらは「古い」というイメージを隠せませんが、なにぶん「大衆文化」であり、「伝統芸能」といえるほど地位のあるものでもないので、その古さを隠すにせよ、隠さないにせよ、「古い」ながらに享受され続けているのです。

 事実、これだけ「古い」ものでありながらも、「新しい」スタイルを見出す余地がまだあるようであり、ただ「古い」だけの文化ではないのです。むしろ、「新しい」とされる漫画やアニメの中にも、(キャラ付けなどに)時代劇や演歌やさまざまな伝統芸能が取り入れられているものがあり、「温故知新」とも言うべき現象が起きることがあります。

 しかし、現実として、10代や20代といった世代の中には、演歌や時代劇に興味を示す人は少なく、70代や80代の中には、アニメやゲームに興味を示す人は少ないのが現状です。さまざまな文化が存在する中で、どれを楽しむかについては、やはり世代によって厳密に区切られていると言わざるをえません。

 

 では、最近の流行として、巷ではどのようなものが流行っているといえるでしょうか。具体的な期間は明示しないものの、「ごく最近」になって流行っていると思われるものを、ジャンル別に示してみます。

 

マンガ・アニメ…「鬼滅の刃」「約束のネバーランド」「Dr.STONE」「五等分の花嫁」「炎炎ノ消防隊」「ヴィンランド・サガ」「放課後ていぼう日誌」「デカダンス」「100日後に死ぬワニ」

ラノベ…「転生したらスライムだった件」「Re:ゼロから始める異世界生活」「本好きの下剋上

小説・書籍…「一人称単数」「十二国記」「流浪の月」「青くて痛くて脆い」「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」「ケーキの切れない非行少年たち」「日本国紀」

ゲーム…「あつまれどうぶつの森」「世界のアソビ大全51」「ポケモンソード・シールド」「ドラクエウォーク」「フォートナイト」「第五人格」「Undertale」「PS5」

ドラマ…「麒麟がくる」「私の家政夫ナギサさん」「ノーサイド・ゲーム」「MIU404」「恋はつづくよどこまでも」「あなたの番です」「半沢直樹(2期)」

映画…「天気の子」「名探偵ピカチュウ」「アナと雪の女王2」「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」「記憶にございません!」「パラサイト」「Fukushima 50」「糸」

流行歌…「夜にかける」「香水」「マリーゴールド」「まちがいさがし」「夜明けまで強がらなくてもいい」「Imitation Rain」「痛み」

アーティスト…「Official髭男dism」「日向坂46」「櫻坂46」「NiziU」「IZ*ONE」「BTS

お笑い芸人…「四千頭身」「からし蓮根」「ミルクボーイ」「3時のヒロイン」「ガンバレルーヤ」「フワちゃん」「すゑひろがりず

YouTuber…「スカイピース」「QuizKnock」「まいぜんシスターズ」「にじさんじ」「ホロライブ」「ヒロシ」「ほんだのばいく」「動画無しで登録者10万人チャレンジ」

流行語…「ぴえん」「ヤバみ」「インフルエンサー」「上級国民」

グルメ…「エッグスラット」「バスクチーズケーキ」「進化系かき氷」「チーズティー」「Uber Eats」、飲食店の持ち帰り弁当全般

その他…「#KuToo」「ステイホーム」「ロックダウン」「ヒプノシスマイク」

 

 …この他にも、挙げようと思えばまだまだ挙げられますが、とりあえずこのくらいにしておきます。10年後にこのリストを見ると、きっと懐かしく思うことでしょう。恥ずかしく思うかもしれません。

 ところで、ここに挙げた「流行」に、全て興味のあるという方はいらっしゃるでしょうか?――おそらく、いないように思います。これらは全て、令和初め・2020年頃に流行っているものですが、その全てを好意的に摂取する人というのは、存在しえないと思われます。もしいるとすれば、それは「流行を追わないのが嫌で嫌で仕方ない人」という存在に留まるでしょう。

