【第86回】多様性ってなんだろう

こんばんは。今回のブログを担当する、山口です。

 

早速本題へ。

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多様性ってなんでしょう。

パラリンピックを見てふと思いました。

僕の認識では性質の異なった人であるとか国であるとか文化、それぞれの存在を認め合い、前進することだと考えています。

 

しかし、なかなか自分と異なった性質を持つ(例えば人)に対して認め合うというのは難しいのではないでしょうか。

例えば障がいを持った方に対して普通の人と同じように接することの方が難しいでしょう。前提として、それが当たり前なのでしょうか。

 

他にも多様性で言うならば、国際的な言葉で使われることが多いと思います

日本ではよく都会のコンビニで見かける外国人労働者(外国人と言っている時点で違和感?)がいますが、埼玉北部の僕の地域では見かけません。

日本は島国であって大陸の人を受け入れるような土壌は整っていないと思います。それと同時に外国人に対して異質の目で見ることも僕は少なくないと思います。

 

もっと視点を広げてみましょう。

1週間ほど前の日経にアメリカの20年に及ぶ戦争が終結したと記事がありましたよね

 

アフガニスタンの首都カブールをイスラム原理主義組織タリバンが制圧しました

 

このあと筆者の危険な思想が飛び交うかもしれませんのでご了承ください

一言言いたいのは僕はタリバンを支持しているわけではないですよってことだけ頭に入れてください

 

彼らは彼らのイスラム法に則ってアフガニスタンを統治しようとしています

彼らの報道によると女性の社会参画についてポジティブな発言などを広めていますが、実のところそうなるとは思えない、とメディアは伝えていました。

 

アフガニスタンの都市部では資本主義社会によって地域が動いており、女性が会社で働いて、子どもも教育を受けられる環境が整ってきました。この前僕がみたテレビでは僕らと同い年くらいの女の子がブレイクダンスをしている映像が流れていました。

そのくらい自由で溢れていた社会でしたが、それはタリバンによって灰色に塗りつぶされました

しかし地方はといえば元々タリバンが居座っていたこともあって、彼らがいることが普通の状態であり、都市ほど敏感に反応はしていなかったといいます

 

ここで疑問なのが、もともとイスラム教の教えに則って慣習や彼らの生活ができていたと思うのですが、今回の制圧によって本来性に戻ったと考えることもできるのではないでしょうか。

 

もちろん、人権の侵害や教育の機会など無視できないことは多くあります。

また、資本主義社会の良いところを知ってしまっている都市部の彼らは厳格なシャリーアの元に戻ろうとは思わないでしょう

 

そして、今回のテーマと何がかぶっているのかというと、アメリカはこの制圧に対して非難していることです

 

死者が大勢出ていることも記事では見ました、重々承知ではいます

 

しかし、これも多様性なのではと思ってしまいます

逆にアメリカは首を突っ込んで、突っ込まれた方からしたら余計なお世話だと僕は思います(アメリカはそう言うことをして自国の利益が最大になるようなことをしてきます)

 

声の大きいアメリカ、欧州諸国は多様性はこれだ、こう言うものだ!と枠を作って当てはめようとしているように見えます

 

もう一度言います。僕はタリバンを支持しているわけではないではありません。

 

多様性とは双方が認め合うことですが、もし仮に僕らが認めたとしても彼らは認めようとはしません。なぜなら、自分たちのイデオロギーが絶対だと信じているからです。

 

そう考えると、不思議と多様性の意味の捉え方が個々人、地域、国家によって異なっていると気づきました

 

共通する意味を持っていなければいつになってもバラバラなままです。

 

そのようなことでつまずいていては(大きい話になると)気候変動に対する各国の協力もなし得ない状況に陥ります。

首脳間の意思疎通が為されるためには僕ら国民が多様性を創っていかなければなりませんね。

 

ブログはここまでです!ここまで読んでいただいた方ありがとうございました!次回もお楽しみに〜!!

 

 

 

 

 

 

 

 

【第85回】私が起こしたエクストリーム・アダプテーションからみる、気候とこれからの世界

はじめまして。この度初めて記事を担当する、明誠高等学校通信制課程3年次の、伊藤迪と申します。

どうぞよろしくお願いいたします。

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さらっと自己紹介をすると、私は益田生まれ、益田育ちの17歳です。

益田市というのはすごく田舎っていう感じがしていて、一見何もないように見える街です。しかし、海山川湖に囲まれた自然豊かな街で、そのなかには多様なキャラクターを持つ人がたくさんいて、あまり知られたものはなくても魅力がいっぱいあるところです。

そんな街で私は、探究活動を行ってきました。

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具体的に言うと、小学1年から有機栽培で野菜作りを始め、小学4年の頃からは一般的な栽培方法も学びたいと思い、近所の農家さんに弟子入りしました。

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また、環境問題についても興味関心を持ち活動していて、地域のNPOの正会員として高校生では唯一所属し、漁業関係の調査や高校の部活動の伴走にも参加するなど、日々郷を駆けずり回るように活動しています。

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それ以外にも、地域にかかわることならなんでもかかわるような勢いで動いているのですが、そのことはまたの機会にということで・・・。

 

