【第79回】僕の就活雑記

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どうも。くぼはるです。

 

進路に関してきちんと考えなければならない時期になり、一般就職のための就職活動を行っていました。そして終わりました。新卒で迎える就活は人生で一度しかないくせにあまりに事前情報がなさ過ぎて周りの友人や、僕自身も、なにから始めるべきか分からずいたので、誰かの為に、雑記的にまとめておこうかなと。

 

それでは本文。

 

まず僕の就活結果から。四社受けて一社から内定を頂いて四月末に就活終了。正直言うとまわりより相当運がいいし、テンポよくコスパよく決まった。就活期間は三ヶ月くらい。現実問題僕と同じタイミングで初めて内定ない子とかもいるから相当ラッキーだったと思う。

 

僕が就活を本格的に考えたのは2月後半からだった。ただ、そのタイミングはちょっと出遅れ感。遅いんじゃないかなとその時は感じた。だってジャンプを出してる集英社はエントリー閉め切ってたし。バクマンの服部さんにはなれないことが爆速で確定して笑うしかなかったし。行きたい会社が漠然とでもある人はちゃんと三年生の間に調べておこうね。就活強者たちは3年生の夏休み中か明けにはしっかり活動し始めてて、Twitterとかインスタでマウントを取ってくる人たちもちらほら。それを見て慌てる事はしなくていいけど、遅くとも年明けには何かしら動き始めるのががベター。

 

でもそもそも何がしたいのか分からないって人多いと思う。そんなときは二つやることがある。一つは、マイナビとかリクナビを眺めながら自分がやりたい事、仕事にしていきたいことは何なのかを考えてみる。めっちゃ大事。案外、業界地図は自身の関心について考えるきっかけになるので一冊買う事を勧める。ただ、マイナビリクナビみたいな大手のリクルートサイトに掲載のない会社も世の中にたくさんあるので、関心に照らし合わせたキーワードでしっかりと下調べすること。僕は正直マイナビほとんど使ってない。二つめはSPI対策。実はSPIを採用していない会社も世の中にはたくさんあります。一部上場企業でも採用してないところはあります。ただ、やれるに越したことないし、みんながよく受けそうな大手商社、証券、保険とかはしっかりSPIあります。数学苦手なそこの君、頑張ってくれ。

 

就活、用意するものが割とある。まずは服装について。私服で面接したがる会社は肌感覚で全体の二割くらい。一回はスーツ絶対着る。スーツやらネクタイやらは必要になって買いに行くのは、納品まで裾上げとか含めて一週間くらいかかるとこもあるから遅い。注意。ちゃんと合同説明会とか行くなら、さっさと買いましょう。就活のバッグはメルカリがオススメ。どうせあんなダサいバッグ金輪際使う機会は来ません。安く済ませてまたメルカリして、日本を回しましょう。ちなみに合同説明会に出てる会社を受ける人は周りでは案外少数派。あと友達が説明会で席近い女の子ナンパして一緒にご飯行ってた。

写真も絶対必要。写真館で撮る人、結構いると思うけど、僕は駅の証明写真機で乗り切りました。確かに第一印象いいに越したことないけど、撮影に数千円かけるのもったいないと考える人は証明写真機で充分。写真の差で人を落とすような会社はこっちから願い下げの気持ちで居ると、精神衛生的に◎。

 

 

さて、ここまで読んでくれた人には、まず初めに受ける会社を5社決めてみてほしい。適当でもいい。とにかく5社、気になる会社のスケジュールを調べてESまで出してみて。おすすめはYahooです。何故なら通年採用してるから。いつでもエントリーできる。ES書くいい練習になるし別にそこまで行く気なければお祈りメールもネタにできる。マジでおススメ。

 

 

受ける会社を決めたら、頑張ってES書いてください。これは面接にも共通してるけど、自分のやりたいことがしっかり定まってて、貴社ではこれがやりたいって事が明確だと通りやすい。あと大切なのは「統一感」。やりたい○○のために、学生時代○○をしてきました!ってしっかり言えるように考えておくのが吉。

ESが通れば面接が始まる。面接はとにかく明るくしてた方がいい。はきはき喋る事がめっちゃ大事。心の中に中山きんに君を用意して面接に臨むと上手くいきます。これほんとよくある質問なんだけど「なんでうちの企業なんですか?」って問いがマジで多い。僕は初面接の時、この質問に対する回答が支離滅裂すぎて落ちた。

ここで学歴について触れておく。大学のランク気にしてる子、たくさん後輩でいると思う。正直なんとかなる。マジで。ソースは俺。あまり始まる前から卑屈にならない方がいいし、僕の同期は東大大学院生とか京大生とか慶応、早稲田だった。まじでこれからおっかない。

 

こんな感じ。なんかたくさん他にも気にする事ある気がするけど、なんかあったら連絡下さい。答えられる範囲で答えます。

 

就活は良く恋愛になぞらえられるように、学生と企業の相性で決まると考えて相違ないと思う。自分でこの会社めっちゃ相性いいわって感じ取れるアンテナは常に張ってる方がいい。あと、就活もスポーツや勉強と同じで向き不向きがある。就活向きの性格してたらトントン拍子で進むし、向いてなかったらとことん決まらない事もある。サクッと決まった人間が言うと嫌味っぽいけど、ちょっと躓いても気にせず頑張ってほしい。だって大体の人は22年前後生きてこられたんだから。これを読んだあなたが素敵な企業と出逢えるよう祈ってます。

 

それでは。

【第78回】3年前のあの日

#rerayblog 田村の番が回ってきました。

島根県に振り続けた雨も収まり、最近は晴れ間も見えております。

そろそろ梅雨も明けるかな?本格的に暑くなってくるのを嫌だなあと思い始めている今日この頃。

 

 

突然自分語りしますが、

私は岡山県倉敷市真備町出身です。

岡山県倉敷市真備町は3年前の2019年7月7日 後に西日本豪雨と呼ばれる未曽有の大災害に襲われました。

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この写真に見覚えがある人もいるのではないでしょうか?