 私も、ここに挙げた事物の中に好きなものはあって、これらがどういうものか、なんとなく説明はできるつもりですが、全てを詳しく知っているわけではなく、ましてや興味があるわけではありません。

 令和初め・2020年頃という時代を未来から振り返ったとき、これらを享受する人たちのことを、その時代のステレオタイプな存在として受け取ると思われますが、何でもかんでも摂取する人間は、本来ステレオタイプではないのです。

 そうはいっても、その全てには、必ず「フォロワー」がいます。そうでもなければ、ここまで流行るわけがありません。そうであるにも関わらず、次々に新しいものが生み出され、飽きられたものは廃れていきます。人の心の移り変わることの何と速いことか――と、一歩退いて見出すことは、難しいことではありません。

 

 では、巷にいるお年寄りは、先ほど挙げた事物を、どれほど知っているでしょうか?――知っているのは、「上級国民」「ステイホーム」「ロックダウン」くらいで、他は聞いたこともないという方が、多いことでしょう。「近頃の若者は、変なものを好むんだなあ」といったところではないでしょうか。

 多くの場合、人は、年を取ると流行りのものに興味を示さなくなります。「興味がない」ということは、「価値を示さない」、つまり「どうでもいい」ということです。このような認識に基づけば、そこから何かを得るということはなくなります。彼らにとっては、若者とは「流行かぶれ」であり、「流行りを追うのに必死な若者」として、時として滑稽に映るようです。

 我々も、さまざまな流行を乗り捨て乗り換え、その先には、「流行なんて……」と思う日が来るのでしょうか…。

 

 現代社会を生きるヒントとして、年を取った人が、どのようなものを享受しているかを見ると、人間のあり方が、少しだけ見えてきます。

 彼らが好むものといえば、やはり「時代劇」に「演歌」に、「グランドゴルフ」、「カラオケ」、「宴会」、「ギャンブル」、「ダンス」、「スポーツ中継(相撲・野球)」といったところです。これらは、古くからあるものですが、その古さはものによって違いますし、必ず人を惹きつけるだけの何かがあるものです。

 たとえば若者は、「演歌なんて、どれも同じじゃないか」と思うことがあります。それをお年寄りが聞くと、むっとして、「近頃流行りの曲だって、どれを聞いても同じだよ」などと返されるはずです。

 これはどういうことでしょうか?思うに、「自分にとって価値のないものは、どれをとっても同じようなものに見えてしまい、興味をもつことで、その違いが見出せるようになる」ということではないでしょうか。結局、同じということはないはずなのですが、その違いを見出せるかどうかは、受け取る人の見識しだいということでしょう。

 事実、何も演歌好きに限らず、80年代~90年代のポップスが好きな人たちにとっては、今の音楽は「みんな同じように」聞こえるようですし、ポップスやフォークソングでさえも、演歌や音頭を好む人に言わせれば、「みんな同じ」のようです。

 「時代劇」や「演歌」は、今や高齢者向けの芸能とも揶揄されますが、新しい試みがなされないわけではありません。例えば、「荒神」や「大江戸もののけ物語」といった作品は、SFさながらの作品で、「永遠のニシパ」は、北海道開拓期のアイヌを舞台にした作品であり、俗に言われる時代劇のイメージとは、全く合わないものです。源平・戦国・幕末ばかりといわれる大河ドラマも、「いだてん」や「青天を衝け」のように、明治以降を舞台にした作品が出始めていて、旧来の「時代劇」観は大きく崩れているように思います。

 演歌歌手でも、さくらまやを始めとする新世代の登場や、プリンスとして知られる氷川きよし、「ラスボス」小林幸子のイメージが非常に大きく変わったように、昔のままではないのです。