そんな自分ですが、実はアスペルガー症候群という障害を持っていて、これまで色々な壁にぶつかってきました。

中でも、感覚過敏という症状に悩まされてきたことが多くて、音やにおい、触感などに過敏だったりして、刺激の多い所では疲労が多いので、学校に行けなかったりもしていました。

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しかしそのぶんだけは、というか感覚が過敏だからこそ、風の匂いや雲の流れる音を聞くだけで、3日先の天気まで予測できたりという、ギフトも持っています。

 そのような自分が、特性を生かして活動をするなかで感じた疑問と、それに対する検証結果と想いを、今回は夏らしいテーマに絞って伝えさせてもらえたらなと思います。

 

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 上にも書いた感覚過敏についてですが、色んな感覚の要素が合わさる形で「自分は暑いところがものすごく苦手である」というものがあり、すごく苦労していました。

おまけに当時は小学校にもクーラーがなかったので、勉強するにも集中できなくて騒いでしまうこともしばしばでした。

そんな自分でしたが、ひとつ疑問に思うことがありました。

それは真夏に師匠と農作業をしていたとき、自分は暑くて倒れそうなのに、師匠だけはなぜか涼しい顔で作業をされていた、ということです。

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 それに対し小学5年生だった私はものすごく驚き、師匠に聞いてみました。

そうすると師匠は、

「こりゃあ慣れじゃ。儂はいつも畑へ出て鍛えとるが、あんたのように冷房の効いたようなところにおりゃあ体が弱る。じゃから儂の部屋には冷房がないし、ほしいとも思わん。あんたもうちへもっと来んさい。強うなるけえ」

と言われました。

 

 しかしこれは私にとってすごく新鮮なことでした。何故ならば、夏は冷房を付けるもの、暑さにはあらがわず涼しくするものと思って生きていたためです。

そしてまだこのときは、いくつもの波乱の先に謎が解けることを私は知らなかったのです・・・。

 

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 それから5年の歳月が経って・・・。

それまでの間、私の生活は目まぐるしく変化をし続けました。

中学校に入ると不登校状態となって、体も随分弱くなりました。

学校に行けども頭が働かず、動こうと立てばたちくらみ、大好きなチャリも乗れば居眠り、寝れば起き上がれず、気がつけば脱水症状・・・という風に。

それは高校に入ってもあまり変わらず、次第に夏の暑さに耐えられなくなっていきました。

 

 と、そんな状態が続くかに思われた高校2年の夏のことです。

私は次第に活動をできる力をつけ・・・正確には人と関わりつづけることで経験を積み、余計な力を抜きパワーをセーブしたりもできるようになったためにですが。
家から出て行動する時間も回数も、前年の何倍にも増えていました。

そして、活動を増やしながら迎えた冬のある日のこと。

益田一帯を大雪が襲い、街中が凍り付きました。そのときも私は忙しく活動をしていたので、街中を自転車で駆け抜けていたわけです。

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そして迎えた、大雪5日目の夜。

午後9時を過ぎて見えるもの全てが凍り付き、ただ街路灯の灯りが銀世界を照らすなか。

私は一人、家路を急ぎチャリを漕いでいました。予報では、これから吹雪くとのこと。急がねば。そう思って速度を上げた、次の瞬間。

なぜか突然、コートに着いた雪が融けてきたのです。

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それまでは、いくらコートに着いても融けなかった雪なのに。なぜだ!!と思った私は、ふと記憶の中の気象予報を思い出しました。

益田市の夜は、最低気温0度でしょう-

うわあああああああっ!融けるじゃん!!!!最悪だわあ~!!!

と思うが早いか、段々と冷たくなっていくコート。家まではあと3㎞、おまけに猛吹雪が真正面から吹き付けてくる最悪の状態。

感覚がなくなる手足、震えるハンドル、ペダルを漕ぐ足も徐々に力をなくしていきます。

自販機のおしるこで辛うじて暖をとったわたしは、アイスバーン新雪が積もり片時も気が抜けない中、最悪のコンディションで家路を急ぐ羽目になりました。

そして家に帰ると、へたり込むようにコートを脱ぎ、かろうじて動く手を使ってチキンラーメンをすすりました。

・・・こりゃ風邪ひくわ。そう思った翌日、私はというと・・・。

「あれ?暖房暑くねえか?・・・ん?体が軽いぞ?よし!外出るか!

いやあ、今日温いなあ~。気温は・・・?はあ?3度?

・・・・・うええええええええええっ!!!マヂかよ!!!」

なぜかピンピンしてました!それにむしろ、快調そのもの。

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おかしいなあと思いつつも自室に戻り、とりあえず暖房の温度を5度下げました。

 

 そしてまた時が流れ、2021年7月。長引く梅雨がもう少しで明けるというある暑い日、よりにもよって農作業の臨時バイトをしていた私は、気温32度湿度100%のなか、郊外へとチャリを漕いでいました。

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玉のように出てくる汗は蒸発することがなく、次第に滝となって体を伝っていきます。

体温は上がり、心拍は190から一向に下がらない状況。そのきつさたるや、スタミナ勝負の私でもチャリを路肩に停めてしまうほどでした。

そこからどうにか体に鞭を打って走り、バイト先へ到着。そして仕事はというと・・・。まさかのモア!!!

