【第85回】私が起こしたエクストリーム・アダプテーションからみる、気候とこれからの世界
はじめまして。この度初めて記事を担当する、明誠高等学校通信制課程3年次の、伊藤迪と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
さらっと自己紹介をすると、私は益田生まれ、益田育ちの17歳です。
益田市というのはすごく田舎っていう感じがしていて、一見何もないように見える街です。しかし、海山川湖に囲まれた自然豊かな街で、そのなかには多様なキャラクターを持つ人がたくさんいて、あまり知られたものはなくても魅力がいっぱいあるところです。
そんな街で私は、探究活動を行ってきました。
具体的に言うと、小学1年から有機栽培で野菜作りを始め、小学4年の頃からは一般的な栽培方法も学びたいと思い、近所の農家さんに弟子入りしました。
また、環境問題についても興味関心を持ち活動していて、地域のNPOの正会員として高校生では唯一所属し、漁業関係の調査や高校の部活動の伴走にも参加するなど、日々郷を駆けずり回るように活動しています。
それ以外にも、地域にかかわることならなんでもかかわるような勢いで動いているのですが、そのことはまたの機会にということで・・・。
そんな自分ですが、実はアスペルガー症候群という障害を持っていて、これまで色々な壁にぶつかってきました。
中でも、感覚過敏という症状に悩まされてきたことが多くて、音やにおい、触感などに過敏だったりして、刺激の多い所では疲労が多いので、学校に行けなかったりもしていました。
しかしそのぶんだけは、というか感覚が過敏だからこそ、風の匂いや雲の流れる音を聞くだけで、3日先の天気まで予測できたりという、ギフトも持っています。
そのような自分が、特性を生かして活動をするなかで感じた疑問と、それに対する検証結果と想いを、今回は夏らしいテーマに絞って伝えさせてもらえたらなと思います。
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上にも書いた感覚過敏についてですが、色んな感覚の要素が合わさる形で「自分は暑いところがものすごく苦手である」というものがあり、すごく苦労していました。
おまけに当時は小学校にもクーラーがなかったので、勉強するにも集中できなくて騒いでしまうこともしばしばでした。
そんな自分でしたが、ひとつ疑問に思うことがありました。
それは真夏に師匠と農作業をしていたとき、自分は暑くて倒れそうなのに、師匠だけはなぜか涼しい顔で作業をされていた、ということです。
それに対し小学5年生だった私はものすごく驚き、師匠に聞いてみました。
そうすると師匠は、
「こりゃあ慣れじゃ。儂はいつも畑へ出て鍛えとるが、あんたのように冷房の効いたようなところにおりゃあ体が弱る。じゃから儂の部屋には冷房がないし、ほしいとも思わん。あんたもうちへもっと来んさい。強うなるけえ」
と言われました。
しかしこれは私にとってすごく新鮮なことでした。何故ならば、夏は冷房を付けるもの、暑さにはあらがわず涼しくするものと思って生きていたためです。
そしてまだこのときは、いくつもの波乱の先に謎が解けることを私は知らなかったのです・・・。
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それから5年の歳月が経って・・・。
それまでの間、私の生活は目まぐるしく変化をし続けました。
中学校に入ると不登校状態となって、体も随分弱くなりました。
学校に行けども頭が働かず、動こうと立てばたちくらみ、大好きなチャリも乗れば居眠り、寝れば起き上がれず、気がつけば脱水症状・・・という風に。
それは高校に入ってもあまり変わらず、次第に夏の暑さに耐えられなくなっていきました。
と、そんな状態が続くかに思われた高校2年の夏のことです。
私は次第に活動をできる力をつけ・・・正確には人と関わりつづけることで経験を積み、余計な力を抜きパワーをセーブしたりもできるようになったためにですが。
家から出て行動する時間も回数も、前年の何倍にも増えていました。
そして、活動を増やしながら迎えた冬のある日のこと。
益田一帯を大雪が襲い、街中が凍り付きました。そのときも私は忙しく活動をしていたので、街中を自転車で駆け抜けていたわけです。
そして迎えた、大雪5日目の夜。
午後9時を過ぎて見えるもの全てが凍り付き、ただ街路灯の灯りが銀世界を照らすなか。
私は一人、家路を急ぎチャリを漕いでいました。予報では、これから吹雪くとのこと。急がねば。そう思って速度を上げた、次の瞬間。
なぜか突然、コートに着いた雪が融けてきたのです。
それまでは、いくらコートに着いても融けなかった雪なのに。なぜだ!!と思った私は、ふと記憶の中の気象予報を思い出しました。
―益田市の夜は、最低気温0度でしょう-
うわあああああああっ!融けるじゃん!!!!最悪だわあ~!!!
