【第13回】偏見はなくせるのか、大学生が考えた
こんばんは!レジ袋について語っておりましたKです。
前回のブログから数ヶ月…新しく挑戦したことで、私に大きな影響を与えているものを紹介します。
ヒッチハイクです!
ヒッチハイクと聞いてどんな印象を受けるでしょうか?
怖い? 難しそう? 変人?
私は始め、不安でいっぱいでした。
でもね、やってみないとわからない。本当にその通りでした。
実際は温かい方が多くて、応援してくれる方がいっぱいいて、変な目で見られるのが気にならないくらいに充実した時間を過ごしました。
なぜヒッチハイクに挑戦したかって?
いろんな人に会って話したいと思ったからです。
私は自分に偏見があるのがすごく嫌で、どんな人のどんな一面も好きにはならなくても受け入れられるようになりたいと思っていました。
だからこそ、ヒッチハイクで会ういろんな人の話からいろんな価値観を知るとともに、受け入れたかった。
さて、最近ヒッチハイクを通して思ったことがあります。
偏見なんてなくせないのではないか、ということです。
まず、
ヒッチハイクはいろんな人に会えると思っていたけれど、
ヒッチハイクで出会って話せる人はあくまで
「ヒッチハイカーを応援したい」「困っている人を助けたい」
と思っている人。
この時点でもう人数は絞られてしまいます。
ヒッチハイクに好意的な人のコミュニティが、私の周りにできていたのでしょう。
類は友を呼ぶ、なんて言いますが、似た人たちが集まるのがコミュニティだと感じます。
違うコミュニティを探しても、居心地が良くなるところは結局、似た人が集まるところ。
価値観なんて人それぞれで、全てを知ろうなんて不可能。
だから、未知だったり少しの情報しかなかったりするものごとに対して、偏見を持ってしまうのは仕方がない。
偏見はなくなせないのではないか。
悲しいです。どうしたらいいのでしょうか。
私は、偏見もあるよね、と受け入れることが大事だと思います。
例えば、「女は結婚したら専業主婦になるべきだ」という偏見がある男性が、そういう趣旨の発言をしたとします。
そしたらその人を責めるのではなく、その人はそういう環境で育ったのだ、と思うようにします。
その上で、相手を否定しすぎず、自分の考えも提示して、よりよい考え方を模索してみてはいかがでしょうか。
偏見を持ってしまうのは、強いて言えば環境のせいなのかな、と思います。
だからこそ偏見を持つ人を責めないでほしいです。みんなきっと偏見はあるのだから。
そして、自分は誰かの偏見を生み出す原因になりうることを忘れないでいたいと思います。
例えば、私は大学生でプログを書いています。これを見た人が「大学生はブログを書くものなんだ」という偏見を持って、他の大学生にもブログを書くことを強いるかもしれません。
おかしな例ですが、このように、「私=大学生の1人」だと捉えてほしいけれど、「私=大学生全般」と捉える人がいるかもしれないことを忘れないようにしたいです。
人と関わるときも「〜のAさん」ではなく、「〜の中の1人のAさん」と考えられるようにしたいです。
やっぱり、偏見はなくせない気がします。
でも偏見に苦しむ人を減らす方法はあります。しかもそれは、すぐに実践できます。
①偏見を持つ人を責めずに受け入れ、よりよい考え方を一緒に模索すること
②「〜のA」と捉えるのではなく、「〜の1つであるA」として捉えようとすること
それができない人もいるとわかった上で自分が偏見を持たせないように気をつけること
こんなことを考えるきっかけをくれたヒッチハイク、只者じゃないですね(ノ∀`笑))
乗せてくださった人、応援してくださった人、そしてこれを見てくださっている人、
みなさん本当にありがとうございます!
よかったら私の個人ブログもご覧ください!
https://note.com/yakudatttehoshii
長々とありがとうございました。
次回もお楽しみに!