【第86回】多様性ってなんだろう

こんばんは。今回のブログを担当する、山口です。

 

早速本題へ。

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多様性ってなんでしょう。

パラリンピックを見てふと思いました。

僕の認識では性質の異なった人であるとか国であるとか文化、それぞれの存在を認め合い、前進することだと考えています。

 

しかし、なかなか自分と異なった性質を持つ(例えば人)に対して認め合うというのは難しいのではないでしょうか。

例えば障がいを持った方に対して普通の人と同じように接することの方が難しいでしょう。前提として、それが当たり前なのでしょうか。

 

他にも多様性で言うならば、国際的な言葉で使われることが多いと思います

日本ではよく都会のコンビニで見かける外国人労働者(外国人と言っている時点で違和感?)がいますが、埼玉北部の僕の地域では見かけません。

日本は島国であって大陸の人を受け入れるような土壌は整っていないと思います。それと同時に外国人に対して異質の目で見ることも僕は少なくないと思います。

 

もっと視点を広げてみましょう。

1週間ほど前の日経にアメリカの20年に及ぶ戦争が終結したと記事がありましたよね

 

アフガニスタンの首都カブールをイスラム原理主義組織タリバンが制圧しました

 

このあと筆者の危険な思想が飛び交うかもしれませんのでご了承ください

一言言いたいのは僕はタリバンを支持しているわけではないですよってことだけ頭に入れてください

 

彼らは彼らのイスラム法に則ってアフガニスタンを統治しようとしています

彼らの報道によると女性の社会参画についてポジティブな発言などを広めていますが、実のところそうなるとは思えない、とメディアは伝えていました。

 

アフガニスタンの都市部では資本主義社会によって地域が動いており、女性が会社で働いて、子どもも教育を受けられる環境が整ってきました。この前僕がみたテレビでは僕らと同い年くらいの女の子がブレイクダンスをしている映像が流れていました。

そのくらい自由で溢れていた社会でしたが、それはタリバンによって灰色に塗りつぶされました

しかし地方はといえば元々タリバンが居座っていたこともあって、彼らがいることが普通の状態であり、都市ほど敏感に反応はしていなかったといいます

 

ここで疑問なのが、もともとイスラム教の教えに則って慣習や彼らの生活ができていたと思うのですが、今回の制圧によって本来性に戻ったと考えることもできるのではないでしょうか。

 

もちろん、人権の侵害や教育の機会など無視できないことは多くあります。

また、資本主義社会の良いところを知ってしまっている都市部の彼らは厳格なシャリーアの元に戻ろうとは思わないでしょう

 

そして、今回のテーマと何がかぶっているのかというと、アメリカはこの制圧に対して非難していることです

 

死者が大勢出ていることも記事では見ました、重々承知ではいます

 

しかし、これも多様性なのではと思ってしまいます

逆にアメリカは首を突っ込んで、突っ込まれた方からしたら余計なお世話だと僕は思います(アメリカはそう言うことをして自国の利益が最大になるようなことをしてきます)

 

声の大きいアメリカ、欧州諸国は多様性はこれだ、こう言うものだ!と枠を作って当てはめようとしているように見えます

 

もう一度言います。僕はタリバンを支持しているわけではないではありません。

 

多様性とは双方が認め合うことですが、もし仮に僕らが認めたとしても彼らは認めようとはしません。なぜなら、自分たちのイデオロギーが絶対だと信じているからです。

 

そう考えると、不思議と多様性の意味の捉え方が個々人、地域、国家によって異なっていると気づきました

 

共通する意味を持っていなければいつになってもバラバラなままです。

 

そのようなことでつまずいていては(大きい話になると)気候変動に対する各国の協力もなし得ない状況に陥ります。

首脳間の意思疎通が為されるためには僕ら国民が多様性を創っていかなければなりませんね。

 

ブログはここまでです!ここまで読んでいただいた方ありがとうございました!次回もお楽しみに〜!!