これは7/7の真備町の航空写真である。

写真右下から左上へと中央に走っている黒い一本は私鉄「井原鉄道」の線路である。
この私鉄は町のかなり高い場所を走っている珍しい鉄道なのだ。

点々と見えている黒、赤、青の色とりどりの四角いものは家の屋根である。
屋根しか見えなくらいまで水が上がってきている。だいたい3m〜4mくらい。

茶色く濁った水が朝8時頃から水位を上げ、夕方まで上がり続けた。
逃げ遅れた人々は徐々に上がりゆく水におびえながら救助を待ったことだろう。

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朝10時の段階で床上くらいまで水が上がった様子を、隣家の幼馴染が送ってくれた。

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前日の内から早めに避難していた家族が送ってくれた写真である。

昼過ぎ頃だったと記憶しているが、土手の堤防からの写真である。徐々に水が上がってきている。

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これはまだ昼前の様子であるが、水が上がってきて船で避難している人の姿など見られる。

 

 

私の実家も水に浸かった。水位は3m50cmまで上がった。1階は完全浸水。2階も50cmほど水が上がった。

水が引いた後の写真をいくつかご紹介しよう。

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どこからか「通行止め」の時などに使うポールが流されてきた。

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家の裏の様子です。2本あったガスボンベのうち1本はどこかへ流れて行ってしまいました。水の勢いが強かったことが伺えます。

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洗面所です。バスタオルなどを入れているタンスが持ち上がってしまっていたり、扉が外れていたりしています。

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一階の和室です。畳が持ち上がっていたり、服は茶色に染まっています。

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これは台所です。倒れている木の箱は食器台。右側の白い箱は調理台に乗った冷蔵庫。

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グロテスクな映像ですね。トイレです。

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こちら階段です。まだ泥が残っています。

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片付け終わった段階でこれだけ家のものはダメになりました。

 

災害当時は私は島根大学の1年生で、1コマ講義が終わって帰ってきてからテレビで見て真備の状況を知りました。

隣家の幼馴染が逃げ遅れたみたいで、定期的に送ってくれる現在の水位を聞きながら、テレビで見る真備の変わり果てた姿を見るのが恐ろしかったことを今でも覚えています。幼馴染みのことが気が気でなくて、夕飯も喉を通りませんでした。

夜になって幼馴染みが船に救助されたことを知って安堵すると共に、我がふるさとがこんなことになってしまったことが受けいられずにいました。

 

授業もあるし電車も止まっているとかなんとか言い訳して帰れなかった。
今思えば授業なんか放って帰って手伝いたかったですね。
それから地元のために何かできないかって思い始めたのは後期が始まって10月を過ぎてからのことでした。その話は省きます。
 
ちなみに家族も私の知人も皆無事だったのでそれは安心です。
 
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ここからはうってかわって松江の話。
先日松江市は記録的な豪雨に襲われていた。
八雲や玉造、宍道の方は大雨が降りました。
駅周辺でも朝酌の方で川が反乱していたとか。
全国ニュースになったくらいで、他県の片から「大丈夫か?」と連絡が来たくらい。
 
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今は真備町も復興も進みつつあり、我が家も昨年再建しました。
豪雨災害が怖いのは建物がそのまま残ること。街の姿はそのままに、街の機能が停止する。
形は残っているのに誰もいない家、スーパー、施設などなど。
定期的に帰ってきて夜に街を走ると、そこはまるでゴーストタウン。被災した人が帰ってきていないから明かりがつかないけど建物はそこにある。
今はだいぶ明かりも増えてきて、大きな店や施設も再建が進んでいます。
それでも無くならないものはあって、それは当事者たちの心の傷。
形は残っているのに家を失った、家具や思い出はすべて水に浸かった。
同じ家なのに、同じ見た目なのに、全然違う家、全然違う街なのだ。
豪雨災害から3年。地元は当たり前ではないことを学んだ。
街は消えるということを学んだ。
 
これまで西日本豪雨のことを詳しく書いたことはなかった。
なんでだろう?なんとなく触れたら駄目なような気がしていたのだろうか?私が当事者ではないから?わからない。
この3年という節目に、今度は地元ではなく今の自分の居住地(松江)でこんな大雨があった後だから、考えさせられることが多かった。Facebook でも文章を投稿した。
 
豪雨災害以降、私は出身を名乗るときは「岡山県倉敷市真備町出身だ」と言っている。災害を風化させないために、少しでも多くの人に豪雨災害のことを知ってもらうために、身近に感じてもらうために。
同時に、大好きな地元のために。豪雨災害の街とだけ覚えられたくはない。たくさんの思い出をくれた大好きな地元だから、とても魅力ある街だから、私を構成する重要な一部だから。
ありがとう。

【第77回】シラスの一本釣り

これはとある魚の物語

 

 

早速ですが、皆さんに質問があります。

 

皆さんはシラスですか?もしくはシラスに付随する何かですか?

 

この質問に対する回答がNO、あるいは質問に回答できないという方は傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲の七つの大罪についてあなたの過去を振り返り懺悔を行ったうえで、一日一万回感謝の正拳突きをハンターハンターの連載が再開するまで行いながら、シラスに対する畏怖の念を持ったうえでこのブログをお読みください。

 

仮にあなたがシラスだった場合、あなたの中のシラスを構成する要素はどこにありますか?