モアというのは草刈り機の一種なのですが、タイヤがついていて馬力が強く、デカいうえにスピードが出て、さらに操縦が難しいというもの。

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故に全く気を抜けないわけです。

そのうえ、作業場所は果樹園の中でしたから、木にぶつかりでもしたら大問題。

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でも仕事ですから、大汗をかきながら3時間の作業をやり遂げました。

 

 そしてその帰り道、思い出すのはあの冬の日のこと。フラフラ感はこっちが大きいなとか、でも震えはないからいいか~とか、そんなのんきなことを考えながら帰宅して、でもあまりにだるかったので、冷やしておいたジュースを飲んで風呂入って・・・あ、だめだ。

気が付いたらベッドで冷や汗をかいて寝てました。

 



故に今度こそはダメかなあ、脱水症状になるよなあ~と思い、迎えた翌朝。

「寒っ!しかし今日も外は暑そうだなあ・・・。

あれ?暑くない。うん?晴れてる。え?

気温は・・・。31度?湿度90%?

はああああああああああっ?

しかもなんか調子がいいぞ~!!!!畑出るか!!」

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 というように、またしても急激な変化が起こっていました。

そしてこうなると、思い出すのはあの冬の日のこと。それに加え今度は、小中学生の頃のことも思い出していました。

毎日のように畑に出る頃も暑く感じていたけど、不登校状態になると段々暑さ寒さに弱くなって・・・。また動けるようになったら暑さ寒さに強くなった・・・?

・・・人間ってすごい。

これがいわゆる、適応能力というやつみたいです。

 

そうしてやってきた今年の夏本番。私は益田近辺を駆け回り活動していました。

たとえば、ある時は朝早く起きて郊外の公民館までチャリで行って小学生に勉強を教え、午後には反対側の村に行き炎天下で祭りの準備、というように駆け回りました。

その間、休憩時間はごくわずか。

それでも、へたることなく活動し続けることができたのはきっと、この能力のおかげだと思います。

 

ズバリ名付けて、「エクストリーム・アダプテーション!」

ここに、長年抱いてきた謎が解けました。

 

 しかし!話はここでは終わりません。

アダプテーションがエクストリームした状態で迎えたお盆の頃。

益田には季節外れの秋雨前線が襲来し、大雨をもたらしていました。

秋雨前線、即ち寒気と暖気の押し相撲。即ち、涼しくなる…一般的には。

そしてもう察しはついているかと思いますが、アダプテーションがエクストリームしている私がそこにいると・・・。

「寒ッ!」となるわけです。

 

 まさか、夏に寒いという単語を話すことになろうとは、思いもよらぬことでした。

これがいわゆる、気候変動というやつなのでしょうか。

そして私はここに、一種の限界を感じました。

 

 せっかく暑さに対してエクストリームしたにも関わらず、こうも気候がガタガタと変化をすれば、穏やかにしか対応できない人間のシステムでは当然ながら無理が来るわけです。

これから先、どこまで体が持つ気候が続くだろうか。今年88歳になる師匠のエクストリームも、どこまで持ちこたえられるのか。

 

 地球環境を保護するためにも、エクストリームさせて余分な冷房を使わないというのが一つの方法ではあります。

しかし、もはやエクストリームすること自体が危険とも感じるこの気候では、とてもじゃないけどお勧めできる方法ではないわけで・・・。

小学校体育の定番だった、冬に半袖で出ると元気ポイントがもらえるよみたいな、それの夏バージョンはもうできないのだなあと。理屈がわかった今の私からすると、かなり残念です。

 

 しかしこれは、かなり危機的な状況ではないでしょうか。

考えてもみてください。気象が極端化して人間の適応能力を超えてしまったならば。夏場では即、クーラー必須の生活になってしまうということであり、これは即ち、電気が止まってしまえば生存すら危ういということです。そしてさらに、夏場は昼間に屋外作業が全くできなくなるということでもあります。

そしてもっと大変なのは、今の比ではなく冷房に使われるエネルギーが増大し、加速度的に地球温暖化が進行してしまうということです。

 

 このことは、17歳にして農業や探究で現状を知り、これから先数十年か生きていくであろう私からすれば、かなり不安なこと。しかし逆に考えれば、幸運なことでもあります。なぜなら、エクストリーム・アダプテーションしたおかげで私は、17歳にしてこの課題に気づけたわけですから。

 

 だからこそ、私は声を大にして言いたい!

これを読んでくださったみなさん、環境問題に立ち向かうため、即ち私たち含め地球に住むいきものたちのために、環境負荷を減らすチョイスや行動を、よろしくお願いいたします!

 

 そういう私は、市内の移動をほとんど、自分の自転車でするようにしました。

また、市の外に出るときも特段の事情がない限り、親に送ってもらうとかではなく不便でも汽車やバスを使うようにして、汽車待ちが2時間あればフィールドワークをするとか、喫茶店に入るとかして工夫してチョイスするようにしています。

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ほかにも、自分で紫蘇ジュースを作って飲むことで、ペットボトル資源の発生抑制をしたり、その製法を宣伝するとか、食の方面でもいつも考えて行動しています。

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 と、自分のしてきたことのごく一部を書いてみましたが、一人ひとりライフスタイルや特性も違うと思いますので、色々と工夫をしていただければと思います。

たとえそれらの一つひとつが微々たるものに感じても、積もり積もれば世界を変える力になります。

これは高校生の心からのお願いです。どうか、よろしくお願いいたします!!!!

f:id:rerayblog:20210902182009j:plainと、盛大に想いをぶちまけたあげく、取り留めがなくなってしまいましたが・・・。

ひとまずここで筆をおくとします。

ここまで約4900文字、お付き合いくださりありがとうございました!