 ここまで、なぜかNHKの作品ばかりを取り上げてしまいましたが、一連の革新の中では、NHKが先頭に立っているものと思われます。しかし、このような革新を受け入れず、本当に昔の作品だけを愛し、狭い殻に閉じこもる高齢者が多いことは否めません。「いだてん」の場合、若者の関心が高く、インターネット上の評判は良かったのですが、従来の大河視聴者層である中高年に受けなかったという分析もあります。

 結果として、新しいものに触れる人は、できるだけ視野を広く広く持つことで、新しいものというフィルターを通して、古いものに触れることができるものの、古いものばかり受け取る人は、視野が狭く狭くなっていき、新しいものは受け取れないという社会の構造が見えてきます。

 

 年を取れば、嗜好も変わるのでしょう。きらびやかでけばけばしくて、大味な若者文化よりは、落ち着いた老人文化のほうが、落ち着けるようです。それは、時代が変わったからではありません。年齢を重ねたことにより、視野が狭くなっているのです。

 視野が狭くなったことにより、何が起きるのでしょうか。私は、摂取するジャンルが偏っていくことで、思想も偏ると思っています。

 

 この世の中には、さまざまな人がいて、さまざまな考え方があります。視野が狭く、自分にとって都合の良い情報ばかりを集めていくと、それ以外を排除すべきものとして捉えることになるはずです。

 「物事について、ひとつの考え方をするのではなく、多面的なアプローチをする」ということが、ここ最近の教育においても、トレンドとなっています。では、巷にあふれる思想というのには、どのようなものがあるでしょうか。

 「竹島は日本の固有領土である」「中国船籍の船により、侵犯が行われている」「原爆投下はアメリカの罪である」「最近の若者は年寄りを敬わず、無礼な事ばかりをしている」「若者には気迫がない」「自分はコロナにかかっても重症化しないからと、若者が繁華街に出ている」という言論は、どこかで聞いたことがあるでしょう。必ずしもお年寄りが抱いているわけではありませんが、少なくとも非常に浸透しているといえるはずのものです。これを裏返して、「竹島は日本の固有領土ではない」などという声が耳に入れば、きっと黙っていないことでしょう。

 では、「竹島問題」について考えうる全てとは、「竹島は日本の固有領土である」と「竹島は日本の固有領土ではない」の二律背反に留まるものでしょうか。

 文字面から見ればこの2派のどちらかに尽きますが、本来重視されるべきなのは、「まずどちらにつくべきかを考え、問題についてあれこれと調べ考えて、もう一度どちらにつくべきかを考える…」というプロセスを続けることでなければならないはずです。そうでなければ、日韓の主張は平行線となり、いつまでも解決しません。

 しかし、多くの国民が陥っているのは、「竹島は日本の固有領土である」という命題を真理とみなし、言う通りにならない者を敵とみなし、その背景や根拠については知ろうとせず、ただ自らの主張を通すために都合の良い情報だけを集めるという企みです。このレベルにとどまっている限り、「古地図」も「歴史書」も役に立たないでしょう。

 高齢者に限ったことではありませんが、なぜこれほどまでに視野が狭いのか、疑わずにはいられません。そうなる背景としては、物事のインプットが偏っており、そもそも偏った思考しかできない脳みそに陥っていることが考えられます。さらにその根底にあるのは、「好き」「嫌い」の価値基準が、古いままになっていて、新しい物についての興味が全く失せていることが挙げられるはずです。

 

 なにも、高齢者にアニメやゲームを布教することが、必要であるとは思いません。しかし、「若者の」文化として受け取られているものを、幅広い世代に伝えることは、絶対に必要であるように思われます。触れたことのなかったものに触れること自体が、価値観の上書きにつながるからです。

 かつて、「一億総白痴化」という言葉が言われました。これは今から60年以上も前に、大宅壮一というジャーナリストが提唱した理論で、普及し始めたテレビを槍玉に挙げたものです。いまやゲームやネットが普及していますが、さらに「白痴化」が進んだといえるものでしょうか。