愛ですか夢ですか?体の機能がシラスであるからとしてあなたがシラスであることの証明にはなりません。身体構造がシラスであった場合でもあなたの脳内が鰆であった場合あなたはただの魚であるだけという可能性もあるのです。

 

例えあなたがひとつなぎの大秘宝を手に入れたとしても、火影になったとしても、天下一武道会で優勝したとしてもあなたの脳内はシラスに及びません。シラスというものはそれだけ徳の高いものなのです。

 

ここまでシラスについて、あなたの愛がどれだけのものかについて議論したかと思います。

ここで少し昔の話をしましょう。

 

SHIRASHU~とある夫婦の物語~

その男は星に願いをかけていた。

 

「あぁどうか世界中のたいまつがマツタケを大したことのない大佐になりまつように」

 

その女は願いを聞いてこう思った。

 

「あぁ~エミネムエミネム

 

続けて男は願いを重ねた

 

「何でもないことは何でもなくていいので、何か何でもないことがあったとしても、何ともない日々が、何故何卒ナニコレ珍百景

 

そして女は言葉を重ねた

 

「Yo!Yo!」

 

いかがだったでしょうか。シラスとは人々の願いを叶えるための要素にもなりうるかもしれないのです。

 

シラスの夢

シラスには夢があります。

 

あなたにも夢はあるでしょう。

 

隣のクラスの太郎にも恵にも武にもアイザックシュナイダー・ファントムルージュ・エリザベス・ペチペチ・スーザン・ポチポチ・楽天カードマン・1.5世にも夢はあるのです。

 

【あの海で自由に生きたい】

 

という夢が

 

夢とは不思議な生き物のようなものです。ガソリンはガソリンスタンドで給油するものですが、料理の「さしすせそ」の「し」はシラスでなくて醤油です。

 

シラスが不憫ですね。

 

願いを叶えるために

さぁ物語も大詰めです。瓶に詰めるのは瓶詰です。ではなぜ缶に詰めるのは缶詰というのに、締め切り直前の漫画家が一室にこもって原稿を完成させることは漫画家詰めでなくて缶詰と呼ぶのでしょうか。

 

その実態を探るために私たちはジャングルの奥地へと足を踏み入れた。

 

ジャングルではなんかぐるぐるしてた。

 

本題

シラスって一本釣りより引き網の方がいいよね。

 

 

おしまい

 

 

他の漁法に関しては次の担当の田村が書いてくれると思います。

 

古賀

 

【第76回】誰もが考えている

 こんにちは。平田将達です。6週ごとに出番が回ってくるわけですから、あまり手間のかかる記事を考えすぎると、何かと支障をきたします…。しかし、面倒な記事を書かずにはいられない性のようで、今回も、納得がいくまで書き連ねてみました。もっとメンバーが増えれば、落ち着いて記事が書けるわけですが……。

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 この世の中には、「イデオロギー」というものがあります。その意味を説明するのは困難ですが、端的に言うなら「考え方」、それも政治や宗教のような問題に対しての、各人の考え方を指すものと理解しています。そして、「左翼(左派)」や「右翼(右派)」といったレッテルによって、しばしば派閥が形成されます。

 現代では、「1人1人が違う感性を持っている」ことは自明のこととして知られており、細かな部分まで全く同じ考え方をする人はいないはずです。しかし、考え方のある部分に共鳴するからといって派閥が生まれ、しばしばその中心に位置する人の考え方に、人は傾倒します。

 これはどういうことなのでしょう?例えば、「忠君愛国」「一億玉砕」を信条に、我が国民が一致団結して、敵国と戦った時代がありましたが、なぜそんなことができたのか。

 「軍部の独裁により、そうならざるを得ない時代だった」と言ってしまえばそれで片付きますが、しかし、それでも腑に落ちない部分があります。「誰かに強制されて敵対した」とは言い切れない部分があるように思うのです。

 戦後の日本は、アメリカによる間接統治を経て、主権を回復しましたが、その後も親米路線を貫き、冷戦時代の日本は「西側」の国とされました。その反面、一部の国民は、アメリカのことを「米帝(アメリカ帝国)」と呼び、嫌っていました。その中には、共産主義イデオロギー(反資本主義、反西側)の影響も見出せるものの、全員が共産主義者であったとは到底言い切れません。右翼とされる人の中にも、親米と反米があり、細かな信条の違いを見ていけば、1人1人の思想が雑多に転がることになります。

 「面倒だから、自分の言うことに従わないやつはみんな敵だ」としてしまえば楽ですが、それをまともな心を持つ人間としてみなすわけにはいきません。突き詰めるなら、この形態は「独裁」と言うものですが、独裁は右翼のすることとして信じられています。本当にそうでしょうか?かつて左翼は、「革命」のもとに国家転覆を企み、あらゆる公権力を否定してきましたが、その根底には、「全てをぶっ壊せば世の中は良くなる」という思想があったはずです。私には、両者はむしろ近しい存在のように見えています。

 左翼と右翼の分類には限界があるという話なのですが、かつては、この世界のあらゆる場所で、「左」と「右」の闘争が行われていました。そもそも、世界そのものが、「西」と「東」に分断されていた時代があるのです。これは、第二次世界大戦後からベルリンの壁崩壊までの短い期間に留まることではなく、もっともっと普遍的に、対象を変えて続けられているものと思います。(今や、世界情勢を指すのに「新冷戦」という言葉が使われるようになりました。かつての東側の筆頭が、ソ連から中国に移っています)

 原始時代から絶えず戦争が続いていることを考えると、我々人類は、つねに何かと戦っているようです。その対象が言語化できなければ、恐怖を感じるでしょう。ゆえに、我々は「敵」を見つけ、時に仮想敵さえ見繕い、戦います。しかし、本当の敵が何者なのかをうまく措定できないとしたら、これほど恐ろしいことはありません。こうして、我々は、誰かと敵対してしまうのでしょう。

 戦時中の日本であれば、敵はアメリカ・イギリスあるいは中国であり、社会主義共産主義者あるいは無政府主義者であり、天皇への忠誠を誓わない「非国民」でした。では今はどうでしょうか?日米安全保障やG7の立場から中国やロシアを敵視し、自公連立政権の立場から社共を敵視することに大義を見出すことは可能であるとしても、それが何者かによって強制される世の中であって良いはずがありません。結局、個人が考えに考えて、判断を委ねられるものとされています。