【第83回】10000㎢の価値

 こんにちは。平田将達です。今年の暑さには苦しめられていたのですが、台風9号が通り過ぎてからというもの、しばらく暑さは落ち着いています。私は暑さに弱いので、これほどうれしいことはありません。コロナ禍で体が暑さに慣れていないということもあり、暑さに対して万全ではないのですが、何とかこの先も耐えていきたいと思います。

 さて、今回のテーマは、「地域の連続性」です。変なタイトルですが、「10000㎢」とは何をさすものか、読んでいる途中でお気づきになると思います。生きるうえでの見識を養うことを目的に、この記事を書いてみました。

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 全国47都道府県名と県庁所在地名を完答できる日本人は、そう多くないものと思われます。どれも日本の一部を構成する自治体として欠かせないものであるはずなのに、その全てにはなかなか目がいきません。ある程度以上の教養のある人間が、知識として知っているという場合に限られるでしょう。

 私は完答できる自信があります。しかし、さまざまな地名を知っているにせよ、やはり雑学としての知識にすぎません。

 完答を阻む関門として、「鳥取県島根県どっちがどっちかわからん」というトラップがあるようです。日本の中心たる首都圏から見ても、あるいは関西圏からも中京圏から見ても、これら山陰両県の存在は極めて薄いと言える状況であり、おろそかになってしまうものと考えています。

 私は、今でこそ島根県に住んでいますが、高校までは岡山県にいました。家族に連れられて鳥取県に行くことがあったため、「岡山のにあるほうが鳥取県」という覚え方ができ、鳥取と島根で間違うことはありませんでした。…とはいえ、実際に住み始めるまで、島根県に行ってみた回数はほんの何回かに過ぎず、島根について思いをめぐらせる回数は特に少なかったと評価します。

 

 では、鳥取県島根県の違いはどこにあるのでしょうか?次の画像と説明をご覧になればおわかりになろうかと思います。

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画像出典:https://technocco.jp/n_map/chugoku/chugoku2_cm.png (テクノコ白地図)

 

 鳥取県島根県も、どちらも東西に長い形をしており、シルエットのうえではあまり違いがわかりません。しかし、島根県のほうがより長く、鳥取県のほうが短いのが、この画像を一見してわかる大きな違いです。(ほかに、島根県には隠岐諸島があるのに対し、鳥取県の島は全て無人島という違いがありますが、この画像からは読み取れません)

 実は、鳥取県も東西に長いのですが、島根県の長さといえばかなりのものです。「長いほうが島根」ということを知っておけば、間違えることはなさそうなのですが、番号を振って名前を暗記させたり、47都道府県を1つずつ切り分けてシルエットで答えさせたりするならば、都道府県暗記は途端に苦行と化します。(あくまで隣の鳥取県と比べて島根県は東西に長いと言いたいのであり、単に「東西に長い形をしている」というだけでは、高知県と区別がつかないではないですか)

 私が今住んでいる松江の街は、宍道湖の東側に位置しており、北の日本海側にはギザギザの島根半島が、真西の日本海沿岸には突き出た日御碕が、東には中海に江島や大根島や美保関があります。ここまで知っているならば、都道府県の中から島根県のシルエットのみを取り出したとしても、即答することができます。(島根県とまぎらわしい高知県は、やはり突き出た室戸岬足摺岬が特徴として知られています。また、中国山地を南側、日本海を北側に持つ島根県に対し、高知県は太平洋を南側、四国山地を北側に持っているという違いがあります。同じような輪郭に見えますが、実は全く異なる地形なのです)

 これほどの事柄を知っているために、私は島根県を他の都道府県と弁別できるのですが、これは知識として知っているというよりは、自らの足で島根県を巡って体得したものです。事実、都道府県名のみならず、島根県内の市町村をも覚えましたが、これは「飯南町といえば松江から南西の中国山地沿い」「吉賀町といえば益田から南に行った中国山地沿いで、両脇は山口県広島県」のように、実際に巡りつつ覚えたからです。

 さらに、松江に引っ越してきた時、道路の案内標識を見て、都市間の距離の長さを知りました。

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 この案内標識は、松江市の国道9号にあるものです。それまで、松江から鳥取の距離がどれくらいか見当がつきませんでしたし、考えもしませんでしたが、「120kmあまり」という距離を突き付けられて、その遠さを実感しました。普段出かける範囲が自宅から数kmに過ぎないので、それと比較すればものすごい距離です。

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 この案内標識は、松江から約30km離れた鳥取県米子市にあるものです。ここまで行くと、案内標識に「京都」が入ってきます。いまだに日本海沿岸を通って京都に行ったことがないので、300kmという距離を実感できてはいないのですが、300kmを超える案内標識はおそらく全国的にも珍しく、私が目にしたのは「米子→京都」のみです。