 少なくとも、「白痴化」という言葉を知る人は、「テレビによる白痴化」より後を、その延長線上に捉えていて、「テレビによって汚されなかった純真な世代」→「テレビによってバカになったが、ネットやゲームからは守られた世代」→「テレビ・ネット・ゲームによってさらに汚染された世代」というように、「だんだん堕落していく」という価値観を持ち出してきます。

 このような価値観が信じられている以上、何か最近のものを知って、その凝り固まった思想を上書きする必要があるのではないでしょうか。

 そうしなければ、この社会は、どんどん後ろ向きになっていきます。あるいは、現代ばかりを無条件に崇めるようになります。今の時代はとにかく閉塞が叫ばれていて、「コロナ前に帰りたい」などと言われます。もちろん過去には戻れないのに、ただ手を伸ばして、自らの境遇を歎くといった、極端に後ろ向きな人間が、どんどん増殖していることは明らかです。

 世の中は分断し、人も文化も分かれ、交わることがなくなるのです。そして、その原因を、「共同体の崩壊」「社会の腐敗」といった外的要因に求めます。新しい文化が生まれることについては、「お前らが勝手に生み出したものだ」といわんばかりに、交わる気概を見せないのです。

 

 このような閉塞を打ち破る手段は、見聞を広める以外ないはずです。少しでも多くの人が見聞を広め、「温故知新」できる社会こそ、私の求める極致ですが、現状は極めて厳しいものです。

 令和が始まって1年半ほどが経ちましたが、まだ「昭和」や「平成」を生きる皆さん、「令和」は幸せな時代ですか?

【第45回】二周年!

#rerayblog もこの投稿で5周目が終了し、来週から6周目がスタートします!

おめでとうございます!👏👏👏

(※rerayblogはまだ半年程度です。されど半年)

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さてさて、今回書くのは、

ちょっと忙しすぎて現実逃避もしたくなる今日このごろ。実際現実逃避はした(完了形)

明日からは数学三昧の日々が待っていると思うと少し憂鬱な田村和也です。

 

 

このブログが出ているのは10/12のことですが、私がFacebookを使い始めたのは一昨年の10/8なんですね。(正確にアプリを入れたのは4月だったのですが)

 

きっかけは10/8の岡山で行われた教育だっぴ。島根に来られていた岡山の方からご紹介いただき、1年後期が始まって間もない、しかも大学祭の日にバスに乗って日帰りで岡山に行ったあの日。

 

2018.10.8

何が変わったのかといえば、意識が変わった。

今思うと、こんなにも自己主張していいのかと、驚いた。

自分の知らないことの多さに驚き、こんなにもキラキラした大学生がいて、こんなにも大人の方と話すのが楽しくて、こんなにも学ぶことは楽しいことを知ってしまった。

そこからはとりあえず学びに出ようと、週末はあちこちに出かけた。学んで回った。inputの日々だった。

 

2019.10.8

昨年の今頃もFacebook初めて1周年!って投稿をしていたのだが、当時は東京にいた。

Facebookを始めたあの日、私が1年後は東京にいるなんて、思いもしなかっただろう。

大学の授業に嫌気がさし、同時に他人の評価を気にしていた2年の前期の自分が嫌で、休学を決意。同時に東京実習に参加して大正大学へ。

1年のころとは学びの質もかなり異なり、またoutputを始めた時期でもあった。

 

2020.10.8

そして今年である。まさか島根からほとんど出ないままとは(笑)

しかし、昨年の今頃を過ぎ、東京実習が終わってからは、吉備中央、新潟、津和野と、いろんなところにお世話になった。
またrerayblogを始めたり、読書日記をつけ始めたり、noteを始めたりとinputとoutputを本格的に回すようになった。もはや習慣である。

今年は実践の年にしよう。そう思って始まった矢先にコロナ。

前期は学びなおしをしていた感じだ。後期、今は実践をさせてもらっているな。

 

 

 