 しかし、報道機関・その他多くの個人によって、さまざまな言説が巷にあふれており、いくら中道を目指したところで、自分にとって都合のよい情報を手に入れてしまうために対立派閥を理解できないのが現状です。また、「自分の考え」とされるものが、本当に自分の頭で考えられたものなのかについては、自信を持てるものではありません。

 

 こんな世の中ではありますが、より賢く考え、賢く生きるためには、1人1人の人間に目を向ける必要があるのではないかと感じます。どんなに強大な派閥であったとしても、根底にあるのは、人の考えです。「左派〇万人vs右派〇万人の衝突」「国民の支持率〇%」という表現を見るばかりでは、その根底にある各人の考え方など見えません。その中で、人としての思考回路をくみ取ることは、必要ではないかと思います。

 いくら親米の世の中であるとはいえ、米英を中心とする連合軍によって家を焼かれ、肉親や知人を失ったような経験を持つ人ならば、「アメリカを好きになれ」と言われたとして、そう思えないのも無理はないでしょう。「あの時のアメリカと今のアメリカは違うんだ」と言われたとして、とうてい信用できるものではありません。そして、その経験をお持ちの方は、今のところこの世に生きていらっしゃいます。そう遠くない将来、戦争を知る世代が全員お亡くなりになったとしても、彼らに影響を受けた世代(我々若者世代も影響を脱しきれない)が生きている限り、「怨念」にも似たその思想は残ります。さらに、アメリカに恨みを感じるいわれは、戦争だけではありません。米軍基地問題、安保法制、TPPなど、恨みを募らせる要因は多くあり、言いがかりまで含めるならば、無数に存在するといえます。

 これらアメリカへの不満ばかりを濃縮して、幼い頃から繰り返し煽動し続ければ、誰であれアメリカのことが嫌いになるでしょう。しかし、我々の社会で行われてきたことは、それだけではありませんでした。

 アメリカのような連合側の協力によって、我が国は復興し、また優れた文化習俗がもたらされたことも事実です。もちろん、日本人も努力して、焼け野原からの復興がなされたわけですが、日本人単体でそれを成し遂げるのは、特に物質面において不可能であったのではないのでしょうか?(戦後の日本が手にしたものとしては、都市部の上水道や道路・鉄路の整備、栄養事情の改善などが挙げられます)

 それでも、かつての敵国であったアメリカのことをよく思えない人間は、「復興は日本人のたゆまぬ努力によって成し遂げられた」という一面ばかりをことさらに強調して連合国に支援されていた事実を無視し、「米帝は日本人の生活を自国式の文化によって汚染した」などと平気で吹聴し、悪しざまに言います。(個人的には、そのような態度に腹を立てながらも、そう刷り込まれたために物事を正面から受け取れないことには、むしろ憐憫さえ覚えます)あるいは、目まぐるしく変わっていった戦後日本の変化についていけず、得体のしれない恐怖の根源として、アメリカのことが嫌いになった人もいることでしょう。

 逆に、その他の国のことを嫌うあまり、アメリカのような西側の国を盲目的に信じ、敵国と認定した国の悪い所ばかりをことさらに強調する人もいます。国のみならず、日本国政府、特定の人種や立場の人間、宗教、性別などなど、「イデオロギー」という言葉の意味を少し拡大するならば、この世のあらゆるものに敵対の構図が当てはまってしまいます。(さすがに、「AKBグループ」ファン対「坂道シリーズ」ファン、「巨人」ファン対「阪神」ファン、「きのこの山」派対「たけのこの里」派、「にじさんじ」ファン対「ホロライブ」ファンの対立までをもイデオロギー論争に含めるのは無理があるでしょうが、場合によっては、彼らは明確な敵対関係にあります)

 イデオロギーの対立は、客観的事実の認定にさえ影響を及ぼします。例えば、福島第一原発の冷却処理に使われた微量の放射性物質を含む水のことを、日本国政府「冷却水」と呼ぶのに対し、政府に敵対する勢力は、盛んに「汚染水」と、「汚染」という語を用いて原発の弊害を盛んに広めています。同じ「水」のことを指していることは明らかであるというのに、政治信条によって呼称が異なるわけです。

 

 このような呼称の違い、考え方の違いは歴史観にも影響を及ぼしており、積み重ねると、過去の歴史の見え方が、随分と変わってくるようです。真実は1つしかないというのに、遡って真に客観的な歴史を記述する術がないために、過去のことは何とでも言えてしまうのです。日本史においては、身分制度としての「士農工商」の存在や、応仁の乱の後の混乱ぶり(俗に言われるほどの混乱ではなく、無政府状態というにはほど遠かった)について、実証的な立場から批判がなされました。

 日本史においての究極の問いは、「天皇126代は、どの程度実在していたのか」ということです。おそらく今後も決め手は現れないので、各人が好き勝手なことを言うことしかできません。中には、実証的態度を全く捨て去り、自らが築き上げた物語の中に浸っている人さえいます。同じく、「日本人とは何なのか」という問いも、特定の方向に態度を誤れば、日本人を神格化することになってしまうため、注意が必要なものです。

 戦後の日本においては、日中戦争や太平洋戦争は、「侵略戦争」であったかどうかという点が問題になりました。(「侵略戦争であった」というのが国としての公式の立場ですが、波風立てるのを嫌ってか、明言が控えられる傾向にあります)主に右翼が、この立場を否定し、今もそう考える日本国民は多く存在します。侵略に対して、あの戦争は「自衛戦争」であったとまで言い切る人さえいます。「侵略」であったという事実は認めなければならないのですが、「侵略」と「自衛」という対立もまた、完全なものではないでしょう。

 対して左翼は、「侵略であった」ことを積極的に認めており、その点は歓迎されるべきことなのですが、「当時の軍部」と「今の我々」を切り離して考えており、両者の普遍性に目が向いていません。国内における清算はすでに終わっており、自分たちが政治に携われば、同じ過ちは繰り返さないとでも考えているのでしょうが、そう甘いものではないと私は思っています。