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 続いて、逆方向のものとして、出雲市の国道9号にある案内標識を撮影してみました。出雲市から「下関」が登場します。出雲から先、さらに300km近い長さを持っているということで、山陰沿岸のスケールの大きさに気付かされました。これは、おそらく東京などの大都市圏に住んでおられる方には実感できないスケールです。

 この記事を書くために、山陰がいかに東西方向に長いかを調べようと、次のような画像を作ってみました。

 次の画像は、山陰の最大都市である松江を基準として、東と西に向かったときに、それぞれの都市が何km離れているかを視覚化したものです。距離は国道9号経由で、Google Mapで測定しました。黒枠が各市町村の領域で、赤線は市町村役場までの距離です。なお、国道9号が日本海沿岸を通るのは、東は鳥取市から、西は島根県益田市までです。

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 今回調べた範囲では、米子と出雲がおおむね等距離で、浜田と鳥取がほぼ等距離ということが判明したのですが、これはなかなか感覚的に理解できることではありません。しかし、松江からの物理的な距離はほぼ同じなのです。また、島根県西部の益田や津和野は、東に向かった際に鳥取県を越えて兵庫県に到達できる距離に相当するほど遠いということになります。

 山陰沿岸の長さについて語りましたが、沿岸ルートで私が行ったことがあるのは、東は兵庫県新温泉町まで、西は山口県萩市までです。この範囲内ですと、実際に行った経験を基に距離を実感できるのですが、それより向こうは私にとって未踏の地であるために、いかに遠いのかをまだ理解できていません。いずれ行ってみたいと思っておりますが、COV-19のために叶っていないのです。

 ここまで説明したように、実際に足を運び、何らかの愛着を持ってさえいるならば、その特徴は間違いなく記憶に残るはずなのですが、鳥取県島根県は多くの日本人にとって「どうでもいい」場所であるために、何ら愛着を持たれることなく、「どっちがどっちかわから」ず、それでいいということで、都道府県名完答の鬼門となってしまうのではないかと考えています。

 その弊害は、単なる無理解には留まりません。鳥取・島根の両県は、「人口が少ない」ということだけが知られているために、その鄙びた様子をことさらあげつらわれてネタにされ、両県出身者は「田舎者」として奇異の目で見られ、挙句の果てには今般のCOV-19ワクチンについて、「鳥取・島根は死者が1ケタしか出ていないから、その分を東京に回せ」とまで言われる始末です。(ワクチンは公平に分配されなければならないという考えに基づいて述べていますので、趣旨を誤解なさらないでください。少なくとも私は、このような発言には、著しい地方蔑視のニュアンスを感じるのです)

 …ここまで書いたことを認めていただけるとしても、日本の全てを知るために47都道府県を隅々まで訪れさせることには限界があります。何もみんな鳥取や島根に来なければならないと言いたいわけではありません。ただ、「鳥取や島根には何もない」と言われることには、島根県在住者として抗議しなければならないと考えます。

 そもそも、「鳥取や島根には何もない」と言われるならば、「ならば東京や大阪には何があるのか」と問わねばなりません。この問いには、ムッとして言い返す意味もありますが、「○○には何もない」と平気で口にする人間に限って、地域の個性や多様性に関して無頓着であるということも暗喩しています。島根にはスカイツリーはありませんが、それが魅力のなさにつながるとは思っておりません。鳥取や島根にないものばかりを(現地を知らないため必ずしも正確でなく)数え上げて悦に入る人の心の狭さは、実に醜いものです。また見識も狭いといえるはずです。

 私がこの記事を読んでくださっている皆様に身につけて頂きたい能力とは、どんな場所にも人の営みがあり、その土地の個性があることを察知する感覚です。この感覚を体得できるならば、どこに行ってもその土地なりの魅力を感じることができ、「何もない」などとは口にできなくなるでしょう。

 この世の中には、本当にさまざまな場所があります。例えば、「島根」と聞いて、松江城出雲大社の景色しか思い浮かばないようでは、知識も経験も不足しています。それら出雲地方の西には石見地方があり、日本海には隠岐諸島の島々があり、この3つを含めて島根県という行政区域があるのです。それが、出雲地方の何点かを指して「島根」を語られるのであれば、不足と言わざるをえないでしょう。

 あらゆる土地にそれぞれの魅力があるのですが、それらは県境や市境には必ずしも縛られません。文化は、人が行き交う中ではぐくまれるものですので、結びつきの強い土地同士の風土が似通うのに対し、そうでない地域同士は離れることになるはずです。

 これは、石見地方を例に出すと比較的わかりやすいと思います。石見地方は、「石東(大田市・美郷町あたり)」「石央(浜田市江津市・邑南町あたり)」「石西(益田市・津和野町・吉賀町あたり)」に細分化されるのですが、地理的に出雲に近いためか、石東の方言は少し出雲よりのものになっています。また、広島県の三次盆地を通って江津に向けて流れる江の川の沿岸は、かつて船によって物を運んでいたために三次あたりと交流があったといいますし、中国山地沿いでは、やはり広島県の芸北あたりとの交わりがあったはずです。他方、江の川沿いの石見都賀(美郷町)と赤名(飯南町)は、わずか10kmほどしか離れておらず、地図で見るととても近いのに、それぞれ石見と出雲に引き裂かれています。両者は確かに近いのですが、標高の違いがあり、昔の人には異なる領域として見えていたのではないかと思います。(石見都賀は約80mなのに対し、赤名は約450mもあります。)

