【第80回】人口と日本経済を読んで感じたこと

ども。ぐっさんこと山口友之介です。

 

今回は堅苦しいテーマですが早速いきましょう。

 

 

 

42

 

 

 

 

この数字を見て何を連想しますか。

TOKIO長瀬智也の年齢?

昨日僕が食べたミニトマトの数?

違います。笑

 

正解は人間の心臓が15億回で死ぬと言われてるその年齢です。

 

42歳ですよ!今の平均寿命の半分ではありませんか!!

 

さて、この「自然な」人間の寿命を大幅に伸ばしているのは何が要因でしょうか。

 

今回僕が読んだこの本には

「経済」のおかげ

だと書かれています。

 

一部抜粋

医療技術や医薬は勿論、栄養化の高い食料品などがそうしたものやサービスであることは言うまでもない。しかし、平均寿命の延長に貢献しているのは決してそれだけではない。寒い冬の夜、外から吹き込む北風を遮るサッシや断熱効果の高い壁など品質の向上した住宅は、重要時や高齢者の死亡率低下に貢献した……

 

 

確かに経済の発展、成長によって私たちが恩恵を受けていることは間違いない。私たちは恩恵を受けているが果たしてそれはほんの一部が恩恵を受けているのでは?とも思ったりしました。

 

また一人当たりGDP水準と平均寿命は正の関係があることを示すグラフがあります。

 

 

 

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一人当たりGDP水準と平均寿命

日本は80にラインから上に位置し、GDP国内総生産)は15000ドル辺りでしょうか。

読んでいるグラフには2010年時点でGDPは30000ドルあたりに位置しています。

 

このように平均寿命とGDP水準が正の関係を持っていることがわかりました。

 

私はこの本を読む前は経済の発展、成長は何を目指したものなのか認識していませんでした。大学では経済学は人間が幸せになるための学問だと(確か)教わった覚えがあります。実社会での経済で本当に人々は幸せだと感じているでしょうか。⇨幸せとは何かと議論すると長くなるので今回は省略します。夜遅くの電車で帰宅し、早朝に家を出る。私が電車で見る社会人の方々は幸せそうには見えません。まあ相手からしたら私もそう見られている可能性もありますが。人それぞれの幸せの基準も違うので一概にも言えません。私の考えは偏っていると自分でもわかりますが、少なからずそのような現状はないとは言えません。

経済の発展、成長によって様々なチャンネルを通し私たちは健康に過ごし、いまだに寿命は伸び続けています。物質的豊さと精神的豊さの両立は叶うのでしょうか。いやすでに叶っているのでしょうか。それらが近すぎて気づいていないということもあり得ます。

 

近年、地球環境の持続可能性について議論されています。「経済成長至上主義」を貫いている代表例はトランプ氏?だと勝手に思っていますが、逆に反成長という理論もあります。イギリスの経済学者ジョンスチュアートミルはゼロ成長論を持論として経済的定常状態を論じています。

一瞬、この論いいなとも思ったのですが、読み進めると江戸時代の話になりました。江戸時代はsustainableな社会だと言われているらしいですが、国立科学博物館に保管されている江戸時代の人骨が一万分ほどあるそうで、当時の生活を推測すると栄養状態が悪く、鉄分が不足しており、若い世代の人骨が多いのも特徴らしい。生活はスラムに近いといってもよい状態だった

このように書かれていたものだから今の便利な生活からそこまで戻れないと思い、ゼロ成長論はあまりよいとは思わなくなった。

 

最後に人口に触れるとすると、現在日本は1.2億人ほどだ。政府は2050年には一億人を下回ってしまうから手を打っておかないと、と様々な政策を練っている。

なぜ一億人をラインとしているのか、について我が大正大学地域構想研究所の小峰隆夫氏も疑問を抱いていたが、「まあキリがいいからでしょう」と。笑

 

合計特殊出生率が1.42から一億人を維持するには推測に対して無理がある。そこで筆者は

最近の考古学・人類学は大昔、北から南からさまざまなルートを通って多様な人種が私たちの住むこの大陸に移り住んできたことを明らかにしている。〜多くの渡来人が進んだ大陸の文物をこの国にもたらしたことは。学校の歴史で習う通りだ。私たち21世紀の日本人はこうした日本という国の成り立ちを改めて振り返ってみる必要があるのではないだろうか

 

いやー、最後にぶっ込んできたな!!!

そういう筆者は海外の方と結婚できる決意は持っているのか?流石に放り投げている感じがしてならない。ドイツのように移民を受け入れというのは陸繋がりであるからということも忘れてはならない。

日本人が日本人であるという意識はどこから生まれ、強く根付いたのだろうか。そこも興味深いところである。本来性で深掘りしていくととんでもないところまで行きつきそうだ。

 

日本が多様性に寛容になるには一体どれくらいの時間が必要だろうか。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。いつもまとまりがないですが皆さんが思考を深めていただければ幸いです。

 

次は前田さんです!お楽しみにー!