 それに対して、左翼側に立つ人間は、あの戦争のことを、「右翼がやった戦争だ。我々左翼は弾圧されて痛い目に遭った」と思うことにしています。左翼の歴史観として、「右翼ばかりが国家を牛耳ってきた」ことが信じられており、正しい思想を持っている自らは、常に被害者の側に置かれ続けるのです。たしかに、天皇を敬い、社会主義共産主義者を排除する政策は極右的ですが、そうとも言い切れません。国家の改造のため行われる尊王攘夷も、欧米からのアジアの解放を意味する「大東亜共栄圏」の建設も、むしろ左翼的な一面を持っています。やはり、戦争や内戦は「左」「右」の対立のみで片付けられる問題ではないように思えます。

 それでも、「自分は悪くなかった」と思ってはばからない日本人は、左右どちらにも多いといえます。左右どちらにも正解はなく、ただ戦争を遠ざけ、平和を望むようにするのが良いのでしょうが、その骨子となる平和のための政策をめぐって、今なお対立が起きているのが現状です。

 ここまで、左右の対立の構図には限界があるという趣旨で論を展開してきましたが、特に冷戦が終わったあたりから、「左」と「右」の対立は弱まり、むしろ「左」「右」に単純化できない問題が増えました。さらに、「左」でも「右」でもない「中道」を目指すべきという気風に、世の中が動いたのです。

 中道とは、左でも右でもない存在ですが、「左翼」「右翼」という定義が時代によって揺れ動いている以上に、不安定かつ同意の得られにくい立場でもあります。ようは、左翼に見える集団を糾弾できる立場ですが、そういう自分は何者なのかが明らかでないのです。結局のところ、左であろうが右であろうが、自分にとって気にくわない派閥を糾弾するワイルドカードのような立場ながら、その実態は左傾・右傾のいずれをも嫌って揺れ動く存在のようです。(一方に偏って歩み寄りをしないのは問題でしょうが、はなから両方を悪と決めつけ、自らは立場を表さないのもどうかと個人的に思います)

 世の中で起こる犯罪の数々を見ても、左なのか右なのか実態の見えづらいものが多く起こされています。かつて東アジア反日武装戦線が起こした「三菱重工爆破事件」といえば、どう見ても新左翼によって起こされた凶悪犯罪で、日本社会党浅沼稲次郎委員長を殺害した少年は、明らかに右翼に決まっています。

 しかし、相模原の障がい者施設で起きた大量殺人、川崎の小学生を狙った通り魔殺人、京都アニメーションの大量放火殺人が、どのようなイデオロギーに基づいて行われたのかは、全く明らかになりません。犯罪が左右のイデオロギーを離れて起きている以上、どちらの立場からもこれらの殺人は説明できるわけではなく、殺人に至るほどの怨恨の有無も判然としません。この2件の動機は、お金が欲しかったというわけでもないようです。

 我々の住む社会で、このような不可解な事件が連発しているあたり、もはやイデオロギーが人を惹きつけず、左右の対立は終わったのだという指摘もなされています。その因果について、私は明言できませんが、社会や集団に対しての怨恨を伴う大量殺人・無差別殺人のような凶悪犯罪でさえ、左右イデオロギーの対立を離れて起きるようになっているわけですから、イデオロギーのせいで犯罪が起きているとも、犯罪が起きるのはイデオロギーのせいであるとも言えなくなってきているのではないかと感じます。明言はできませんが。

 

 ただ、いくら左右の対立が弱まったといっても、決して対立が消え失せたわけではありません。左右どちらかに偏った言論をなす存在は相変わらず存在しており、インターネット空間においては、「ネトウヨ」対「パヨク」の構図が見られます。この呼称自体は、かつて一部の右翼が「ファッショ」、一部の左翼が「トロツキスト」などと呼ばれていたことに通じますが(どちらもほとんど死語)、主にインターネット空間で闘争が行われる点に違いがあります。

 それでも、「ファッショ」「トロツキスト」が、かなり限定された集団のことを指していたのに対して、気に入らない右翼は誰でも「ネトウヨ」、気に入らない左翼は誰でも「パヨク」と認定されるように変わってきているように思います。最近は、Twitterを眺めていても、「かくも争いの多い媒体であったか」と感じることが増えました。もちろん、その全てが「ネトウヨ」対「パヨク」の構図で行われるものではないのですが、恨みや憎しみは、より深まったといえるのではないでしょうか?

 そして、21世紀の世界では、「ヘイトクライム」に分類される凶悪な犯罪が起きることが知られています。日本では大規模なものはあまり聞かないものの、先に挙げた相模原の殺人は障がい者への怨恨、京アニの殺人は京都アニメーションへの怨恨が動機とされます。そして、世界的にもっともっと深刻な動機となりうるのが、「民族」「宗教」「思想」などの対立です。

 ヘイトクライムを象徴する事件として知られているものに、2019年にニュージーランドクライストチャーチ市のモスクで起きた銃乱射事件があります。この事件の犯人は、ムスリムを敵視しており、国内の移民を排除する思想を持っているとされます。また、犯行前に「The Great Replacement(「大置換理論」とでも訳そうか…)」という文章を公開しており、そこで自らの思想を表明していたそうです(今は公開が停止されており、見ることができませんでした)。

 問題は、この犯人が移民排除を考えていたために、「白人至上主義」「極右思想」の持ち主であるとされていることです。この世界は、白人によって支配されてきており、白人社会に移民が増えれば、「白人至上」の立場からこのような事件が起きるものと理解されています。

 私が海外を知らないからかもしれませんが、個人的には、この主張を即座に理解することができません。なぜなら、「白人」の「右翼」によって、そうでない人間が抑圧されていることが前提とされているからです。

 今回のアメリカ大統領選挙では、右翼で白人至上主義を唱えているとされる共和党のトランプ前大統領が、国内融和を求める民主党のバイデン大統領に敗北しました。国を二分するほどのすさまじい戦いでしたが、「悪逆非道の限りを尽くした極右トランプ政権が、正義の名の元によって下された」と、本当に言い尽くせるものでしょうか?