 地方の魅力は、何といってもこの多様性にあると思います。その色の違いは、ある地点でハッキリ断ち切られることもあるにせよ、基本的にはグラデーションのように推移するもので、移動しているうちにゆっくりと移り変わっていきます。

 私が島根県に引っ越してまだ間もない頃の2018年6月に、私は山陰本線の快速アクアライナーに乗って、松江から益田まで移動しました。それまで日本海沿岸に来たことはあったものの、この距離を一度に移動するのは、これが初めてでした。出雲から浜田までの間、大田・仁万・温泉津・江津・都野津・波子・浜田と止まりましたが、その間つねに景色を見ていました。人里を見るたびに、知らない土地に来たような気になり、目を奪われていたことを思い出します。流れるように移り変わっていく景色こそ、私の目を最も輝かせるものでしたが、終点の益田に着いた時にまず感じたのは、松江から快速で3時間もかかるほど走ったのに、着いた土地が松江と同じ島根県に分類されるということでした。全然違う土地に来たのであり、そのことを存分に感じたはずなのに、松江と益田という2地点は島根県という点で共通しているのです。この時、私は島根県の大きさを実感しました。

 さらにいえば、それまで住んでいた岡山県と比べると、「中国地方」というレベルでは共通しているのです。中国山地を越える道のりは長く、見慣れた瀬戸内海が日本海に変わったという大きな違いを考えれば、全然別の土地に思えるのに、その双方が中国地方という巨大な領域の一部分を成しているということを実感しました。これらは、出発地と目的地の2地点を見るだけでは決して気付けないことです。

 見方を変えれば、ほんの少し離れるだけで、何かしらの違いを見出すことができるはずです。細かな違いにこだわるならば、たった1m動くだけで、見えている景色が全く同じではなくなるといえそうです。しかし、10000km離れたとしても、変わらないものはあるはずです。最も大きなスケールで語るならば、「全世界(地球)」というレベルで普遍性を見出すことができるでしょう。そのことを感じたいならば、飛行機に乗って海外に行ってみるのが良いと思います。同様に、鳥取や島根を知るには、実際に行ってみるのが最善です。

 島根県の隣には、鳥取県があり、広島県があり、山口県があります。「島根県」と聞くと、何やら陸の孤島であるかのように語られることがあるのですが(少なくとも東と西は開けっぴろげというツッコミは措くとして)、間違いなくこれらの県は連続しています。例えば、我々が思い浮かべる「広島」と「島根」は隔絶されたものかもしれませんが、道路でつながっているのです。恐らくつながりが最も希薄なのは「福島県」と「群馬県」(県境をまたぐ車道・鉄道が1本もない)ですが、どんなに交流が薄いとしても、連続していることに変わりはありません。尾瀬沼でつながっている福島と群馬の連続性を語ることができるならば、だいたいの土地の連続性を考えることができるでしょう。

 遠く離れたところから、「鳥取や島根には何もない」と言い切る人の頭の中には、今自分が踏みしめている大地が鳥取や島根とつながっているという認識が欠けているのではないでしょうか?もちろん、その先にどんな個性があるのかということは、知らないし考えもしないのです。

 つまり、何事を考えるにしても、自分の身の回りのごく狭い世界のことにしか理解が及ばず、他県で起きる出来事は、遠い世界のことのように感じてしまうのです。これでは、関わりをもつことができません。全く予期しなかった領域からいきなり関係を持つような運命的な出会いがあれば良いのですが、今の日本には「地方蔑視」と呼ぶべき風潮が非常に強いために、そのような出会いはなかなかないのではないかと思います。私も、島根県に住むことになったのは大学受験がきっかけでしたが、これは運命的な出会いではなかったかと思っています。

 国土地理院の「全国都道府県市区町村別面積調」によると、鳥取県の面積は約3507㎢、島根県の面積は約6708㎢とのことです。

https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/backnumber/GSI-menseki20210401.pdf

 つまり、両県合わせて10000㎢以上の面積を有することになります。これは、日本の国土の約2.7%の面積です。こう書くと小さいように見えてしまうのですが、日本全体の2.7%ですから、もちろんとんでもない大きさです。鳥取や島根のような地方の魅力に気づかない人は、これだけの面積を持つ土地のことを、頭の中から外してしまうということなのでしょう。

 …いや、47もの都道府県があるというのに、鳥取と島根に限って意識が抜け落ちるということは考えられません。実際には、更に多く、もっと広い面積の土地について理解が及んでいないと思われるのですが、それを測定する術はありません。今住んでいる町の外側に理解が向かないならば、その町の面積分にしか目が向いていないということであり、直径30kmの区域の中で全てを完結させるというのであれば、計算上は約706.86㎢が理解の及ぶ範囲ということになります。

 例えば東京に住んでいる人は、普段は西日本のことなど気にもとめないものであり、関東広域に目を向けることがせいぜいなのでしょうが、その枠の中のことだけ考えて過ごしているようでは、その外側に意識が向かないまま日々を過ごすことになります。日本とは、東京とその周辺のことなのかと思ってしまうほどです。これは私も同じで、島根県のことばかり考えて過ごしており、かつて住んでいたはずの岡山県でさえ、普段は意識の外側に置いています。ましてや東京で起こっていることなど、異世界の出来事のように感じてしまうほどです。まだまだ東京とのつながりを認識できてはいないと自己評価します。