また来年のこの時期、私が何を思って語っているのか。楽しみである。

深まってるといいなあ。それを決めるのは私なのだが。

【第44回】人狼にジョブチェンジ要素があったら面白そうという話

久しぶりです。古賀です。

最近知ったはてなブログの機能↓↓

①そもそも人狼とは

皆さん、人狼ってご存じですか?最近zoomが流行っている中で結構オンラインでする人も多いと思います。

 

複数人で行うアナログゲームで市民側と人狼側に分かれ、昼と夜のターンを交互に繰り返し人狼を全員処刑することによって市民サイド側の勝利、もしくは市民と人狼の数が同数になることによって人狼側の勝利となるゲームです。

 

まぁ詳しくはネットで調べてみたらいくらでもあると思うのですが、ふと私はこんなことを思いました。

 

人狼ジョブチェンジあったら面白そうじゃね?」

 

ジョブチェンジとは

ところで、皆さんは「ジョブチェンジ」ってどんなものかご存じですか?ドラ○エだとかF○などをやったことがある方はご存じかと思いますが直訳すると「職業交代」、意味的にもそんな感じです。

戦士だったキャラクターを白魔導士に変更したり、格闘家だったキャラクターを黒魔導士に変更したりなど特定の職業のキャラクターを別の職業に変えることができます。

 

一般的なRPGだとジョブチェンジが持つ役割としては「敵の性質によって適正なパーティを作るため」だと思います。

これを人狼のような会話だけで進めるチームプレイのボードゲームに適用すると「ゲームの流れに応じて自分にとって有利な役割に変更する」というプレイングになるかと思います。

 

※ちなみに人狼の番外編である「ワンナイト人狼」というゲームでは怪盗という役職が似たような役割を持っておりゲーム開始時に好きなプレイヤーと自分の役割を交換することができます。

 

この役割を人狼に組み込むことによって「自分が仲間だと思っていたプレイヤーがいつの間にか敵になっていた」「敵かと思ったら仲間になってて吊っちゃった」みたいな心理戦にさらに拍車がかかるかなと思います。

 

③実際の役職例

とはいっても、分かりずらいところも多いと思うので実際にジョブチェンジ要素を持つ役職を考えてみました。

 

Ⅰ囚人と看守

看守…市民サイド。市民側が勝利することによって勝利。ゲームの開始時にランダムで一人市民サイドの人間が誰か教えられる。

囚人…最初は第三勢力。誰が看守かを知っている。看守が生きている間は昼のターンの投票に参加ができない。この時点では投票で吊られるor人狼に食われることにより敗北

看守が市民に吊られた日の夜もしくは人狼に食われた日の昼の投票時に市民サイドか人狼サイドにジョブチェンジを行うことができる。またチェンジ時点での人狼サイドと市民サイドの人数が分かる。

市民サイドになった場合・・・普通の市民と同じ扱いになる。人狼が全員吊られることによって勝利。

人狼サイドになった場合・・・狂人と同じ扱いになる。人狼と市民の数が同数になることによって勝利。

 

人狼…最初は人狼サイドだがほかの人狼には自身が人狼であると認識されていない。

夜のターンで誰か一人を食うか食わないかを選べる。(ほかの人狼が選んだプレイヤーとは別にプレイヤーを指定する、また人狼のプレイヤーも選べる)

人狼サイドを選んだ場合→次の朝から人狼サイドとなる。狂人と同じ扱いになる。

市民サイドを選んだ場合→次の朝から市民サイドとなる。市民と同じ扱いになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、こんな感じです。

実は既出だったりするかもしれませんがその場合はおいといてください。

 

ということで今回は以上!次回は田村が書くよ!!

