【第94回】生きるって難しいのか

こんにちは。ぐっさんです。

もうこのブログも終わりに近づいているそうで、このブログに参加して思い返してみれば長かったのかなと思いました。

テーマを何にしようか迷っていて、近頃笑ゥせぇるすまんにハマっているのでそれにしようと思ったのですが、書けそうにないので違うテーマにしました。

 

ちょうど今日友人からLINEで 死にたくなったので生きる実感を得るために食事を取った と連絡が来ました。彼はいつもそのようなことを嘆くので心配はしていないのですが、僕は考えすぎだろと思ってしまいます。

 

生きることに対して考えることはいいことだと思います。自分がどのように生きるべきかなど考えた方がいいこともあります。しかし、考えすぎというのはただ自分の生きようとする力を削いでいってしまうのではとも思います。

考えることによって行動した時に意味が、理解が深まることは事実ですが、考えすぎてしまうと行動にすら繋がりそうにないこともあり得ます。

 

続けて彼は、死という終わりが最後でその先に何も残らないなら生きている意味ってあるのか と返信してきました。

 

何も残らないから生きている意味がないということは何かが残ることによって生きている意味があるとも取れそうです。

しかしこのある、ないというのは死後の自身の認識の中での話であると思うので、死後の世界は誰も分かりませんから想像上の話になってしまいそれこそ考えなくて良いところです。

 

そもそも我々は生まれた時から死が必ず決まっているので死ぬことに対してそれほど考えることではないのではないでしょうか。生まれたら死ぬことが必然であるのに死があるからといってそれまでの人生の過程に意味がないなど考えることすら無駄に思えてしまいます。

 

これから先、心が疲れた時に彼のように人生の意味について考えることがあるやもしれません。

特に仕事で息詰まってそうなるだろうなーと今から想像ができます。

社会の役に立ってとか周りの期待に応えてとかではなく、先ずは自分のために、自分を愛するようにさえすれば人生は無意味だと嘆くことはないだろうと。

 

私は全てのものに意味があると思っていますし、信じています。

病気で死にかけてからそう思うようになりました。

 

これからも全てのことに感謝をして、今を生きてこれているこの瞬間にも喜びを常に感じれるような時を過ごしていきたいです。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。