【第11回】最近考えているVisionについてとその周辺の洗い出し

みなさんこんにちは!田村和也と申します。

コミュニティには所属するのではなく、接続する人です。そして、唯一と言っても過言ではない所属していた島根大学を休学しているので、今は無所属です(笑)

 

11回目となる今回で、ちょうど全メンバー1週します👏

最後は私が超大作(長いだけ笑)を書きました。

(本文はタメ語ですがご了承ください)

 

①.教育が大好きな私だが、最近思うこと

教育って、特に学校教育って、一連の流れ(小中高大)の中でそれぞれ課題(と呼ばれているもの)が相互に作用している(例えば偏差値と入試みたいな)から、何か1つだけとか、どこかにメス入れるのがバカらしく思えてくる。

じゃあどうすればいいかって、全撤回するか、そこから外れてやる方がいいじゃんって思ってしまうのが俺。

そしたらすぐに出来ることって、ちまちまと目の前の子どもに向き合うことぐらいなんじゃないか。(でもこれはすごく重要なこと)

でもこの考え方って、「他に人がいない、自分一人で教育をしている」って前提の考え方だ。でも実際は違って、教育を変えようと、意志を持って動いている「皆」がいることを私は知っている。そんな人を腐るほど見てきた。そういう人たちが、教育の各業界で、自分にできることを少しづつやっていくことできっと教育は良くなる。

 

②意志↔環境っていう話

「意志(意思)↔環境」の関係 相互作用

(ここでいう「環境」とは、environmentではなく、surroundingsの意)

意志って環境によって強くなったり弱くなったりする。イベントに行くとなんでもできそうになるけど、学校に戻ってくると急に萎えるとか。

同時に、環境も意志に左右される。誰かの意志がその周囲を動かす。半径1mでもいい、環境を変えることができる。

そう思っていたが・・・

「環境→意志」の一方だけで説明できるかもしれない!

 

そもそも、人は環境(他人)ありきでしか生きられない。(人も環境だ)

人の行動はすべて環境ありきである。コミュニケーションはもちろん、独り言でさえ、人が聞けば意味の分かるものとなっている。

環境に少しの制限があれば、話しやすいという経験をしたことがある人もいるだろう。私もその典型だ。フリートークは苦手なのだ。しかし、お題が決まっていたり、話すことが決まっていると話ができる。

なるほど、人=環境なら 「環境→意志」だけでいいね。

 

Visionの話

皆さんは「Vision,Mission」と聞いてピンとくるだろうか。半年前の私は二つの違いをなんとなくしか捉えてなかった。東京に二カ月行っているころから意識して考え始めるようになった。詳しくは省く。

簡単に言うと、Visionは作りたい社会とか、どうなって欲しいという理想。

MissionはVisionのために自分がすることである。(なお、私なりの解釈であることはご了承いただきたい)

 

私のVisionは「心をとりもどす」だ。

「主体的・対話的で深い学び」とは教育関係者ならよく聞く言葉だろう。改正される学習指導要領の文言である。これが必要だと言われているわけであるが、

20 世紀の教育哲学者ジョン・デューイは、かつてこんなことを言いました。

子どもたちには、本来、学びたい欲求、作りたい欲求、表現欲求、コミュニケーション欲求が強くある。にもかかわらず、学校へ入った途端に、これらは著しく損なわれてしまうことになるのだ

(https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191213-00010000-kyousemi-soci&p=1&fbclid=IwAR3cXoCBdrsTbhz9dbT1Xbnx7MQsyfR9XJdWj8jJMHr

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そうなのだ。子どもはもともと主体的な生き物である。幼児の姿を見ればわかるだろう、好き嫌いが激しく、遊びたいと駄々をこね、本能のままに、心のために生きている。

しかし、学校に入るとそうはいかない。ルールがある。幼児期は「~しよう」willや「~したい」wantという「心」に従って行動していたのが、「~しなければならない」mustや、「~したほうがいい」shouldという「頭」で考えて動いてしまうのだ。

「心」先行だった幼児は主体的であるが、「頭」先行の児童生徒が主体的であるはずがない。

そのまま「頭」先行で小学校、中学校、高校、大学と来てしまったのが私であるが、今は「心」先行で動けるようになった(つもり)。

しかし、そうはできない人がたくさんいるわけで、それが必ずしも悪いと言うつもりはないが、「やりたいことがない」とか、「夢」がないとかはこれが原因だと私は考えている。だから、「心」をとりもどす(別の言い方をするのならば、意志を引き上げる)

 

次に、

私のMissionは、「環境を整える」だ。

②の内容を覚えていた方はここで「そういうことね」と納得してくれたかもしれない。私がしたいのは、環境を”つくる”ではない、”整える”、または、”いる”。

言葉のチョイスに違和感がある人は思い出して欲しい、「人」も環境なのだ。子どもたちにとっては、教師も親も環境の一部でしかない。

教育に従事するであろう私も環境でしかないのだ。だから私は子どもにとっていい環境でなければならないし、良い環境を整えることをしたい。

 

 

一応断っておくが、これは私が立てている仮説、持論に他ならない。これを読んでどう思われるかは自由だ。是非皆さんの意見が聞きたい。

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さて、これで一周したぞー!

来週はくぼはるです。任せた!

 

最後に、このリレーブログは現在(1人卒業して)10人で書いています。私としてはもう2人くらい人がいてもいいかなーなんて思うので、参加してみたいと思う方、興味ある方は連絡をください。