と思うが早いか、段々と冷たくなっていくコート。家まではあと3㎞、おまけに猛吹雪が真正面から吹き付けてくる最悪の状態。
感覚がなくなる手足、震えるハンドル、ペダルを漕ぐ足も徐々に力をなくしていきます。
自販機のおしるこで辛うじて暖をとったわたしは、アイスバーンに新雪が積もり片時も気が抜けない中、最悪のコンディションで家路を急ぐ羽目になりました。
そして家に帰ると、へたり込むようにコートを脱ぎ、かろうじて動く手を使ってチキンラーメンをすすりました。
・・・こりゃ風邪ひくわ。そう思った翌日、私はというと・・・。
「あれ?暖房暑くねえか?・・・ん?体が軽いぞ?よし!外出るか!
いやあ、今日温いなあ~。気温は・・・?はあ?3度?
・・・・・うええええええええええっ!!!マヂかよ!!!」
なぜかピンピンしてました!それにむしろ、快調そのもの。
おかしいなあと思いつつも自室に戻り、とりあえず暖房の温度を5度下げました。
そしてまた時が流れ、2021年7月。長引く梅雨がもう少しで明けるというある暑い日、よりにもよって農作業の臨時バイトをしていた私は、気温32度湿度100%のなか、郊外へとチャリを漕いでいました。
玉のように出てくる汗は蒸発することがなく、次第に滝となって体を伝っていきます。
体温は上がり、心拍は190から一向に下がらない状況。そのきつさたるや、スタミナ勝負の私でもチャリを路肩に停めてしまうほどでした。
そこからどうにか体に鞭を打って走り、バイト先へ到着。そして仕事はというと・・・。まさかのモア!!!
モアというのは草刈り機の一種なのですが、タイヤがついていて馬力が強く、デカいうえにスピードが出て、さらに操縦が難しいというもの。
故に全く気を抜けないわけです。
そのうえ、作業場所は果樹園の中でしたから、木にぶつかりでもしたら大問題。
でも仕事ですから、大汗をかきながら3時間の作業をやり遂げました。
そしてその帰り道、思い出すのはあの冬の日のこと。フラフラ感はこっちが大きいなとか、でも震えはないからいいか~とか、そんなのんきなことを考えながら帰宅して、でもあまりにだるかったので、冷やしておいたジュースを飲んで風呂入って・・・あ、だめだ。
気が付いたらベッドで冷や汗をかいて寝てました。
故に今度こそはダメかなあ、脱水症状になるよなあ~と思い、迎えた翌朝。
「寒っ!しかし今日も外は暑そうだなあ・・・。
あれ?暑くない。うん?晴れてる。え?
気温は・・・。31度?湿度90%?
はああああああああああっ?
しかもなんか調子がいいぞ~!!!!畑出るか!!」
というように、またしても急激な変化が起こっていました。
そしてこうなると、思い出すのはあの冬の日のこと。それに加え今度は、小中学生の頃のことも思い出していました。
毎日のように畑に出る頃も暑く感じていたけど、不登校状態になると段々暑さ寒さに弱くなって・・・。また動けるようになったら暑さ寒さに強くなった・・・?