 我々が普段暮らしている地域の外側に目が向かないということは、本来広くて多様なはずの国土に目が向いていないということであり、いたずらに目を曇らせ、偏狭な考えに陥らせるということでもあります。理解の外にある土地の出来事については、皮相な知識や先入観から何とでも言えてしまいますし、目が向くこともありません。

 いかなる瞬間も全国・世界のすべてに目を向けて暮らしていくということは、途方もない労力を要し、そもそも不可能なことですが、少なくとも鳥取や島根を理解の外に追いやり、存在を埋もれさせるということは、そのポテンシャルからしてたいへんもったいないと考えています。1人でも多くの人が、この10000㎢の価値を自分なりに感じ、目を向けることが必要であるという考えから、私自身もその価値を伝える側でありたいと思っています。

【第82回】デジタルデトックスしたい

今回は私の番が回ってきました。

島根大学の田村です。島根では最近雨☔が降り続いております。

でもおかげかすごく涼しいです。

 

私は突拍子のない意味の分からない文章を書くのは苦手なので、

最近あったちょっと非日常な出来事でもつらつら書いてみようと思います

 

8/3 高校生のキャリア教育

    3年使ってきたパソコンが壊れた 合掌

8/4-6 子どものキャンプにボランティアとして参加

     膝の上に子供がいることの幸せを感じる

     焚火をして、満天の星を眺めて癒される

     最高のデジタルデトックス

8/7 新型コロナウイルスのワクチン接種

    お久しぶりですな地元大学の先輩とオンラインで語る

8/8 ワクチンの副作用で熱が38.7度まで上がり、1日中寝込んでいた

    PCが届いたのでセットアップした

8/9 暴風雨の中大学に行く 夏季休業中のはずの大学で私の研究室だけ空いている

    飲み会で酒をたらふく飲む 粗相 合掌

8/10 重い体を引きずって大学へ

   高校生のキャリア教育

8/11 ウェブカメラというものを買った

   パソコンにデータ等移し終わり、完全に使えるようになった

 

パソコンが壊れてから4日間(4日~7日)はパソコンがない生活だった。

4日~6日はスマホすら触らない時間を過ごした。

7日も朝はワクチン接種で昼は先輩と(オンラインではあるが)話していて、夜は早く寝たのでほとんどスマホを触っていない。

8日にパソコンが届いたもののダウンしていたので触れておらず、

9日も朝昼は研究室で実習で使う資料をグループで作成

夜は飲み会ということでスマホもパソコンも触れていない

10日も朝から大学に行ってキャリア教育、昼も資料のチェックをしていた

 

なので、連絡を取ったりコミュニケーションをしたりするツールとしてスマホを活用しつつも、パソコンが壊れた4日~10日の一週間はほとんどパソコン仕事?雑務?をしない日々が続いた。

 

いやーいいデジタルデトックスだったなあ、と思う一方で、

昨日11日はパソコンを完全に使えるようにデータの移行などを行う作業のほか、この一週間放置していたタスクの処理に追われていた。

デジタルデトックス期間を設けるのはいいことだろうが、後から反動が来る

 

まあ今回はずいぶんと長い期間を、しかもオフライン上でのタスクが降り積もった結果、「デジタルに触れない時間」になっていただけで、「デジタル”デトックス”」したのは実質的に4日~6日だけだったともいえるだろう。

 

解決策としては、

①もっと日常的にデジタルデトックスの時間を設ける

②もっと本気でデジタル”デトックス”する日や週を設ける

 

何が言いたいのかって?

 

 

 

デジタルデトックスしたい

【第81回】人生の夏休み!(?)

 お久しぶりです、私は東京の大学生まえだです!晴れて大学生となって初めての夏休みが到来しようとしています。ちなみに私の学校は夏休みが長く、8月の中旬あたりから、10月の中旬あたりまでありますもはや狂気的ですね^^; 

 

 サークル活動含む課外活動が軒並み停止で、アルバイトも緊急事態宣言の影響で少なくなっていて、夏休み期間することがないといった学生が増えていると思います。私は地元の北海道に2ヶ月丸々帰省することになったので、これはこれで暇そうです、。

 

 大学生と言えば「人生の夏休み」なんて揶揄されているほど、4年間通してたくさん遊ぶ人が多いイメージですよね!ですよね?少なくとも私はそのイメージで、遊べる最後のチャンスだと思っていたのですが、何もかもがコロナによって邪魔されてしまいますね…

 

 私の1個上の先輩は、大学生な気がしないと行き場のない怒りを吐露してました

 

 本当に、何もかもコロナです!!私の人生の夏休み返して!!

 散々”人生の夏休み”と言っていますが、4年間を遊びだけに振り切ってしまうと勿体ないとは思います。大嫌いな勉強をして、必死こいて入った大学ですから、自分の血肉に変えねばなりません。

 

 ということでこの夏は自分のためになるようなことをしたいと思います。とここで宣言しておかなければ実行しない気がして…^^;

 

 具体的な内容としては、読書と英語の学び直しです。読書は自分の専攻に関係したものはもちろん、飽きやすいので、一般に有名とされる小説も読んでみたいと思います!