 この点が腑に落ちないまま、今日もどこかで犯罪の種が根付こうとしているのです。国内と世界のいずれにおいても、殺人やテロの実数は1970年代頃のほうが多かったというのに、かつての構造で理解できないような出来事が相次いだために、社会不安が増大しています。新型コロナウイルスCOV-19の世界的大流行によって、ますます世の中は不安定になっているように感じられます。「コロナのせいで起きた」とされる犯罪もすでに出てきていますが、我々はこの社会の実態を、思想の対立を、どのような軸で語るべきでしょうか?「左翼」対「右翼」の構図は、これからの社会においても社会不安や政策を語るのに、適格であり続けるでしょうか?

 「左翼」と「右翼」の一方を「善」なる存在として決めつけ、もう一方を悪とするのは、やはり合わないのではないでしょうか?


 差別主義者には、「レイシスト」の蔑称が与えられます。この語は、とても強烈なニュアンスで使われてきました。レイシストを駆逐するため、著名人の差別発言をあげつらう「レイシスト狩り」がTwitterなどで行われることがあり、数年前の差別ツイートが発掘されたことで、実際にあるウェブ小説作家が廃業に追い込まれました。

差別は決して許すべからざることですが、気に入らないもの全てに対して、「レイシスト」の汚名を着せることで、社会がより良くなるものでしょうか?気に入らないものを見つけた場合、黙ってはいられないのが人間であるという本質がこの件に現れていると思います。

 差別ツイートというわかりやすい「悪」ならばいいのですが、「悪」の認定も、どんどん難しくなってきています。2019年に常磐自動車道であおり運転が起きた際に、「ガラケー女」と誤認された女性に誹謗中傷が相次いだ件で、当該ツイートをリツイートしたTwitterユーザーに刑事告訴が行われることになりましたが、訴えられた彼らの中には、自らの良心に基づいてリツイートすべきと判断した人も、ツイートを見るや脊髄反射リツイートのボタンを押した人もいるはずです。

 2021年に福島県沖で発生した地震の際には、記者会見をする加藤勝信官房長官の顔の部分が、AIによって笑顔に改竄され、不謹慎な態度を取っているかのようなネガティブキャンペーンがなされたこともありました。あの笑顔が本物かどうかを、確実に見抜くのは、人間には不可能な技です。

 現代は、何が正義で何が悪かが見えにくくなっている時代であり、全く汚れることなしに生きていくのは不可能であるかのように思えます。しかし、正義のもとに悪を認定し、駆逐しようとする人間は、それでも感情の向くままに行動しています。その結果、何気ない発言によって、人生が台無しになる人も出ているわけです。

 ならば、LINEもTwitterFacebookInstagramもせず、2ちゃんねるなどの掲示板に書き込まず、その他一切の言論を発表せず、人目につかないところで生きていくのが、もっとも良い手段なのでしょうか?(それでも、知人に晒されて攻撃を受ける可能性はある)

 そういう考え方も実際にあり、インターネットが普及して間もない頃は、「ネットは利用しない」という方針を表明する人もいました。しかし、最近は聞かなくなったのは、そのような沈黙には耐えがたいと感じる人が増えたのか、インターネットやSNSが普及したために、そもそものリテラシーを持たない人を除いて、ほとんどの人が何らかのSNSを利用することを選択したということではないのでしょうか?世の中のさまざまなニュースを聞いて、口を挟みたくなるのもまた、己の心の欲するところです。

 

 1人1人違う考えを持っているはずなのに、人はどうして群れをなし、敵対するのでしょう?最後にこの点を明らかにしておきたいと思います。やはり、誰もが思想を持っていて、何かのために行動するためなのでしょう。

 なぜ特定の人と思想が合い、別の人とは合わないのかを考えるため、人間の行動について、私見を3点挙げてみます。

 

①人は、知っているものしか選べない。

 人間とて、全知全能の神ではないので、物事の理解が及ぶのは、自らが見聞きした範囲のことに限られます。さまざまな場所に、さまざまな境遇の人がいるので、物の見方はそれなりに多様化しそうに思えます。しかし、少なくとも現代の社会には「大衆」という存在が想定されていて、その範囲内では、物の見方や考え方は、それなりに規定されることになります。少なくとも、「大衆は存在しない」と言い切ってしまうのは、よほど斬新な考え方であり、(仮にここだけでも)大衆は存在するものと見て良いはずです。

 どんなものを見てどう考えるかという方向は、自らの頭で考えずとも、それなりに決められています。要は、「自分が正しい」と思った方向のものを支持するだけで生きていけるのですが、いかなる派閥の中でも、その中にいる誰もが一枚岩のように一貫した思想を持っているわけではないということは、忘れてはならないことです。

 

②人は、一度抱いた悪い印象をすぐには克服できない。

 「あの時アイツはどうしようもないヤツだったが、今は良くなった」という構図は、誰しも憧れるものです。特に、自らのお陰で人を良くできたという自負が得られるなら、必ず鼻が高くなるに違いありません。しかし、現実には、一度抱いた悪い印象を払拭して、何か良い結果がもたらされたという経験は、少ないのではないでしょうか。

 人は第一印象を強く記憶する生き物のようです。ならば、それなりに信用のおける機関から、ひとたび誰かの悪評を受け取ってしまえば、その悪評を払拭するのは難しいように思えます。特に政治の世界では、「悪者」をでっち上げて批判することが行われていますが、その「悪者」は、いかにして悪者なのか、自らはどのように考えるかという点について、どこまで自分の頭で考えて判断できているでしょうか?…かくいう私も、自信がありません。

 ただ、あまりにも「正義」と「悪者」の交代が激しいため、「正義」と「悪者」を入れ替えることに抵抗がなくなってきている人がいることは心配しています。例えば、我が国では、55年体制以降に2度の政権交代を経験しつつ、自民党が中心となって政治を繰り広げてきました。その結果、「自民党日本新党新進党社会党自民党民主党自民党立憲民主党」のように、支持する政党やその根底にある政治思想さえもがコロコロと変わってしまう人がいるのです。ここまで揺れ動くのは、極端であるように思えます。自らの頭で判断した結果ならともかく、メディアや大衆の言う「正義」に乗せられた結果であるならば、やはり歓迎されることではありません。