・・・人間ってすごい。
これがいわゆる、適応能力というやつみたいです。
そうしてやってきた今年の夏本番。私は益田近辺を駆け回り活動していました。
たとえば、ある時は朝早く起きて郊外の公民館までチャリで行って小学生に勉強を教え、午後には反対側の村に行き炎天下で祭りの準備、というように駆け回りました。
その間、休憩時間はごくわずか。
それでも、へたることなく活動し続けることができたのはきっと、この能力のおかげだと思います。
ズバリ名付けて、「エクストリーム・アダプテーション!」
ここに、長年抱いてきた謎が解けました。
しかし!話はここでは終わりません。
アダプテーションがエクストリームした状態で迎えたお盆の頃。
益田には季節外れの秋雨前線が襲来し、大雨をもたらしていました。
秋雨前線、即ち寒気と暖気の押し相撲。即ち、涼しくなる…一般的には。
そしてもう察しはついているかと思いますが、アダプテーションがエクストリームしている私がそこにいると・・・。
「寒ッ!」となるわけです。
まさか、夏に寒いという単語を話すことになろうとは、思いもよらぬことでした。
これがいわゆる、気候変動というやつなのでしょうか。
そして私はここに、一種の限界を感じました。
せっかく暑さに対してエクストリームしたにも関わらず、こうも気候がガタガタと変化をすれば、穏やかにしか対応できない人間のシステムでは当然ながら無理が来るわけです。
これから先、どこまで体が持つ気候が続くだろうか。今年88歳になる師匠のエクストリームも、どこまで持ちこたえられるのか。
地球環境を保護するためにも、エクストリームさせて余分な冷房を使わないというのが一つの方法ではあります。
しかし、もはやエクストリームすること自体が危険とも感じるこの気候では、とてもじゃないけどお勧めできる方法ではないわけで・・・。
小学校体育の定番だった、冬に半袖で出ると元気ポイントがもらえるよみたいな、それの夏バージョンはもうできないのだなあと。理屈がわかった今の私からすると、かなり残念です。
しかしこれは、かなり危機的な状況ではないでしょうか。
考えてもみてください。気象が極端化して人間の適応能力を超えてしまったならば。夏場では即、クーラー必須の生活になってしまうということであり、これは即ち、電気が止まってしまえば生存すら危ういということです。そしてさらに、夏場は昼間に屋外作業が全くできなくなるということでもあります。
そしてもっと大変なのは、今の比ではなく冷房に使われるエネルギーが増大し、加速度的に地球温暖化が進行してしまうということです。
このことは、17歳にして農業や探究で現状を知り、これから先数十年か生きていくであろう私からすれば、かなり不安なこと。しかし逆に考えれば、幸運なことでもあります。なぜなら、エクストリーム・アダプテーションしたおかげで私は、17歳にしてこの課題に気づけたわけですから。
だからこそ、私は声を大にして言いたい!
これを読んでくださったみなさん、環境問題に立ち向かうため、即ち私たち含め地球に住むいきものたちのために、環境負荷を減らすチョイスや行動を、よろしくお願いいたします!
そういう私は、市内の移動をほとんど、自分の自転車でするようにしました。
また、市の外に出るときも特段の事情がない限り、親に送ってもらうとかではなく不便でも汽車やバスを使うようにして、汽車待ちが2時間あればフィールドワークをするとか、喫茶店に入るとかして工夫してチョイスするようにしています。
ほかにも、自分で紫蘇ジュースを作って飲むことで、ペットボトル資源の発生抑制をしたり、その製法を宣伝するとか、食の方面でもいつも考えて行動しています。
と、自分のしてきたことのごく一部を書いてみましたが、一人ひとりライフスタイルや特性も違うと思いますので、色々と工夫をしていただければと思います。
たとえそれらの一つひとつが微々たるものに感じても、積もり積もれば世界を変える力になります。
これは高校生の心からのお願いです。どうか、よろしくお願いいたします!!!!
と、盛大に想いをぶちまけたあげく、取り留めがなくなってしまいましたが・・・。
ひとまずここで筆をおくとします。
ここまで約4900文字、お付き合いくださりありがとうございました!