 

 

【第43回】 岡山魅力発信!行列の絶えない美味しいラーメン屋さん!「二代目麺処 くるり」

みなさんこんにちは。

タンクトップこと安藤です。

9月の下旬から夏休みが終了し、世間一般の大学生は1か月半ぶりの大学。

僕にとっては休学が終了し1年半ぶりの大学。

普通の大学生の夏休みを12回分繰り返して、ひっさしぶりに大学に通うようになりました。

コロナの影響でオンライン授業もあるものの、学んでいる専門柄、対面事業も少ない状態なんですが、いざ教室に入ると周りみんな大学生。

いや、この大学生というのは所属的な意味ではなく、雰囲気的な意味で、なんか若々しいというかなんというか…自分が2年ほど前に無くしてしまった何かを持っているような人たちばっかり…

政治の話、世間の話、学問の話ばかりも良いものですが、せっかく大学生に戻ったなら世間一般の大学生みたいなことをしよう!…と思い、今回はずいぶん前から気になっていた、とあるラーメン屋さんの食レポを書こうと思います。

元は東京?今は岡山?

今回紹介するお店は「二代目麺処 くるり」というお店。

このお店は元は東京にあり、数多くのファンがいたのですが、2015年に閉店。しかしその後二代目として岡山にオープン。当時の味をさらに改良しているとか。

そんなお店は国道53号線沿いにあり、車の往来が激しいところなので僕もよく店の前を通るのですが、基本行列…しかもまだ正午を回る前から店の後ろのほうまで行列…

なにこのお店…

初めて見た時から、興味がわかないわけがないお店。

その行列の訳はおいしさはもちろん、あの有名YouTuber「HikakinTV」さんがこの店に訪れ食事をした動画がYouTubeに上がっており、かなり多くの人に知れ渡ったことからだとか。

実際の動画はこちら

もうこなったら行って味を確かめるしかない。そう思い店に行こうと思ったのですが…

開いてない…

実はこの「二代目麺処 くるり」は不定休で、大体3分の1でお休み。しかも開いてても昼のみの営業とかもざらで、なかなか自分の休日の向こうの営業日と合わない合わない…みなさんも行くときは、Twitterに半月分の営業時間がのっているので、しっかりチェックしていきましょう。

絶品味噌ラーメン

行こうと決めて、2週間。ようやく行けるタイミングができ、いざ出発。

行列ができるのは知っていたので、余裕をもって開店時間の20分前にお店に行ったのですが、すでに行列…平日なのに…

20分前に行ってもお店の横まで並ぶほどの人気。並ぶぶんだけ期待は高まります。

開店後は回転が良いのか、割とすぐに入ることができ、すぐ食券を買って席に着くことができました。

ちなみにここはラーメンの種類は味噌ラーメンしかなく、味の自身がよく伝わります。

お店の中はカウンター席のみで、木のカウンターが落ち着いた雰囲気。写真の撮影はラーメンにしかできないのと、コロナの影響か会話も基本NGで、店員さんの視線を少し気にしちゃうような空気感でした。

そして席に着いて食券を渡してから5分ほどでラーメンが到着。

僕が頼んだのはこちら「特製味噌ラーメン」1,080円。

まず麺が見えなくなるほどのトッピングの量!

しかもチャーシューが鳥チャーシュー、豚バラ、豚肩の3種類という豪華!

早速スープから1口いただいてみると、濃厚。けどしつこくなく、塩分もちょうどいいくらい。

麺はストレート麺が主流の九州人にとってはあまりなじみのない、太めのちぢれ麺。けどこれが濃厚な味噌のスープと絶妙に絡み合って本当においしい。

またチャーシューもそれぞれの良さがあり、味付けも濃くないので多くても飽きがこない。

中にはもやしもたくさん入っており、これがまた程よくシャキシャキでもやし好きにはたまらない一品です。

個人的には備え付けの花椒を少し入れると、アクセントがついてオススメです。

大盛もあるのですが、トッピングの量がすごいので、男性でも普通盛りで結構満足できると思います。

食後にはジャスミンティーが出てきて、濃厚なスープの後でも、口の中をさっぱりさせてくれるサービスはありがたいですね。

 

「二代目麺処 くるり」さん、大変おいしかったです!ごちそうさまでした!