 

③人は、自らの過ちになかなか気づくことができない。

 立場を異にする人から何らかのアドバイスをされた時、素直に受け取ることができるでしょうか?正直に言って、なかなか難しいことです。自分が正しいと思っているうちは、せっかくの忠告も、うっとうしいようにしか聞こえないものです。しかし、自らが間違っていると気づくやいなや、急に自らの愚かさに気付くことになります。このような経験は、誰しもあるはずです。

 「自分のすることが全て正しいと思っている」「身内には甘い」という文句は、誰であっても自分事として捉えるべきもののはずですが、ネットでこのような文言を検索してみると、政府などの公権力を批判する文章が多く出てきます。それを書いている人は、本当に自分のことも公平に捉えられているのでしょうか?そこを、私は疑っています。

 もちろん、「身内に甘い」を裏返して、見せしめのごとく身内に厳しくすればいいと言いたいのではありません。公平かどうかという点が重要です。政治家のような、目立つところにいる人物が、甘い考えをして批判されているのを見れば、糾弾したくもなるのですが、「人のふり見て我がふり直せ」という態度でありたいものです。

 

 この世界は、さまざまな人のイデオロギーにあふれています。何度も書いているように、人は1人1人違う考えを持っています。ある集団の考えは広まるのに、ある集団の考えは埋もれてしまうということがよくあります。ならば、世論を盲目的に信じるより、誰もが何かを考えていること、特定の層によって誰かの考えが埋もれていると気付くことは、その分視野を広げることになるはずです。誰の目にも映らない部分にも、誰かの考えが埋もれているのです。

 考えることを放棄して、目を背け、閉ざしていても生きていける時代であるからこそ、私は考えることを放棄したくないと思っています。世間が報じることを鵜呑みにして生きていけば、何かがこぼれ落ちるのではないかという気になります。大衆の1人として、世の中がより良くなることを願っており、そのためには、血の通った人間の思考を知っておくべきではないかと感じる今日この頃です。

【第75回】人生初バイト!!!

お久しぶりです!まえだです!

投稿が少し遅れてしまって申し訳ないです💦

今回は私が今働かせていただいている飲食店でのお話をしたいと思います

私の高校はアルバイト禁止だったので、これが人生初アルバイトになります!(^^;
そしてここだけの話、学業に支障が出ると言われて、両親にはアルバイトを禁止されています(え)
奨学金もいただいているので、生活が苦しくてという理由ではないのですが、社会経験としてしといて損はないなと考え、今も働いています!

ところで、みなさんはアルバイトをした経験はありますでしょうか?アルバイト先を選ぶときの決め手はなんですか?
給料?福利厚生?業務内容?立地?など色々な要因があると思います
私は、自分の住んでいるまちを把握しようと散歩をしているさいに、「アルバイト募集 店まで」とだけかかれた張り紙を見て、そこに決めてしまいました
また、緊急事態宣言前だったので、昼間からお酒と会話を楽しむ大人の姿が見えて、とても惹かれたというのもあります
その後日を改めて店長さんとお話をし、2日後に初出勤が決まりました

個人経営の小さなお店なので、常連さんが多く密なコミュニティが築かれていることを知りました
そのお話をしたいのですが、長くなりそうなので今日は経緯までで終わろうと思います
また後日談で、社会人のかたにお会いしたときに、アルバイト選びは自分の直感と運次第だと言われました
案外自分の勘に従った方が良いこともあるかもしれないと思ったまえだでした😃

次は平田さんですー!お楽しみに!

【第74回】結局何を求めているのか

こんにちは。ぐっさんです。

 

小話

今日は父の日ですね。皆さんは何かプレゼントを渡しますか?それとも手紙?花束?

感謝を伝えるのであれば、どの方法でもきっと喜んでくれるはずですね。

 

今回の私のテーマは「就活」です。

 

私は4月末にすでに内定をいただき、それにて終了。としていました。しかしながら、2ヶ月経った現在、果たしてそこでいいのだろうかという不安が込み上げてきました。というのも、あっけなくそこに決まってしまったことや、自身の興味のある業界ではなかったこと、など不安要素が多くありました。また、木曜のゼミがある日は同学年が多く集まるので、その時も就活と将来像など話すことがありました。家に帰っても一人で考え込む時間が増え、今に至っています。

 

考え込んでも解決しそうにない考え事(無駄)

  1. 自分が本当にやりたいことは何か
  2. そもそも本当とは何者か
  3. 私は何を求めているのか
  4. たかが20年しか生きていないのに自分の目的に沿った職業など選べられない
  5. 企業が合わなければ転職すればいいというが、中途採用の場合、新卒で入れた頃のように自分のスキル以上の企業には入ることは難しい(推測)
  6. 自分が関心のない業界で働いて楽しそう?
  7. せっかくなら自分が興味のある業界がやっぱり良くない?と思ったが、キャリアアップと生活環境の安定を求めるのは難しい

 

1に関して

これは洗いざらいしました。自分の関心領域を箇条書き。多くのことが出てきました。出てきすぎて、選べない。

 

2に関して

これはゼミ担当の林准教授とも少しだけ話をした。自分が本当にやりたいことがわからない、と話すと「本当にやりたいことはすぐには見つからない。探し続ける。その中で気づくことがあるから。とにかく行動し続ける」とのことだった。確かに、自分は少し考え込むことがあるのでとりあえず行動し続けることは大事だと思った。本当のことが簡単に見つかったらそれはそれで人生つまらなそう。「え、これなの」と愕然とするかもしれない。簡単に見つからないから面白いとマインドセット

 