英語は秋から授業があるので、復習するのが身のためかと思いまして…^^;

 

 というわけで今年の夏は自分の財産になるように過ごしたいと思います!みなさんにとってもいい夏が訪れますように!(18歳最後のブログでした^^)

 

 次回は田村さんです🌸

【第80回】人口と日本経済を読んで感じたこと

ども。ぐっさんこと山口友之介です。

 

今回は堅苦しいテーマですが早速いきましょう。

 

 

 

42

 

 

 

 

この数字を見て何を連想しますか。

TOKIO長瀬智也の年齢?

昨日僕が食べたミニトマトの数?

違います。笑

 

正解は人間の心臓が15億回で死ぬと言われてるその年齢です。

 

42歳ですよ!今の平均寿命の半分ではありませんか!!

 

さて、この「自然な」人間の寿命を大幅に伸ばしているのは何が要因でしょうか。

 

今回僕が読んだこの本には

「経済」のおかげ

だと書かれています。

 

一部抜粋

医療技術や医薬は勿論、栄養化の高い食料品などがそうしたものやサービスであることは言うまでもない。しかし、平均寿命の延長に貢献しているのは決してそれだけではない。寒い冬の夜、外から吹き込む北風を遮るサッシや断熱効果の高い壁など品質の向上した住宅は、重要時や高齢者の死亡率低下に貢献した……

 

 

確かに経済の発展、成長によって私たちが恩恵を受けていることは間違いない。私たちは恩恵を受けているが果たしてそれはほんの一部が恩恵を受けているのでは?とも思ったりしました。

 

また一人当たりGDP水準と平均寿命は正の関係があることを示すグラフがあります。

 

 

 

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一人当たりGDP水準と平均寿命

日本は80にラインから上に位置し、GDP国内総生産)は15000ドル辺りでしょうか。

読んでいるグラフには2010年時点でGDPは30000ドルあたりに位置しています。

 

このように平均寿命とGDP水準が正の関係を持っていることがわかりました。

 

私はこの本を読む前は経済の発展、成長は何を目指したものなのか認識していませんでした。大学では経済学は人間が幸せになるための学問だと(確か)教わった覚えがあります。実社会での経済で本当に人々は幸せだと感じているでしょうか。⇨幸せとは何かと議論すると長くなるので今回は省略します。夜遅くの電車で帰宅し、早朝に家を出る。私が電車で見る社会人の方々は幸せそうには見えません。まあ相手からしたら私もそう見られている可能性もありますが。人それぞれの幸せの基準も違うので一概にも言えません。私の考えは偏っていると自分でもわかりますが、少なからずそのような現状はないとは言えません。

経済の発展、成長によって様々なチャンネルを通し私たちは健康に過ごし、いまだに寿命は伸び続けています。物質的豊さと精神的豊さの両立は叶うのでしょうか。いやすでに叶っているのでしょうか。それらが近すぎて気づいていないということもあり得ます。

 

近年、地球環境の持続可能性について議論されています。「経済成長至上主義」を貫いている代表例はトランプ氏?だと勝手に思っていますが、逆に反成長という理論もあります。イギリスの経済学者ジョンスチュアートミルはゼロ成長論を持論として経済的定常状態を論じています。

一瞬、この論いいなとも思ったのですが、読み進めると江戸時代の話になりました。江戸時代はsustainableな社会だと言われているらしいですが、国立科学博物館に保管されている江戸時代の人骨が一万分ほどあるそうで、当時の生活を推測すると栄養状態が悪く、鉄分が不足しており、若い世代の人骨が多いのも特徴らしい。生活はスラムに近いといってもよい状態だった

このように書かれていたものだから今の便利な生活からそこまで戻れないと思い、ゼロ成長論はあまりよいとは思わなくなった。

 

最後に人口に触れるとすると、現在日本は1.2億人ほどだ。政府は2050年には一億人を下回ってしまうから手を打っておかないと、と様々な政策を練っている。

なぜ一億人をラインとしているのか、について我が大正大学地域構想研究所の小峰隆夫氏も疑問を抱いていたが、「まあキリがいいからでしょう」と。笑

 

合計特殊出生率が1.42から一億人を維持するには推測に対して無理がある。そこで筆者は

最近の考古学・人類学は大昔、北から南からさまざまなルートを通って多様な人種が私たちの住むこの大陸に移り住んできたことを明らかにしている。〜多くの渡来人が進んだ大陸の文物をこの国にもたらしたことは。学校の歴史で習う通りだ。私たち21世紀の日本人はこうした日本という国の成り立ちを改めて振り返ってみる必要があるのではないだろうか

 

いやー、最後にぶっ込んできたな!!!

そういう筆者は海外の方と結婚できる決意は持っているのか?流石に放り投げている感じがしてならない。ドイツのように移民を受け入れというのは陸繋がりであるからということも忘れてはならない。

日本人が日本人であるという意識はどこから生まれ、強く根付いたのだろうか。そこも興味深いところである。本来性で深掘りしていくととんでもないところまで行きつきそうだ。

 

日本が多様性に寛容になるには一体どれくらいの時間が必要だろうか。

 

ここまで読んでくださりありがとうございました。いつもまとまりがないですが皆さんが思考を深めていただければ幸いです。

 

次は前田さんです!お楽しみにー!