3に関して

私は何を求めているのか。これはいつも考えている。将来社会人になって奥さんは欲しいと思っているし、家族は欲しいし、車も欲しい。物欲だけでなく、給料、キャリアアップ…。全国転勤の企業にもし入社した場合、家族が不満なく生活することは難しそう。現に兄が小学生の頃、転勤先の小学校でよくいじめにあったとか。これはあるあるなのだろう。あとは小さい子どもできたときに転勤ばかりで生活環境に不安になるのが普通ではないかとも思う。女性としては、ママ友、地域でのコミュニティにやっと馴染めた頃に転勤になると精神的にも疲れてしまうのではないだろうか。これは私の考え過ぎなのだろうか。考えすぎても良くないことは知ってはいるが理解はしていないだろう。そもそもこのようなことは書かないだろうし。

 

4に関して

これは自分が勝手に思っていることを書いているので暴論だと思われても仕方ない。もはや、選択肢に溢れたこの時代でしっかりと選び切ることの方が難しいと私は思う。選択肢が多いほど、最適解に程遠いものを選んだ経験はないだろうか。それと同じことが起きてきるのではないかと思う。これは自分にとって防衛線を張っているようなもので世間からしからそれはただの甘えでしかないと言われても仕方ないと思う。新卒採用が未だ根強い日本が制度改革してさえくれればいい。文句垂れるなら日本から出てけばいいだけだ。しかしながら、義務教育、高等教育において自分と見つめ合う時間が圧倒的に配慮されていないにもかかわらず、大学3年になり(その以前にもできないわけではないが、意外と忙しいものだ学生は)将来長きにわたって勤めるであろう企業を探しものめるのも無理はない。また、転職が当たり前な世の中になればもっと気持ちに余裕を持った行動ができるはずだと私は思う。

 

5に関して

企業が合わなければ転職すればいいというが、中途採用の場合、新卒で入れた頃のように自分のスキル以上の企業には入ることは難しい(推測)

これは少し4とも関係していると思う。転職しようにも今より生活が厳しくなるならばあまり積極的には行動がしづらいのではないだろうか。これも憶測

 

6に関して

自分が関心のない業界で働いて楽しそう?

なんでこれをやっているのだろうと思ったら、危なそうではある。しかし、それが家族のため、自分のキャリアアップのためなら頑張っていけるだろうか。そもそも人生の目的に向かって行動している就活生がそれに見合った企業に就職したものの、家族のため、となったら「はて、私はなんでここにいるのか」とならないのだろうか。そもそも人生に目的なんて存在するのか。これは行動し続け、探し求めるのであろうから今はもちろん解は出ないが。こじつけでもいいから動けと言っているのだろうか。

 

7に関して

せっかくなら自分が興味のある業界がやっぱり良くない?と思ったが、キャリアアップと生活環境の安定を求めるのは難しい

  全国転勤のない職業は生活環境の安定に優れているが、仕事自体に魅力を感じないこと、逆に全国転勤ではあるが、仕事内容は楽しそう・興味のある業界、となると、二兎追うものは一兎得ずだ。

 

最後に

最近自分が無意識・やっていても苦痛ではないことはなんだろうと一日中考えているとしっくりくるものが出てきた。

「集団をまとめ、一つの方向に引っ張っていくこと」

が無意識にやっていることだと確信した。

というものそれに何の分野が入るのかを考えたが色々邪魔して、答えに辿り着けない。

 

ただ、唯一これなのではと思っているのが教員だ。

今まで、教育機関で様々な教員と出会ってきて共感することがあっとことや、影響を受けたことなど、記憶に鮮明だ。まだ、これだけではしっかりとした根拠ではないが、今楽しいと感じてる。教員も自分が得意としている能力を活かせることができると思う。

 

今保留している企業は持っておいて、まだ時間はあるので焦らず自分と向き合っていきたい。

 

ここまで見ていただきありがとうございました。

次回は前田さんです!お楽しみに〜

 

では。

 

 

 

 

 

 

 

 

【第73回】服を買う楽しさを、教えてくれたお兄さんとの思い出話

どうも。くぼはるです。

 

最近メルカリで、服を買いました。ちょっと思い出したことがあるので、書きます。

 

もう1年以上経っただろうか。僕にとって少しだけ特別になる服を買った。

スーツや振袖のような、大切な時に着る服を買ったわけじゃない。普段の生活で着るやつ。いわゆる私服。

「niko and...」って服屋さんが好きでよく使う。菅田将暉小松菜奈をモデルに起用し、20代前半から特に支持されるブランドだ。僕もその中のひとり。昨年くらいに地元にあることを知ってから、シーズンに1、2回くらいは足を運んでいる。

何度か通っていくうちに、お店のお洒落なお兄さんと親しくなって、そのお兄さんと会話しながらの買い物は時々の楽しみになった。たぶん、2つくらい年上の柔和で優しい印象の人。

そういえば最近服買ってないなと思って、訪れた niko and... 、その日もお兄さんは優しい笑顔で出迎えてくれた。

「最近元気ですか?暖かくなってきましたね。」

なんてたわいもない話をしながら、服を選んでいると、お兄さんは就職でお店をもうすぐ辞める事、配属は九州になる事を教えてくれた。名札の名前しか知らないそのお兄さんが辞めてしまう事に驚きと寂しさを感じてた。

「お兄さんが僕に来て欲しい服を上下選んでください。今日はそれ買います。」

勢いで言った。今考えると厄介な客だ。お兄さんはびっくりしてたけど、すごい嬉しそうに服を選んで、

「こんなお願いされた事ないのですごい嬉しいです!」

って言いながら服を選んでくれた。その日の会計は2万とちょっとくらい。決して安い買い物じゃなかったけど、良くしてくれたお兄さんへの感謝と餞別と思えば安いもんだった。

連絡先なんて知る由もなく、それ以来お兄さんとは会っていない。でも、春と夏までの間、その期間に活躍してくれる服たちを着るたび思い出す。苗字しか知らないお兄さんとの大切な思い出の話。

 

大遅刻しました。ごめんなさい。

それでは。